孤独な者は、もっとも強い
五島慶太 東急コンツェルン創始者
この名言を見ている方にお薦めの名言
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まっすぐな道でさみしい
種田山頭火 俳人
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役に立たないとか、意味がないと思っていることの方が、むしろ重要なんじゃないか。
羽生善治 棋士
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因というのは、たとえば、蒔いた種のことだ。これを耕作培養するのが縁だ。種を蒔いた因と、培養した縁とによって秋の実りを得る、これを果というのだ。
二宮金次郎(二宮尊徳) 農政家、幕臣
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どんなに勉強し、勤勉であっても、上手くいかないこともある。これは機がまだ熟していないからであるから、ますます自らを鼓舞して耐えなければならない。
渋沢栄一 実業家、官僚
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仕事が生きがいという以上に、素晴らしい人生はない。
三木谷浩史 楽天創業者
五島慶太の他の名言
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若い女と馬鹿話をしていると、仕事の話や世間の苦労からまぬかれて頭の中が「空」になってくる。そうすると夜熟睡できるので、また明日への活力が出てくるのである。これが私の健康法である。
五島慶太
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事業場から墓地に直行したくないとは考えているが、事業こそ私の生命であるとも思っている。
五島慶太
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最近よく人から、あなたにも昔はご婦人とのロマンスぐらいはあったでしょう、と聞かれるのだが、正真正銘私にはロマンスなどというものはない。もし私にロマンスがあったとしたら、女に惚れていたとしたら、今日の私はあり得なかったろうと思う。事業に対する野心がロマンスを征服してしまったというか、惚れたのはれたのということを考える余裕もなかったのである。
五島慶太
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昭和初頭の財界不況に遭遇し、私はしばしば自殺を考えるに至るほどの苦しさを経験した。ときには社員の給与にも困難し、十万円の借金をするのに保険会社に軒並み頭を下げて回り、皆断られて小雨の降る日比谷公園をションボリ歩いたこともあった。松の枝がみな首吊り用に見えて仕方がなかった。しかし、いまにして思えば、すべて信念と忍耐力の問題であった。
五島慶太
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ときにはやむを得ず、株買い占めという強硬手段をとらざるを得ないこともあったが、これは世間でいうように単に私の征服欲、事業欲のためのみでなく、東横電鉄の社員を愛し、その老後の生活まで考え、あわせて会社の総経費を分割して、経費を下げるということからやったことである。
五島慶太
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大臣になったお陰で戦後五年間ほど追放になってしまったが、その間は好きなお茶や古写経を見て暮して来た。追放中会社のことに口を出したというので、追放令違反として告訴されたがこれも追放解除とともに自然消滅し、再び東京急行へ復帰して采配をふるっている次第である。
五島慶太
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私は沿線の人たちに「良品を廉価に」提供する目的で東横百貨店を渋谷に作った。
五島慶太
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官吏生活を送ること九年間、その間課長を一年半ばかりやって、後に述べるように武蔵電気鉄道の常務に就任するため、大正九年五月十一日鉄道院を辞めたのであるが、そもそも官吏というものは、人生の最も盛んな期間を役所の中で一生懸命に働いて、ようやく完成の域に達する頃には、もはや従来の仕事から離れてしまわなければならない。若い頃から自分の心にかなった事業を興してこれを育て上げ、年老いてその成果を楽しむことのできる実業界に比較すれば、いかにもつまらないものだ。これが十年近い官吏生活を経験した私の結論であった。
五島慶太
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私はとにかく、「強盗慶太」の異名を頂戴するくらいであったから、事業のための私であり、事業あってこその生涯だった。
五島慶太
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一日の労苦を忘れるには、坊主とか芸者の浮世離れしたバカ話を聞き、ぐっすり寝て仕事を忘れるに限る。翌朝は頭が爽快で、また新しい構想が浮かぶのだ。
五島慶太