そのうち仕立て屋に疑問を感じるようになった。雑多なものを古めかしくつくっているのではいくらやったって駄目だ。これから見込みのある足袋を専業にしようと考え始めた。福助足袋などが盛んにやっているのを見てヒントを得たわけだ。
石橋正二郎 ブリヂストン創業者
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経営もストーリーが重要。「この会社はどんな会社でこの商品を買うことで自分はこんな意義を見出している」というストーリーが得られる。ストーリーをいかに可視化するかが今の経営のポイント。
竹中平蔵 経済学者、政治家
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ローソンはROEでは16%と業界トップですが、店舗数では業界2位に留まっています。出店にだけ力を入れれば、業界1位になることは不可能ではないでしょう。しかし、欲に負けて「出店競争」という無謀な勝負を挑めば、どうなるか。企業体力を失い、人材の育成が滞り、不測の事態を招く恐れがあります。
新浪剛史 元ローソン社長、サントリーホールディングス社長
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銀行家というのは、太陽が照っているときに自分の傘を差し出して、雨が降り始めるやいなや、それを返せと言うような奴だ。
マーク・トウェイン 小説家
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事業を成功させようと思っているなら、あらゆる顧客を満足させる努力をしなければなりません。煩わしい顧客も、理不尽な顧客も、気難しい顧客も全てです。顧客は親戚のようなものであり、こちらから選ぶことはできません。ですから、顧客を愛する術を覚えた方がいいでしょう。
ジャック・ウェルチ ゼネラル・エレクトリックCEO
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いま進めているのは、ゲームで遊んでいる人たちに、「一回自分でゲームをつくってみませんか」という呼びかけをやろうということです。何万人か集まってきたら、ネットワークでそれを結んで、そしてゲーム作りのいろいろなノウハウとか、情報をそこへ送っていくということですね。たとえばそういう人間が五万人か、十万人かいたとしたら、そこから才能ある人が浮かび上がってくるということも考えています。
山内溥 任天堂創業者
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弟子の賃金制度も思いついた。弟子は無給で働いている。仕事をするのに無休では勉強などしない。こんなことでは駄目だから給料だけは希望するだけ払い、その代わりに足袋を能率よくたくさんつくり、値段を安くする。こういう合理化案がまとまって実行に移した。いまなら無給から賃金制度に変えるのは何とも感じないが、当時としてはかなり思い切った考え方で、にわかに店費が激増したため、父からバカなことをしたと叱られた。しかし、それから皆働きがいがあるようになって能率が上がり生産も増え、同業者との競争に負けなくなった。
石橋正二郎
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「米国の自動車タイヤのメーカーには1日5万本とか6万本もつくる大きな会社があり、それを日本に持ってきてダンピングしたら君のところは丸つぶれだぞ」というのが三井物産あたりの言い分だった。しかし、そんなことはどうでも、技術さえ成功すればいいのだからと、九州大学のゴムの先生の所へ行き「やってみようと思うがどうでしょうか」と話したところ、「100万円、研究費をください」という。当時の100万円だからかなり値打ちがある。地下足袋製造で働いていたドイツ人技師に話したら「自分も大いに賛成だ。やろうではないか。だがこれは極秘で研究しなければ世間に知られて失敗する」とのことだった。
石橋正二郎
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あまりに好調にものごとが進むと終いには上から下までみんな馬鹿になってしまうようだ。品物を売り上げてやるという調子で、苦労を知らない連中のことだから終戦後はひとしお苦労の味をなめることになった。
石橋正二郎
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富士精密を買収したところ、赤字がたくさん出てだいぶ困った。しかし、金を入れて立て直し、いまでは立派な会社になった。最初からあれだけの小型自動車エンジンをつくったので、他の自動車メーカーが驚異の目を見張ったが、戦時中、飛行機のエンジンで非常に苦労し勉強しているので、技術がいいし、熟練工もそろっている。ただ、営業がまずかった。つまり戦時中は政府納めばかりなので経営が無能だったのだ。
石橋正二郎
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自動車タイヤの販売が始まった。しかし、たちまち破れやすいという評判が立った。破れるのはこちらの責任だから取り替えないわけにはいかない。どんどん取り替えたため千坪ぐらいの畑に10万本くらいのタイヤが山になり、破産するところまで行きかけた。ブリヂストンの仕事は4、5年ぐずつき、軌道に乗ってきたのは10年ごろだった。
石橋正二郎
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普通のたびにゴムを糸で縫いつけた地下たびはあった。しかし地べたにはくので、すぐに糸がすり切れ、始終修繕しなくてはならない。自転車のタイヤは二枚のきれを張り合わせ、その上にゴムを張っている。そのゴムのりで張りつけるのが一番いいだろうと思った。
石橋正二郎