出光佐三

出光興産創業者

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出光佐三の名言

出光佐三の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 僕は努めて難関を歩け、ということを言ってきた。ある目標に達する時にイージーゴーイングをすれば、すぐに達せられる道がある。これは経済学の教えである。けれど僕は、努めて難関を歩けということを言って、経済学の原理とは反対の行動をとってきた。なぜかといえば人間の目標は、ここにあるのではない。その先の先にあるからだ。

  • 人生は実行であり現実である。百の名論卓説より、一つの凡策である。

  • 人間がつくった社会である。人間が中心であって、人間を尊重し自己を尊重するのは当然過ぎるほど当然である。種々の方針や手段はこれから派生的に出てくるのである。

  • 出光は石油業というような些事をやっているのではない、出光の真の目的は人間が真に働く姿を現して、国家社会に示唆を与えよ。

  • 金の奴隷となるな、人を主とし金を従とせよ。

  • 人間なら誰だって過ちがある。僕が過ちをやっても咎められず、社員がやると咎められる、ていう法はないと思う。それだから人間らしいあやまちは咎めない。ただ、そこで忘れてはならないのは、後で自己を反省する心のあり方だ、反省する心の積み重ねがあって、初めて失敗は尊い経験となって生きてくる。したがって、失敗はその人にとって尊い授業料となりうる。そこに進歩がある。

  • 若い社員の教育によって、若い社員が出光人というのはどういうものであるかということを自発的に自問自答し始めたから、もう大丈夫です。いわゆる自問自答会ができたごとく、自分に質問して自分に答える。これは自分のものになるということです。本を読んだり、人に教えられたりしたものは自分のものにならない。

  • 生活を質素にしたり、われわれが経費を節約するというようなことは金を尊重することで、奴隷になることではない。それからまた、合理的に社会・国家のために事業を経営してそして、合理的に利益をあげる。これは金を尊重することだ。しかしながら、昔の商人のように人に迷惑かけようが、社会に迷惑かけようが、金を儲けりゃいい。これは金の奴隷である。それを私はとらなかった。

  • 出光商会は事業を目標とせよ。金を目標とするな。しかしながら決して金を侮蔑し軽視せよと言うのではない。

  • 黄金、学問、組織・機構、権力、数・理論、主義、モラルの奴隷になるな。

  • 個人主義は利己主義になって、自分さえ良ければいい、自分が金を儲ければ人はどうでもいい、人を搾取しても自分が儲ければいいということになっている。ところが本当の個人主義というのは、そうではなくてお互いに良くなるという個人主義でなければならない。それから自由主義はわがまま勝手をするということになってしまった。それに権利思想は、利己、わがままを主張するための手段として人権を主張する。この立派な個人主義、自由主義、権利思想というものが悪用されているのが今の時代で、行き詰っている。

  • 努めて難関を歩いて、努めて苦労を味わう。これが人間としては、大切なことである。

  • 出光商会はその構成分子である店員の人格を尊重し、これを修養し、陶冶し、鍛錬し、かくして完成強化されたる個々の人格を、更に集団し、一致団結し、団体的偉大なる威力を発揮し、国のため、人のために働き抜くのが主義であり、方針であるのであります。

  • 私は今後は、何もいままでのことにとらわれないで、出光個人の感情ではなく、私たちの仕事は国家の仕事であるという見地から仕事を進めていきたいという気持ちを持っている。

  • 人間は自分のする仕事が直接目に見えないと、仕事をする気にはならないものだ。第一線の本当に働く人だけで仕事をやったらいいだろう。人間があまりに多いと、自分の仕事の持ち分がわからなくなる。そうしたときは働かなくなる。

  • 君たち、店員をなんと思っておるのか。店員と会社はひとつだ。家計が苦しいからと、家族を追い出すようなことができるか!

  • 禅的な言葉でいえば自分を殺す、身を犠牲にするというか克己の精神、これが私の信念である。したがって会社の経営も利益本位じゃなく商売本位、事業本位という考え方になった。

  • 本を読まなかったので、自然自分で考えるようになった。本を読んでいたら仕事も人の後を追っかけているようなことが多い。考えて考えて考え抜くことが大事だ。

  • 順境にいて悲観し、逆境にいて楽観する。

  • 本を読んでいたら仕事も人の後を追っかけているようなことが多い。考えて考えて考え抜くことが大事だ。

  • 付焼刃の親切や、鍍金の親切では駄目である。親切は徹底せねばならぬ。上下、又は同僚間に、気兼や遠慮がある様では、親切は決して徹底していない。肉親の兄弟を鞭打つ以上の打解けたる親切であらねばならぬ。誤解を恐れたり、自分の立場を考える様では、人に親切は出来ぬ。

  • つねに好景気が続くものなり、と考えていたから、今度の不況のようなときにとり乱して右往左往するんだ。ぼくは景気のいいときに、景気の悪いときのことを考えて準備しておけと言っている。

  • 事業資金として大いに金を儲けねばならぬ。経費も節約せねばならぬ。冗費無駄を省かねばならぬ。ただ将来の事業の進展を邪魔するような、儲け方をしてはならぬ。あくまでも事業を主とし、資本蓄積を従とし、この本末を誤ってはならぬ。

  • いま一人静かに考えると、体の弱かったということは不幸せであったが、その反面、非常に自分というものが変わったものにできたと思っている。

  • まず営業の主義を社会の利益に立脚せんとしました。事業の生命は社会と共に永久であるからであります。

  • 僕は日本人として日本人らしく実行の道を歩いてきた。妥協を排し、誘惑に迷わず、ただひたすらに日本人の道を歩いてきたに過ぎない。

  • わが社の資本はカネでなく、人間だ。カネは資本の一部だ。いちばん大切なのは人。人が第一であって、人が事業をつくり、事業がカネをつくる。カネは人についてくる。

  • 真面目に働く者が、それに見合う報酬を受けるのは当然の理である。好・不況にかかわらず、社員の生活は保障されねばならない。ぜいたくはいけないが、貧しいのはもっといけない。

  • 終戦から2日後の8月17日、社員一同に対し僕は3つのことを伝えた。1. 愚痴をやめよ。2. 3000年の歴史を見直せ。3. 今から建設にかかれ。

    解説:  第二次世界大戦で会社が壊滅的な打撃を受けたときの従業員に向けての言葉

  • 仕事の上ではお互いに独立して、僕は僕なりの仕事をしておるし、従業員は従業員なりの仕事をしておる。言い換えれば、各自の受持の仕事の上では、お互いに自主独立の経営者だということだ。出光の若い人が「私は経営者です」といっているそうだが、それはみなが権限の規定もなく、自由に働いているということであって、ぼくはこういう形が理想だと思う。

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出光佐三について

出光佐三は25歳で石油卸売業の出光商会を設立。積極的に販路を広げることで日本有数の石油精製・販売会社を築き上げた。第二次大戦前には多額納税者議員として貴族院の議員にもなった。百田尚樹氏の小説「海賊とよばれた男」のモデルになったことでも知られる。

1885年(明治18年)現在の福岡県宗像市に藍問屋の息子として生まれる。神戸高等商業学校(現・神戸大学経済学部)卒業後、小麦粉や石油・機械油などの卸売をしていた酒井商店に丁稚として働き始める。当時のエリートである神戸高等商業学校の卒業生が丁稚奉公するというのは珍しいことであった。1911年(明治44年)出光佐三は25歳のとき独立し、北九州の貿易港・門司で石油販売業の出光商会を設立。当初は販売が振るわなかったものの、近隣の漁港・下関の漁船への販売に目をつけ、当時割高だった灯油に代えて軽油を使用することを提案、さらに漁船に横付けした船で海上販売を行うなどして、売上を伸ばした。漁船への販売で経営を安定させた出光佐三は、中国大陸への進出を目指し、南満州鉄道への販売を画策し、車軸油の納入に成功、さらに極寒の満州に対応した車両油を開発するなどして信頼を得た。さらに1920年(大正9年)には朝鮮鉄道への車両油納入開始、1922年(大正11年)には台湾で漁船燃料の販売を開始するなど、出光佐三は海外展開を推し進めた。さらに1937年(昭和12年)、多額納税者の互選により、貴族院の多額納税者議員に選ばれた。1940年(昭和15年)出光興産株式会社を設立。1945年(昭和20年)日本が第二次世界大戦に敗戦すると、事業の大半とほぼすべての海外資産を失う。出光佐三は従業員に再建を呼びかけ、一人たりとも解雇しないことを伝えた。1947年(昭和22年)公職追放により貴族院議員資格を失う。同年、石油配給公団が設立されると、GHQへの働きかけにより出光興産も公団販売店として指定され、石油業を再開。1949年(昭和24年)石油配給公団が廃止され、石油元売り制度が始まると、10社指定された石油元売業者の一つに選ばれた。その後は紆余曲折を経ながらも出光興産は日本石油に次ぐ、日本で二番目の規模を誇る石油元売業者に成長。1966年(昭和41年)出光佐三は社長を退き、会長に就任。1972年(昭和47年)には会長も退いた。1981年(昭和56年)死去。享年95歳。