松本和那
マツモトキヨシ社長、衆議院議員
松本和那の名言
松本和那の過去の名言をまとめた名言集です。
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無遅刻無欠勤だからといって、何の評価もしない。その社員が何をしたか、仕事でどんな結果を導いたか、が大事なのである。「動機」や「理由」など、私は考えない。全て「結果」なのだ。
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人はだれでも、やればできる。やらせればやる。
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思いついたら、すぐに実行に移す。スピード感こそ経営の基本。
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「マツモトキヨシ」の経営を、すぐにでも、政治の世界にも生かさなければならないし、生かすことはそんなに難しいことではないと思っている。なぜなら、国を企業と考えれば、国民はお客さんであり、私は、いかにお客さんに喜んでもらえるか、これまで、経営者としてそればかり考えてきたからだ。
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多くの経営者たちは、人を「コスト」だと考えている。だから、経営が苦しくなれば当然、人件費を削ることで苦境を突破しようと思う。私は決してそうしない。私は人を「目標」だと考える。目標、つまりこれだけの人間を生かすにはドウシたらいいか、それをまず考える。
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もはや、一心不乱は美徳ではない。ただ不器用だということを吹聴しているだけに過ぎない。これからは「多心乱々」の時代だ、と私は思うのだ。「マツモトキヨシ」がただ一心不乱に、従来の薬局を続けていこうと思っていたら、きっとここまで発展することはなかっただろう。そこには、トップを始めとした多くの社員たちの「多心乱々」のきもちがあったからこそ、ここまで発展してきたのだと思う。
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どんな人にも、一生の中で、一番の絶頂期というものが必ずある。思わぬ大金が転がり込んだり、長年の苦労が実って会社から認められたり、自分が始めた事業が大当たりして、周囲の目がガラッと変化したりするときばかりでなく、子供が一流の大学に入学できたり、娘がいいところに嫁いだり、いわゆる「ああ、生きててよかった」と思う瞬間も、ある意味では幸福の絶頂期かも知れない。
松本和那の名言を見ている方へお薦めする名言
松本和那の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。
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自由なものなど何もない。鳥さえも空につながれている。
ボブ・ディラン 歌手
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偉大なリーダーは皆、ある共通する特徴を持っている。それは、その時代の人々の大きな不安に対し、真っ向から進んで立ち向かう気持ちである。他でもなく、これがリーダーシップの要点なのだ。
ジョン・ケネス・ガルブレイス 経済学者
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避けなければならないのは、「目標○万店」のような目標を掲げたことで、意味合いが不明確なまま数字が一人歩きを始め、最後は数字のつじつま合わせに陥るパターンです。数値目標は達成できても店の質が低くなり、顧客の支持を失っていきます。
鈴木敏文 セブン&アイ・ホールディングスCEO
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自分の欲しいものを「必ず得られる」と強く確信すること。
ナポレオン・ヒル 自己啓発本作家
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いったん掲げたら堂々とそれをめざせ。戦いの前から負け犬になるな。
イビチャ・オシム サッカー監督
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賛成の数が多いからと言って、なに一つ価値ある意見である証拠にはならない。
デカルト 哲学者
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自分がコントロールしてどうこうって描いた途端にこざかしいものになるのは目に見えているじゃないですか。
井上雄彦 漫画家
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言葉は思想とともに発達する。言葉がはっきりしないのは思想がはっきりしないからである。
イマヌエル・カント 哲学者
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人のマネではない自分の流儀を徹底して貫くことが、何かを完成させるには是非とも必要なことなのです。
中村修二 青色発光ダイオードの発明者、カリフォルニア大学教授
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人間が唯一偉大であるのは、自分を越えるものと闘うからである。
アルベール・カミュ フランスの小説家
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ミスを犯してくれて大変嬉しい。「あまりに慎重でほとんど何もしない」のではなく「迅速に動き、たくさんのことをする」会社を私は経営したい。もしこうしたミスをまったく犯さないとすれば、私たちは十分なリスクを取っていないことになる。
ラリー・ペイジ Google創業者
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詩作とは感情が考えを巡らすことであり、その考えが言葉を見つけることである。
ロバート・フロスト 詩人
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愚民の上に苛酷な政府がある。良民の上には良い政府がある。
福沢諭吉 思想家、教育家
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いくら財政再建を叫んでも、石頭ばっかり揃っていたのでは、いつまでたっても財政再建は出来ない。
田中角栄 第64代、第65代内閣総理大臣
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僕自身は、ズバ抜けた体格とか技術を持っているとは思ってなくて、どちらかというと体が小さいことにコンプレックスを持っていたぐらいだったんです。自分自身を客観的に分析した結果、桑田真澄という選手はたいしたこと無い選手だと。
桑田真澄 元プロ野球選手
松本和那について
松本和那はドラッグストアチェーン、マツモトキヨシの2代目。父の松本清がマツモトキヨシを創業した。1975年から2001年までマツモトキヨシ社長。1996年からは自民党の衆議院議員を2期務めた。
1939年(昭和14年)千葉県松戸市生まれ。父はマツモトキヨシを創業した松本清。松本和那は明治大学商学部を卒業してマツモトキヨシに入社する。松本和那は2代目として出世街道を歩み、要職を歴任したのち、1975年にマツモトキヨシの社長に就任。松本和那は薬剤よりもヘルス&ビューティーを核にして、化粧品、日用品や食料品などを中心に販売する方針を打ち出す。これが若者や主婦層に受け、さらにテレビCMなどで積極的な広告を展開したことで店の知名度が高まり、マツモトキヨシの売上は急増、1995年にドラッグストア業界で売上一位になるまでに成長させた。
1996年、松本和那は衆議院議員選挙で千葉7区から自由民主党公認で出馬し当選。2001年にはマツモトキヨシの社長を退任し、会長に退いた。衆議院議員は2003年の選挙で敗れるまで2期衆議院議員を務めた。1996年から2001年まで松本和那はマツモトキヨシの社長でありながら衆議院議員も務め、いわゆる「二足のわらじを履く」状態だった。