樫尾和雄

カシオ計算機創業者

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樫尾和雄の名言

樫尾和雄の過去の名言をまとめた名言集です。

  • ゼロから1を作るということは、既成概念からは生まれない

  • 人間の一番の弱点は既成概念。それを外すとどんなことでもできるようになる。

  • 改良ではダメ。革新と呼べるくらい画期的なイノベーション。この革新を重ねながら変えていくことで製品は長続きするようになる。

  • 人間は面白いもので、「やれない」と言ったらどうしようもないんだけど、「やれる」と思えばやれるんです。

  • 価格競争で1円でもコストを下げるために、人件費の安い地域に工場を移していくという発想では上手くいかない。日本を含めてどこで生産しても利益の出る高付加価値の製品を目指さなくてはいけない。

  • これまで蓄積してきたノウハウを生かし、他社がマネしたくてもマネできない製品を作っていく。それが、企業として優位性を持ち、生き残っていくためには欠かせない。

  • 画期的な技術を入れても売れないなら、それはニーズを読み間違えているんじゃないでしょうか。

  • 商品は急に売れるわけではなく、その時々で色々な条件によって売れている。売れた条件をノウハウに置き換えるべきでしょう。そうすれば勘じゃなく論理で判断できるようになる。

  • 決断を下すには先を見ることが大切。大体3年先くらいまでですね。それ以上は見ても分かりません。世の中が変化しますから。

  • 人は仕事をすることで成長するんです。私も常に新たなものに挑戦しています。

  • 僕は悲観なんて一回もない。悲観になったら終わりです。

  • 「人に喜んでもらえれば、利(利益)は後からついてくる」・・・間違ってはいませんが、仕組みを考えた上での「人に喜んでもらえれば、利(利益)は後からついてくる」なのです。

  • 我々はメーカーとして、いかにいい商品を作るか、長続きする商品を作るかと考えて開発しています。革新的で、しかも長続きする製品を作ることが前提条件。

  • 新製品をそのまま置いておいては、長続きはしません。必ずそこには新たな技術が必要になる。

  • カシオが今後も競争力を維持するためにはイノベーションを起こし続けることが最も大切だ。

  • ひとつの事業を成長させ、利益をあげることができれば、経営者として実力があるということ。

  • 技術というのは絶対に進化します。千年先まで、ずっとイノベーションです。既成概念から脱すれば、何でもできる。新たな価値を生んでいける。

  • 現場はなかなか撤退する判断を下せないでしょう。だからこそ、経営者が市場の先行きを眺めて決断しなくてはならない。

  • 企業は走り続けていないと死んでしまう。

  • ロングセラーとなるには全く新たなジャンルを形成しなくてはなりません。もしくは従来のジャンルではあるけれど、革新的な技術で新たな価値を生む商品もロングセラーになり得る。

  • 私は常に既成概念がゼロなんです。数年前に営業利益率を15%にしようと改革を始めました。既成概念ではメーカーの営業利益率はせいぜい10%。けれど、「そんなことはない」と施策を打ち、計画最終年度の今年はいいところまできている。

  • それは一過性のヒットではなく新しいジャンルが形成されて長続きするんですか?

  • あえて、起業家・事業家として社会貢献したいのであれば、それと同時に考えなければならないことがあるのです。それは、「利益」が出るような仕組みを考えておくことです。

  • 経営者にとって最も大切なことは、目先だけでなく数年先を見て動くことだ。携帯電話や液晶ディスプレー事業の外部への移管を決めた時も、社員の誰もが各事業を続けて拡大したいと願っていたのは分かっていた。しかし、これからグローバルでの競争環境は一層激しくなる。社長にしか判断できないと腹をくくり決断した。

  • ヒットはすべて論理によって生まれます。ある製品が売れるか売れないのかというのは、常に論理を打ち立てて判断しなくてはなりません。私は長年の経験で論理を常に頭の中で組み立てます。

  • つくづく感じるのは、「過去の遺産」で食いつないでいる会社が多いということ。カシオも、兄であり会長でもあった樫尾俊雄が発明した時計や楽器、計算機など、20世紀の遺産で現在も食っている。これではダメだ。これからは21世紀の新しい資産を作らなければならない。

  • ニーズに合わなければどんな技術を入れてもダメ。

  • もはやひとつの新製品でヒットを狙う時代ではない。これからはエレクトロニクス技術を生かし、新製品ではなく新事業をつくらなくてはいけない。

  • 撤退する見極めも重要。我々は携帯電話を作って成功もしていたけれど、どんどん競争がグローバル化し、そこで勝てるのかという状況になってきた。長続きさせるには莫大な投資が必要と分かりました。その投資に見合うリターンがあるのかと考え最終的には撤退した。

  • さすがに体力は弱ってきましたが、頭はますます進化しています。新しいアイデアがどんどん湧いてきます。

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樫尾和雄について

樫尾和雄はGショックなどで有名なカシオ計算機の創業者。1957年、樫尾4兄弟の長男・忠雄氏らと共にカシオを創業。創業時には4兄弟の父・樫尾茂が社長に就任。2代目社長は長男の樫尾忠雄。樫尾和雄は3代目の社長で、約27年もの間社長を務め、カシオを世界的な企業へと成長させた。社長退任後は会長に就任。

1929年(昭和5年)東京都生まれ。カシオを創業した樫尾4兄弟の長男。現・荒川区立第七中学校卒業後、兄・樫尾忠雄の創業した樫尾製作所に入社。樫尾製作所は電子計算機「14-A」の開発に成功し、1957年(昭和31年)株式会社化してカシオ計算機が設立された。設立メンバーは「14-A」を開発した忠雄・俊雄・和雄・幸雄の樫尾4兄弟と父・茂らで、創業時は父・茂が社長に就任した。1961年(昭和35年)からは樫尾製作所の設立者で長男・忠雄が社長となった。この頃、樫尾和雄は日本大学高等師範部(現・文理学部)英語科を卒業している。創業当初は電子計算機を中心に事業を展開していったが、1980年(昭和55)電子楽器「カシオトーン」、1982年(昭和57年)パーソナルコンピューター「FP-1100」、1983年(昭和58年)デジタル腕時計「G-SHOCK」を発売するなど多角化を進めた。1988年(昭和60年)三男の樫尾和雄が社長に就任。1990年代には、機能性の高さと優れたデザイン性から「G-SHOCK」が大ブームとなり、会社は大きく成長していった。樫尾和雄のもとでも多角化路線は継続され、1995年(平成7年)にはデジタルカメラ、1998年(平成10年)にはWindowsパソコン、2000年(平成12年)には携帯電話事業、2012年にシンセサイザー事業に参入。樫尾和雄は86歳の2015年まで社長を続け、長男・和宏氏に社長職を譲って会長に退いた。2018年(平成30年)死去。享年89歳。