ジョン・ロックフェラー

ロックフェラー財閥創設者

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ジョン・ロックフェラーの名言

ジョン・ロックフェラーの過去の名言をまとめた名言集です。

  • ただ金持ちになるために始めた者は成功しない。もっと大きな野心を持たなくてはならない。

    出典:  ジョン・ロックフェラー「Random Reminiscences of Men and Events」

  • どれだけのお金が人を幸せにするかって?それはあともう1ドルだよ。

  • 世界で最も貧しい人間は、金以外の何も持っていない人間である。

  • もし、あなたが成功したいのであれば、踏みならされ受け入れられた成功の道を進むのではなく、新たな道を切り開きなさい。

  • 何百万ドルの富を築いても、私はそれで幸せを得ることはなかった。

  • 大志を語り、夢を語る者は、事実を語る者よりも影響力を持つ。

  • 事業に成功するための第一条件は、忍耐と最後には必ず報いられるという信念だ。

  • 成功の鍵は、普通の仕事を特別に上手くやることだ。

  • 私は災難が起こるたびに、これを良いチャンスに変えようと努力し続けてきた。

  • 事業の成功には、奇跡はない。永遠の成功は、自分を信じることだ。

  • 事業は自分のためより、人のためにすることから始めよ。

  • 私は若い頃、働くことと同じくらい遊ぶように教えを受けた。私の人生は長く続く幸せな休暇のようだ。不安は捨て去り、仕事に満ち、遊びに満ちている。そして、神はいつも私に親切だ。

    出典:  ジョン・ロックフェラー「John D. Rockefeller on Making Money」

  • 自立することの喜びはなにものにも代えがたい。他のなにかのためにそれを犠牲にしてはならない。

  • 世の中の人は私がとてつもない働き者で、昼夜の区別も、夏冬の区別もなく、いつも仕事をしていると思い込んでしまっている。本当のところは、30代半ばを過ぎてからは怠け者だった。

  • 神は私にお金をお与えくださった。私はお金を生む能力は神が与えてくださった才能だと信じている。与えられた才能を活かし、お金を稼げるだけ稼ぎ、それを私の良心に従って同胞のために使うことは、私の義務だと思っている。

  • 私は財産を築こうという野心があったわけではない。お金を稼ぐことは目標ではなく、やりたいことをやっただけだ。

  • 考えなさい。金持ちじゃなくても考えることはできるだろう。

  • 自分の行動に責任をもった時、人は大人になり、自らリスクを背負ったときに社会人となる。

  • 金自体を目的に生きている人間ほど、哀れで卑しい存在はない。

  • 快楽に溺れる人生ほど、つまらない生活は思い当たらない。

  • 金を稼げるだけ稼ぎ、維持できるだけ維持し、与えられるだけ与えるのは、私の義務である。

  • 私は落伍者を登用することはない。彼が失敗した原因は私には関係ない。私はただ成功者を仲間にしたいのだ。

  • 他人に与えることは健全な人生を送る秘訣だ。与えるのはお金である必要はなく、元気でも同情でも理解でもなんでもよい。

  • 私は何でも知っている者よりも、情熱に溢れた者を雇う。

    出典:  ジョン・ロックフェラー「John D. Rockefeller on Making Money」

  • 最善のために、次善を諦めるのを恐れてはならない。

  • 私は初めて仕事に就いたときから、自分の時間と頭をすべて仕事漬けにするようなことはしてきていない。

  • 金の奴隷になるのはもうやめた。金を奴隷に使ってやるのだ。

  • 幸福への道は、二つの簡単な原則に集約される。一つ目は興味があって、自分が得意とするものを見つけること。二つ目は、一つ目で見つけたものに、情熱と才能とエネルギー、もてるもののすべてを注ぎ込んで全力でそれにあたることである。

  • 儲けるための秘訣は、血が流れている時に買うことだ。

    出典:  ジョン・ロックフェラー「John D. Rockefeller on Making Money」

  • この世で最も他人に貢献したものが、最も成功する。

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ジョン・ロックフェラーについて

ジョン・ロックフェラーは石油業でのし上がったアメリカ屈指の富豪。当時、新しいエネルギーだった石油のビジネスに目をつけ、石油精製業のスタンダード・オイル社を設立。スタンダード・オイル社は瞬く間に成長し、わずか10年余りで全米の石油精製の約9割を占めるまでになったという。その後、トラスト方式による企業連合を結成し、市場の支配による利益の独占を目指した。しかし、反トラスト法であるシャーマン法が成立すると、会社は分割を命じられ、ジョン・ロックフェラーは引退。引退後は慈善事業に力を入れ、ロックフェラー財団を設立したり、シカゴ大学やロックフェラー大学を設立した。

1839年アメリカ・ニューヨーク州リッチフォード生まれ。ロックフェラー一族はユダヤ系で、15世紀までスペインで広大な土地を保有する地主だったが、スペイン国王により追放され、トルコ・フランスを経てアメリカに渡ったという。クリーブランド中央高校で学んだ後、フォルソムの専門学校で10週間のビジネスコースを受け、簿記などを学んだ。1885年ジョン・ロックフェラー16歳のとき、製造委託会社のHewitt & Tuttleで簿記係として初めての職を得た。1859年友人のモーリス・クラークと製造委託会社を立ち上げる。1863年ジョン・ロックフェラーは石油ビジネスに参入する。当時の石油業界は、政府の補助によって買い取り価格が引き上げられ、石油掘削のブームが起きていた。ジョン・ロックフェラーは石油の掘削ではなく、精製に目を付け、製油所に投資。当時、他の製油所は油の6割を灯油に精製し残りの4割は捨てていたが、ジョン・ロックフェラーは灯油を精製した残りを製油所の燃料にしたり、ワックスなど他製品に使うことで廃油を減らし、大きな利益を上げた。1865年共同創業者だったモーリス・クラークとの折り合いが悪くなり、72,500ドルを支払って製油所を全て買い取った。

1870年全米でも有数の精油業者になっていたジョン・ロックフェラーはスタンダード・オイル社を設立。スタンダード・オイルは急成長を遂げる。ロックフェラーはライバルの石油精製業者や石油パイプラインや石油の配送業者、石油製品など関連ビジネスに次々に投資して傘下に入れ、1882年スタンダード・オイル・トラストを設立。1880年代には一時全米の石油精製でシェア9割を得るまでに成長した。しかし、1890年不公正な利益独占を防ぐための反トラスト法・シャーマン法が成立。スタンダード・オイル・トラストから名前を変えたニュージャージー・スタンダード石油会社は37の会社に分割を命じられた。会社分割とともにジョン・ロックフェラーは引退し慈善事業に力を入れるようになる。数々の大学への財政支援や、シカゴ大学、ロックフェラー大学を設立するなどしたのち、1913年ロックフェラー財団を設立。ロックフェラー財団は公衆衛生を高めることを中心に、病院建設、戦時救護など幅広い活動を行った。1937年動脈硬化により死去。享年97歳。