三昧ということが必要である。女でも、碁、将棋、スポーツなんでもよい。三昧になる、すなわち「空」になるということが必要である。
五島慶太 東急コンツェルン創始者
この名言を見ている方にお薦めの名言
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私は、苦い経験を通じて、最高の教訓をひとつ学んだ。怒りをコントロールするということだ。蓄えられた熱がエネルギーに変わるように、抑制された怒りを、世界を動かす力に変えることができる。
マハトマ・ガンジー 宗教家、政治指導者
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健康に遊ぶのは俺のすごく大事なところだから。遊ぶために仕事してるっていうのもあるし、遊ぶために体が動くほうがいいからトレーニングもしてる。
ヒロミ タレント・実業家
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毎朝、その日の計画を立て、それを実行する者は、多忙の中で人生の迷路に迷い込んでも出口を見つけられる「魔法の糸」を手にしている。
ヴィクトル・ユーゴー 小説家、詩人
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過去を忘れて、現在を疎かにし、未来を恐れる者の生涯は短く、悩み事が多い。
ルキウス・アンナエウス・セネカ 哲学者、政治家、戯曲家
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すべて八分目、この限度を守ってさえいれば、たとえ成功しても、調子に乗り過ぎて、失敗する憂はない。他人からそしられるような事がなくて済むと思う。私は、これが世渡りの最も大切な要諦であると信じている。
小林一三 阪急グループ創業者
五島慶太の他の名言
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一日の労苦を忘れるには、坊主とか芸者の浮世離れしたバカ話を聞き、ぐっすり寝て仕事を忘れるに限る。翌朝は頭が爽快で、また新しい構想が浮かぶのだ。
五島慶太
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東横電鉄では、私のために慰謝金として株主総会の決議により五万円を贈呈してくれたのであるが私としてはこの金をもらうわけにはいかず、ひとつこれを教育事業に使って見ようと思い、この五万円に私財十二万円を加えて十七万円の金で東横女子商業学校を設立した。前述のように私は元来教育事業というものには情熱をもっていたのであるがこの女子商業学校が、後に財団法人東横学園となり、現在の学校法人五島育英会として幼稚園から大学までの総合教育機関にまで発展して来たことを思うと、何かの因縁があるような気がして感慨ひとしおである。
五島慶太
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私は、新橋駅での東京高速鉄道と東京地下鉄の相互乗り入れが必要と考えたが、東京地下鉄の創立者で社長であった早川徳次はガンとして自説を曲げないのみならず、かえってあらゆる手を使って阻止運動を激化してくるのであった。そこで東京地下鉄の経営権を掌握して、早川を追出すより方法はないと考え、昭和十四年の夏、当時大日本電力と北電興業の二つの会社をやっていた穴水熊雄氏のところへ日参したあげく、ようやく同氏の持っていた東京地下鉄株を四十五万株譲り受け、ついに早川を追出して現在のような地下鉄をつくり上げたのである。早川は早稲田出身だから慶応閥の銀行は早川を擁護しなかった。この時は、苦心惨憺して日本ではじめて地下鉄を作り上げた早川を容赦もなくたたき出して、粒々辛苦して作り上げた早川の事業を奪い取ったというわけで、世間は早川に同情するし、私はずいぶんたたかれたものである。
五島慶太
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人の成功と失敗の分かれ目は、第一に健康である。次には熱と誠である。体力があって熱と誠があれば必ず成功する
五島慶太
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一週間に一回、嘉納治五郎先生から倫理の講義を聞いたが、先生は柔道の格好で太い腕節を出して「なあに」という精神が一番必要だ、どんなことにぶつかっても「なあに、このくらいのこと」というように終始考えろということを言われた。先生の「なあに」精神はいまでもはっきり頭に残っている。
五島慶太
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私は沿線の人たちに「良品を廉価に」提供する目的で東横百貨店を渋谷に作った。
五島慶太
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私は「予算即決算主義」というものを確立して、これをキップ切りにまで徹底させた。私は今でもこれを事業経営の哲学としているが、東横電鉄などもこの間を苦心惨胆して持ちこたえて来たればこそ、今日の盛大をみることができたのである。
五島慶太