安藤百福

日清食品創業者

  • Twitter
  • Facebook
  • Hatebu
  • Line
  • Copy

安藤百福の名言

安藤百福の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 私は事業に失敗して財産を失い、48歳から再出発した。60歳、70歳からでも新たな挑戦はある。人生に遅すぎるということはない。私の人生は波乱の連続だった。成功の喜びに浸る間もなく、何度も失意の底に突き落とされた。しかし、苦しい時の経験がいざというときに常識を超える力を発揮させてくれた。

  • わずかな可能性でも、それに挑戦しつづけている限り、人生に退屈するということはない。

  • 即席めんの開発に成功した時、私は48歳になっていた。遅い出発とよく言われるが、人生に遅すぎるということはない。50歳でも60歳でも新しい出発はある。

  • みずからの足で歩き、みずからの目で確認しなさい。そうでなければあなたの話には重みも説得力もない。情報には鮮度がある。すべての人が良いという意見は信用できない。情報は自分の目と耳で集めろ。机の上でいくら思案しても、優れた発想は生まれない。

  • 私は行く先々で、人が集まっていれば覗き込む。 商品に触ってみる。触ってわからなければ質問をする。 質問してわからなければ買って帰る。子供のように、いつも「なぜ?」と疑問を発しなさい。

  • 石の上にも三年という言葉がある。渡しの場合は五年だった。事業では三年は少し短すぎる。一、二年で自分の仕事に見切りをつけるとすれば、いつになっても大成しない。三年やって自己満足すれば、進歩はストップする。

  • 企業力とは、問題が生じた場合、一眼となってことに当たる仕組みにほかならない。

  • 即席めんの発想にたどり着くには、48年間の人生が必要だった。過去の出来事の一つ一つが、現在の仕事に見えない糸で繋がっている。

  • 物事は漠然と考えていてはだめだ。一心不乱に考え続けているからこそ、睡眠中にふっとアイデアが浮かび上がってくる。

  • 利益とは結果であって、それを目的としてはならない。会社はよい仕事をしたらもうかるのである。もうけ主義とは違う。

  • 仕事を戯れ化せよ。そうすることによって仕事から大きな喜びを得ることができる。生きてゆく力さえも、そこから手に入れることができる。

  • 時代の変化に対応するのではなく変化を創り出せ。

  • 集中するとはある意味では捨てることです。「選択」するということはいくつかの選択肢の中から一つを選ぶことです。ほかのものは捨てねばなりません。

  • 時は命なり。時計の針は時間を刻んでいるのではない。自分の命を刻んでいるのだ。神はすべての人に1日24時間を与えられた。時間だけは金持ちにも貧乏人にも平等であるが、取り返しがつかない。最大のコストは時間である。24時間働くことは、24時間会社にいることではない。

  • 儲からない事業に執着するのは、種のない土地に水と肥料をやるようなもんです。 まったく意味がないし、人生の無駄です。 そういう時は、撤退する勇気も必要なんです

  • 最大のコストは時間である。24時間働くことは、24時間会社にいることではない。

  • 人のやっていないことをやると実りが大きい。やれそうもないことを成し遂げるのが仕事というものである。

  • 競争とは知恵比べであり、知恵ある会社には自ずと人が集まる。落ち目になると人は去っていく。

  • 市場調査の結果とは、過去のデータの集大成にすぎない。建前意見の集約でもある。それだけで、未来を決定することは危険である。

  • 転んでもただでは起きるな。そこらへんの土でもつかんで来い。

  • モラルが確立されていない企業風土では、どんな制度も形骸化してしまう。

  • 人間には二つの心がある。一つはいいことをやりたい。もう一つはやりたいことをやりたい。

  • 社長とは権力ではない。責任の所在を示している。経営者の落とし穴は賛辞の中にある。偉くなればなるほど身の回りに甘い言葉が集まり、英雄的気分にひたっていると必ずつまずく。苦言に耳を貸さない経営者は必ず会社に危機を招く。

  • 社員の結束を図るために、トップは先頭に立って旗印を掲げる必要がある。

  • 経営者とは、人の見えないものが見え、聞こえないことが聞こえるような人間でなければならない。

  • 知識も大切だが、知恵をもっとだせ。知識は比較的簡単に手に入るが、知恵は大きな努力と体験がないとなかなか手に入らない。

  • 時は命なり。刻一刻ときざむ時間は確かに大切であるが命がきざまれているのだと思っている人は少ない。そこまでの切迫感を持って私は生きたい。周りの人にもそうして欲しい。

  • 決裁書なんていらない。あなたが責任を持ってやるというならそれでいい。

  • 事業を複雑にするな。新しい事業ほどシンプルな構造でなければならない。

  • 貧すれば鈍するの轍を踏まぬように。うまくいかないときこそ涼しい顔をして戦略を練るべし。

安藤百福の名言を見ている方へお薦めする名言

安藤百福の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

安藤百福について

安藤百福は「チキンラーメン」、「カップヌードル」を開発した、インスタントラーメンの生みの親であり、日清食品の創業者。

1910年(明治43年)台湾に生まれる。幼くして両親をなくし、繊維問屋を経営する祖父母に育てられた。1932年(昭和7年)繊維の卸売会社「東洋莫大小」を自ら立ち上げた。翌年には大阪に「日東商会」を設立、日本で仕入れた繊維を台湾へ輸出して販売した。この頃、安藤百福は夜間大学の立命館大学専門学部経済科で経済学を学んだ。

1945年に終戦を迎えると、製塩事業、栄養食品事業、専門学校事業など数々の事業を立ち上げた。1957年知人から頼まれて理事長となっていた信用組合が倒産。さらに安藤百福は背任の罪に問われ、財産のほとんどを失った。

ほとんど無一文となった安藤百福は、巷で人気となっていたラーメンに着目。これを手軽に作って食べられるようにすれば人気になると考え、自宅でインスタントラーメンを研究。1958年(昭和33年)チキンラーメンを発売した。チキンラーメンはお湯だけで作れる「魔法のラーメン」と話題になり、爆発的人気を読んだ。同年、安藤百福はかつて設立して休眠会社となっていた「サンシー殖産」を「日清食品」と商号変更し、チキンラーメンの製造・販売会社にした。1971年(昭和46年)カップ入りでどんぶりが不要なインスタントラーメン「カップヌードル」を発売した。2007年急性心筋梗塞のため死去。享年98歳。