アンドリュー・カーネギー
カーネギー鉄鋼会社創業者
アンドリュー・カーネギーの名言
アンドリュー・カーネギーの過去の名言をまとめた名言集です。
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生きていくために収入が必要だからというだけの理由で、好きでもない仕事をしながら人生を漫然と過ごすなんて、悲劇でしかない。
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チャンスに出会わない人間は一人もいない。それをチャンスにできなかっただけである。
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あなたはあなたが考えた通りの自分になる。だから、大きく考え、大きく信じ、大きく行動し、大きく働き、大きく与え、大きく許し、大きく笑い、大きく愛し、大きく生きなさい。
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お金をただ与えてしまっては、人を堕落させる。努力している人に援助することが本当の慈善である。
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人を扱う場合、相手を論理で行動する動物だと思ってはならない。相手は感情で行動する動物であり、しかも偏見に満ち、自尊心と虚栄心によって行動するということを、よく心得ておかねばならない。
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世の中でやり手と呼ばれるような機敏で活動的な成功者は、ほとんど何をするにも、明確な目標を持って動いている。彼らは明確な動機と計画に従って行動し、目指すものを知り、そこに達するまで諦めないことを固く決意しているので、たいていは目的を達成する。
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富とは自尊心を満たすものではなく、空腹を満たし、人を助けるものだ。そしてそれは人々の自立を促すものだ。
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他人と最もうまく協力できる人が、最大の成功を収めることになる。
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一番乗りはカキを得るが、二番目の人は貝殻しか得られない。
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貧しい家に育った子供は、裕福な家庭の子たちと比べ、なにものにも代えることのできない、尊い宝を与えられている。
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絶対に出世ができない人間には2種類ある。1つは言われたことができない人。もう1つは言われたことしかできない人だ。
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この道は一度しか通らない道。だから人の役に立つこと、人のためになることは今すぐやろう。先に延ばしたり忘れたりしないように。この道は二度と通れないのだから。
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忘れてはいけない。幸せはあなたが何者であるか、あるいは、何を持っているかによって決まるのではない。何を考えるかによって決まるのだ。
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諸君の精力と思考とを、自分の使命に集中させよ。なすべきことを、とことんまでやりぬけ。あらゆる改善をし、あらゆることに精通し、なすべき仕事を完璧に習得せよ。
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自らを立ち上がろうとしない者を救おうとしても無駄だ。ハシゴを自分で登る意思のないものを、他人が押し上げることなどできないのだ。
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全ての人は、水があるべき高さに流れるように、あるべき位置に引き寄せられる。その位置は行った仕事のの質と量、他者に対する態度によって正確に測られる。
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他人を豊かにせずして豊かになった者はいない。
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貧困や教育の欠如、全ての恐れと迷信に打ち勝つ力があなたにはある。自らの心を制御し、自らの望むものにその力を向けるのだ。
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よりよい成果が得られるのは、自分が一番好きな仕事をしているときだろう。だから、人生の目標は、自分が好きなことを選ぶべきなんだ。
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心構えは、声のトーン、顔の表情、体の姿勢に影響し、その人が抱くあらゆる感情の性質を、左右するとともに、その人が話す言葉の印象を変える。
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強烈な願望を抱いた者の心からは、恐れや疑いや、自分で課した限界が取り除かれる。
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人が最高の力を発揮するのは、自分がやりたいと思うことをする時だ。
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自分の意欲をかき立てることができない人たちは、他の才能がいかに感嘆すべきものであろうと、凡庸に甘んじるしかない。
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自分の名誉を傷つけることができるのは、自分だけだ。
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成功の哲学を理解し、成功を掴むための段階を踏めば、誰でも偉業を達成することが可能だ。
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金持ちになる唯一の目的は、他人に金を与えることだ。
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全てを自分で行おうとする者、また全ての手柄を得ようとする者は、偉大なリーダーとはなれない。
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人を解雇して工場を残したら、工場にはすぐに草が生えるだろう。工場をなくして人を残したら、すぐに新しくてもっと良い工場が手に入るだろう。
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困難に対処するとき、最初にすべきことは不平を言うことでも、泣き言を言うことでもない、立ち向かって積極的に行動を起こすことだ。あなたは立ち向かう困難が、考えていた半分にも満たないと気づくだろう。ただ立ち向かえ、それが全てだ、妥協してはいけない、最後に砕けるのはあなたではない、困難の方だ。
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すべての成功、すべての巨富は、まずアイデアから始まる。
アンドリュー・カーネギーの名言を見ている方へお薦めする名言
アンドリュー・カーネギーの残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。
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小さな挫折や失敗を気にせず、「今日はこれだけやれた」という達成感を積み上げていく。無理しない範囲で、できることを積み重ねていけば、やがて無理が効くようになります。私は70歳でエベレストの頂に立つという大きな目標を掲げながら、日々の生活では階段を一段一段上ることに意義や喜びを見出してきました。
三浦雄一郎 登山家、プロスキーヤー
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昨日と今日のおまえは違うだろ。昨日からの1日で経験した何かを足さなければ、その演技は過去のもの。常に新しいものを提示する意識を持つんだ。
蜷川幸雄 演出家、映画監督
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戦後の日本人はいつの間にか、働くことと利を得ることを一緒にして利を得るためにだけ働くようになった。利がすべての目的に変わった。利のためにほかのものを多少は犠牲にしていいという風潮が社会を支配した。
遠藤周作 小説家
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表面を作る者を世人は偽善者という。偽善者でも何でもよい。表面を作るという事は内部を改良する一種の方法である。
夏目漱石 小説家
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諸君は必ず失敗する。成功があるかもしれませぬけど、成功より失敗が多い。失敗に落胆しなさるな。失敗に打ち勝たねばならぬ。
大隈重信 内閣総理大臣、早稲田大学創設者
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私は株を買う理由を1ページ書き続けられないなら買わない。間違っているかもしれないが、私はいつも理由を把握している。
ウォーレン・バフェット 投資家、バークシャー・ハサウェイ会長兼CEO
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知性とは、情報を蓄える能力ではない。どこで情報を得られるか知っていることだ。
アインシュタイン 物理学者
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自由貿易と自由な市場において、貧しい人々が貧しいのは他人が金持ちだからではありません。実際に、金持ちの富みを減らしても、貧しい人々は貧しいままでしょう。
マーガレット・サッチャー イギリス初の女性首相
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変わることがなければ成長することもない。成長することがなければ真に生きていない。
ビル・ゲイツ マイクロソフト創業者
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一家の生計を立てるのも学問です。商売をするのも学問です。時代の動きを察知するのもまた学問なのです。和漢洋の書物を読むことだけが学問であるという考え方は正しくありません。
福沢諭吉 思想家、教育家
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全てをやろうとしてはいけない。一つのことを上手くやるんだ。
スティーブ・ジョブズ アップル創業者
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オレは鍛えるのが好きなんじゃなくて成長するのが好きなんだ。
武井壮 タレント、元陸上選手、トレーナー
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限界には、限界はありません。限界の定義は何だと思いますか。限界は個々の選手の目標で、限界を超えれば、次の限界が生まれるのです。
イビチャ・オシム サッカー監督
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真剣に、妥協することなく努力を続けていたら、その過程において無駄になる時間なんて一切ありません。
野村忠宏 柔道家
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人間の一番の弱点は既成概念。それを外すとどんなことでもできるようになる。
樫尾和雄 カシオ計算機創業者
アンドリュー・カーネギーについて
アンドリュー・カーネギーはスコットランドの貧しい労働者階級の家に生まれながら、アメリカに移住して鉄鋼会社「カーネギー製鉄会社」を創業。鉄鋼関連事業への多角化などにより、世界で最も収益力のある企業に育て上げ、鉄鋼王と呼ばれた。当時、ジョン・ロックフェラーに次ぐ史上2番目の富豪とされた。
1919年スコットランド・ダンファームリンで生まれる。父はリネンの織物工、母は靴の修理をしていたが、貧しい家庭だった。織物工場の蒸気機関による機械化に伴って、織物工の父が失業の危機に陥ったことをきっかけに、アンドリュー・カーネギーが12歳のときに一家はアメリカのペンシルベニア州に移住。一家の家計を助けるため、アンドリュー・カーネギーはすぐに綿工場で働き始める。当時の時給は2セントにも満たなかったという。その後オハイオ電信会社で電信配達や電信オペレーターの仕事をしたあと、1853年ペンシルバニア鉄道に転職。そこでのちにペンシルバニア鉄道社長となるトマス・アレクサンダー・スコットと出会う。最初アンドリュー・カーネギーはピッツバーグ管区長だったスコットの秘書兼電信士を務めた。そこで信頼を得ると、スコットが副社長に昇任した際に、スコットの後任のピッツバーグ管区長に指名される。さらにスコットがCEOに就任した際には、アンドリュー・カーネギーが副社長として経営を支えた。
1865年アンドリュー・カーネギーはペンシルバニア鉄道を退職し、鉄橋建設のキーストン鉄橋会社を創業。さらにユニオン製鉄所も創業した。ペンシルバニア鉄道とのコネクションを利用してキーストン鉄橋会社が鉄橋建設を受注し、その鉄はユニオン製鉄所が供給した。効率的な高炉の発明などにより収益力を高めたアンドリュー・カーネギーは、ライバルの製鉄所や石炭鉱山、鉄鉱石鉱山、鉄を運ぶ貨物船など、関連企業を次々に買収。1892年これらの企業を統合させてカーネギー鉄鋼会社を設立した。1901年ジョン・ピアント・モルガンの仲介により保有するカーネギー鉄鋼会社の株式を売却。カーネギー鉄鋼会社は連邦鉄鋼会社と合併してUSスチールとなった。ビジネスから退いたアンドリュー・カーネギーは慈善活動に力を入れ、カーネギー図書館と呼ばれる公立図書館の設置、カーネギー工科大学の開設、スコットランド・カーネギー基金やカーネギー教育振興財団の設立などを行った。また、ニューヨーク、ウェストバージニア州ルイスバーグ、ペンシルベニア州ピッツバーグ、スコットランド・ダンファームリンなどにコンサートホール「カーネギー・ホール」を建設した。1919年気管支肺炎により死去。享年83歳。