久夛良木健
ソニーコンピューターエンターテイメント元社長
久夛良木健の名言
久夛良木健の過去の名言をまとめた名言集です。
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常に好奇心を持って世界中の人たちと接していると、どこにどういう才能が埋もれているのか、誰が実際のキーマンで、やっていることが本物かどうかが、不思議とわかるようになってきます。そして、事を起こすときには、即時にアクションにつなげることができるようになる。
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プレイステーションは確かに継続的なビジネスだと言えるでしょう。しかし、それは何もプレイステーションが初めてではなく、八百屋も呉服屋も腕に自信のある職人も、昔からずっと継続的な商売を生業としてきたのです。というより商売とは継続性がなければ成り立たなかったのです。
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ネットの世界でトップに立つにはスピードが勝負。従来のように社内会議で意思決定を形成するようでは日本企業が世界の企業との競争に打ち勝つことはできない。
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好奇心を持ってさまざまな領域にチャレンジし、そこから得られるエッセンスをいかに自らの血肉として吸収できるかどうかが重要。
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従来は、何をやるにしても「人・モノ・金」が必要で、それらの資本は大企業に集中していた。それが今やインターネット時代の到来により、かなりの部分が水平なレイヤー群として広く提供され、誰でも比較的安価で利用可能になっている。その上で新興ベンチャーが画期的なアイデアを持ち寄り、魅力的なアプリケーションを考えて、例えばツイッターやフェイスブックのように自らのネットワークプラットフォーム上で公開する。それがユーザーの心を掴むと一気に何億人というビジネスがテイクオフできる可能性がある。日本からも様々なベンチャーが戦いやすい状況が既に開けている。
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家電は英語でコンシューマーエレクトロニクスです。消費という概念は産業革命以降に動力が生まれ、大量生産と物流・流通のインフラが整うことで誕生しました。日本でも消費=売っておしまいというビジネスが戦後の高度成長による巨大な需要によって成立したのですが、それは人類の中でほんの数十年の出来事に過ぎないのです。
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昔のソニーはその製品を使ってどんな体験ができるかということを提示するのが上手でした。「ウォークマン」は、どこにいても自分の世界が常に音楽に包まれているという、それ以前にはなかった体験をユーザーに提供したのです。
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「どうなるか」ではなく、「どうしたいか」を考え実行に移す人材が不可欠。
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プレイステーションの開発プロジェクトでは、全員一丸となって「コンピュータ・エンタテインメントの創造」という共通の夢に向かって、会社間の垣根をとくに意識することなく、プロジェクト全体を大きな成功へと導くことができました。
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ソニーはエンジニアリングで世の中のライフスタイルを変える会社だと私は思っています。従来のやり方を踏襲していたり、社内だ社外だと区別したりしていては、世界を変えることなんてできなかったでしょう。
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夢のようなことはすぐには実現が難しそうに見えても、いつか可能になる時代を迎える。そのためには、「夢」を持ち続け、未来を自ら引き寄せられる人材を育てる必要がある。
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世界中の研究者が動くだろう。だって面白くてしょうがないから。髪の毛1本がそよぐだけで面白い。
解説: インタビューでプレイステーション2について発言。
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イノベーションのないところに持続的な発展はない
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プレイステーションを世に出すことができた要因のひとつとして、吸収力旺盛な30代に、技術的にもマネジメントの面でも、じっくりとチャージできたことが大きかったのではないでしょうか。世界の最先端のテクノロジーに触れる醍醐味、会社を超えたチームマネジメントの妙も、30代の経験と蓄積がもとになっています。
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仕事中に気配がしたので振り向くと井深さんが立っていて、「何してるの?」と声をかけてくるんです。勝手に作っていた液晶のレベルメーターを見せたら、「音響のエンジニアたちには見せたの?」と。まだですと答えると、井深さんは「じゃあ、自分から言っとくね」とおっしゃいました。すると翌日、芝浦の音響の人たちが大挙して、私のところに来たんです。私が作った試作のレベルメーターを評価してくれて、最終的に商品化されることになりました。
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これはPS3の価格です。高いとか安いとか、「ゲーム機として」というくくりでは考えてほしくないんです。PS3というものは他にはないわけですから。例えば、高級なレストランで食事をした時の代金と社員食堂での食事の代金を比べるのはナンセンスですよね?
解説: PS3の価格について。PS3は税込62,790円からという高価格で発売された。
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今、人々が求めているのは消費ではなく、それによって得られるエクスペリエンスなのです。ハード機能の凄さや、どんなソフトがあらかじめ組み込まれているかということさえ、いまやあまり重要ではなくなってきています。それより、それを使ってどんな体験ができるかに興味が移っているのです。
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新しい試みをする,エンターテインしようとする人たちに対して反論する人は,いつの時代にも必ずいるものだ。
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昔の商人とお客さんは店先でおそらくいろんな話をしたでしょう。「今度お似合いのいい反物が入りましてね」とか、「この下駄の鼻緒、そろそろ替えどきかね」「いやいやまだ直して使いましょう」とか。その人にカスタマイズした商品とサービスを提供する。こうした失われた顧客との継続的なつながりが、再びインターネット上でできるようになりました。一人一人の好みをサーバー側で理解して、ネット上の膨大な情報の中からその人に向けたオーダー製品や専用サービスを届けることができます。
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ボタンの位置も狙ったもの。それが仕様。これは僕が作ったもので、そういう仕様にしている。明確な意志を持っているのであって、間違ったわけではない。世界で一番美しいものを作ったと思う。著名建築家が書いた図面に対して門の位置がおかしいと難癖つける人はいない。それと同じこと。
解説: PSPがボタンを押しても反応しないという初期不良についてのコメント。
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ソニーの物作りの力が落ちているのではと問われれば、今日の時点ではそのとおりと言うしかない。
解説: 親会社であるソニーの生産する部品の不足によってPS3のヨーロッパでの発売が延期されたことについて。
久夛良木健の名言を見ている方へお薦めする名言
久夛良木健の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。
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ひらめきは、自分で呼び込めるものではない。わたしにできるのは、ひらめきを形にすることだけだ。
パブロ・ピカソ 画家
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古くから天下のことを行う者は、大義を本分とし、決して他人に左右されることなく、断固として志を貫く。禍福や死生によって気持ちが揺れ動いたりするものではない。
高杉晋作 長州藩士、維新志士
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有望な仕事があるが資本がなくて困るという人がいる。だが、これは愚痴でしかない。その仕事が真に有望で、かつその人が真に信用ある人なら資本ができぬはずがない。
渋沢栄一 実業家、官僚
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目標を数字で表現すると、その数字の実現に何をどうすればいいのか、誰がどのような筋書きでどのような仕事をし、それにはどんな場面が必要なのか、方法論としての物語が浮かび上がってくる
御手洗冨士夫 元キヤノン社長
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まず自分自身が顧客になり、次に他人のために働くべきだ。一日一時間を自分に充てるべきだ。
ウォーレン・バフェット 投資家、バークシャー・ハサウェイ会長兼CEO
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ほぼ日のやり方は、「どうすべき」という目的意識が前提ではなく、「どうありたいか」という動機や望みを徹底的に議論するところから始まる。
糸井重里 コピーライター、株式会社ほぼ日創業者
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簡潔さとは究極に洗練されることだ。
レオナルド・ダ・ヴィンチ 画家、彫刻家
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規模の大小にかかわらず、何か新たな事業を興す場合には、予想した以上に時間と金がかかることを絶対に頭に叩き込んでおかなければならない。事業計画が大掛かりなものであれば、たとえ売り上げが急増していても、一時的に利益以上の額を投資に回さざるを得ないことを覚悟しておくべきである。
ハワード・シュルツ 元スターバックスCEO
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私を天才だと言う人がいるが、それは違う。みんなが自分の力をあらゆる方向に分散させているのに対し、私は全てのエネルギーをひとつの仕事に集中しているだけなんだよ。
トーマス・エジソン 発明家、起業家
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「交換できる有益な情報」を持っていない人は、限られた人脈しか持つことができません。会って話をするメリットが少ないからです。交流会に参加して、名刺を配りまくっても、「有益な情報」を持っていると判断されない限り、すぐに忘れられます。無理して人脈を作ろうなどと思わず、まず第一に「有益な情報」の持ち主になることのほうが重要なのではないでしょうか。
村上龍 小説家、脚本家
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僕はコントを考える時、自分が見たり聞いたりしたものから発想する。
志村けん コメディアン
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1位と2位が本気で戦いはじめると、3位以下のメーカーなんて木端微塵に吹き飛ばされる。3位以下の企業というのは不安定で脆弱な存在にすぎず、やはり小さな市場であってもナンバーワンになることが大切だと思います。
鈴木修 元スズキ株式会社社長
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30歳までに金を貯めて、海外へ出て40歳で起業しろ。 財産ができたらそれを3分の1ずつ使って三回商売にチャレンジしてみろ。
藤田田 日本マクドナルド、日本トイザらス創業者
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わたしは、ずっと前から、自分が誰かと仕事をしたら「次もあいつと仕事をしたい」と言わせよう、というのがモットーだったんです。
岩田聡 元任天堂社長
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私は常々社員に「すべてに手を挙げろ」と言っています。まずあらゆることに興味を示すこと。よく吟味して、ビジネスとして折り合わなければやらなければいい。一番よくないのは、何もやらないことだと口を酸っぱくして言っています。
宮内義彦 元オリックス社長
久夛良木健について
久夛良木健はプレイステーションの生みの親として知られる技術者、経営者。ソニーの社内ベンチャーとしてスタートしたプレイステーションを成功に導いたことで知られる。
1950年東京と江東区生まれ。1975年電気通信大学電子工学科を卒業しソニーに入社。任天堂向けに記憶媒体や音響部品の売り込みをかけたことで任天堂とつながりが生まれ、久夛良木健はスーパーファミコン向けCD-ROMアダプタ開発の中心人物となる。しかしながら、スーパーファミコンのCD-ROMアダプタは任天堂が翻意して開発は中止。それでもゲーム機の開発を諦めず、社内ベンチャーとして設立されたソニーコンピューターエンターテイメント(SCE)の開発部長としてプレイステーションの開発に携わり、1994年発売にこぎ着けるとSCEの代表取締役社長に就任した。プレイステーションは全世界で出荷台数1億台を超える大ヒットとなり、開発を主導した久夛良木健の名声は一気に高まった。続くプレイステーション2も出荷台数1億5000万台を超え、ソニーがゲーム市場の覇者となったかに思われた。しかしながら、2006年に発売したプレイステーション3は高価格やソフト不足などで出だしにつまずき、任天堂のWiiに大きく水を開けられた。久夛良木健はその責任を取る形でSCE名誉会長に退いた。2011年SCE名誉会長を退任。