6か月間の獄中生活の苦悩は、おそらく経験者でなければその心境を推察することは不可能であろう。私はこのときが人間として最低生活であった。だが、こういうときにこそ人間の日ごろの訓練とか修養とかがハッキリ出てくるものである。
五島慶太 東急コンツェルン創始者
この名言を見ている方にお薦めの名言
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愚者は教えたがり、賢者は学びたがる
アントン・チェーホフ 劇作家、小説家
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万事はどうなるかという先を見通して、前もって決めておくことが肝心だ。人は生まれると必ず死ぬべきものである。死ぬべきものだということを前に思い定めてかかれば、生きているだけ日々もうけものだ。これが、わが道の悟りである。
二宮金次郎(二宮尊徳) 農政家、幕臣
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やったことが返ってくるのが人生というもの。もっと走るべきだし、タイトにプレーすべきだ。全てが返ってくるのだからやらなくてはいけない。
イビチャ・オシム サッカー監督
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私は人生というものはなるようにしかならない、と考えている。だから最悪の状態が来てもジタバタしない。これ以上悪くならない。そう思って落ち着いている。今が最悪だからこれからやよくなる。そう思ってがんばる。
藤田田 日本マクドナルド、日本トイザらス創業者
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人間には生涯に一度は戦いに加わらねばならぬ時がある。
遠藤周作 小説家
五島慶太の他の名言
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昭和初頭の財界不況に遭遇し、私はしばしば自殺を考えるに至るほどの苦しさを経験した。ときには社員の給与にも困難し、十万円の借金をするのに保険会社に軒並み頭を下げて回り、皆断られて小雨の降る日比谷公園をションボリ歩いたこともあった。松の枝がみな首吊り用に見えて仕方がなかった。しかし、いまにして思えば、すべて信念と忍耐力の問題であった。
五島慶太
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予算を軽視して、どうして満足すべき決算が得られようか
五島慶太
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私はとにかく、「強盗慶太」の異名を頂戴するくらいであったから、事業のための私であり、事業あってこその生涯だった。
五島慶太
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俺は、その日のことはその日で忘れる主義だ。その日に決断のつかないことを、思い悩んで明日まで持ち越すようだと、明日の戦争は負けだ。
五島慶太
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私は、新橋駅での東京高速鉄道と東京地下鉄の相互乗り入れが必要と考えたが、東京地下鉄の創立者で社長であった早川徳次はガンとして自説を曲げないのみならず、かえってあらゆる手を使って阻止運動を激化してくるのであった。そこで東京地下鉄の経営権を掌握して、早川を追出すより方法はないと考え、昭和十四年の夏、当時大日本電力と北電興業の二つの会社をやっていた穴水熊雄氏のところへ日参したあげく、ようやく同氏の持っていた東京地下鉄株を四十五万株譲り受け、ついに早川を追出して現在のような地下鉄をつくり上げたのである。早川は早稲田出身だから慶応閥の銀行は早川を擁護しなかった。この時は、苦心惨憺して日本ではじめて地下鉄を作り上げた早川を容赦もなくたたき出して、粒々辛苦して作り上げた早川の事業を奪い取ったというわけで、世間は早川に同情するし、私はずいぶんたたかれたものである。
五島慶太
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事業で成功するにしても、利殖するにしても、不可欠なものは信念である。
五島慶太
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私は沿線の人たちに「良品を廉価に」提供する目的で東横百貨店を渋谷に作った。
五島慶太
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人間は時々、努めて頭を空っぽにしなければだめだ。
五島慶太
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若い女と馬鹿話をしていると、仕事の話や世間の苦労からまぬかれて頭の中が「空」になってくる。そうすると夜熟睡できるので、また明日への活力が出てくるのである。これが私の健康法である。
五島慶太