松下幸之助

パナソニック創業者

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松下幸之助の名言

松下幸之助の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 深刻な顔をする前に、ちょっと視野を変えてみるがよい。それで悪ければ、また見方を変えればよい。そのうちに、本当に正しい道がわかってくる。模索のほんとうの意味はここにある。そしてこれが出来る人には、ゆきづまりはない。

  • 熱意なき人は描ける餅の如し。知識も才能も、熱意がなければ無に等しいのである。お互いに一生懸命、精魂込めて毎日の仕事に打ち込みたい。

  • 人より一時間、よけいに働くことは尊い。努力である。勤勉である。だが、今までよりも一時間少なく働いて、今まで以上の成果をあげることも、また尊い。そこに人間の働き方の進歩があるのではないか。

    出典:  松下幸之助「道をひらく」

  • 「石の上にも三年」という。しかし三年を一年で習得する努力を怠ってはならない。

  • なんとしても二階へ上がりたい。どうしても二階に上がろう。この熱意がハシゴを思いつかせ、階段をつくりあげる。上がっても上がらなくても、と考えている人の頭からは、けっしてハシゴは生まれない。

  • どうしてみんなあんなに、他人と同じようなことをやりたがるのだろう。自分は自分である。百億の人間がおっても、自分は自分である。そおに自分の誇りがあり、自信がある。

  • 全体で決まったことなので・・・などというのは、責任者として取るべき責任の自覚が欠けている。

  • 私は、失敗するかもしれないけれども、やってみようというような事は決してしません。絶対に成功するのだということを、確信してやるのです。何が何でもやるのだ、という意気込みでやるのです。

  • 人と比較をして劣っているといっても、決して恥ずることではない。けれども、去年の自分と今年の自分とを比較して、もしも今年が劣っているとしたら、それこそ恥ずべきことである。

  • 商売というものは、売る方も買う方も双方が喜ばなければいかんものです。買った人は、こういうものが買えて良かった、大変便利だとか、豊かになったとか、そういう喜びを持つ。売った者も、その喜びを感じてもらうと同時に、利益も残ったというふうにね。

  • 何か事を成し遂げようとする場合、熱意のあるなしが成否を決める一番のカギとなってくる。

  • 失敗せずに名人になろうと思っても、それは虫がよすぎるな。

  • 他人の道に心を奪われ、思案にくれて立ちすくんでいても、道は少しもひらけない。道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。心を定め、賢明に歩まねばならぬ。

  • 機会というものは真に熱意を持って事に当たっておれば、随所にあるものではないだろうか。

    出典:  松下幸之助「思うまま」

  • 成功することころまで続ければ、それは成功になる。

  • 逆境もよし、殉教もよし、要はその与えられた境涯を素直に生き抜くことである。

  • 成功を邪魔するものは、結局自分自身である。世間は誰一人として邪魔をしない。

  • 私には3つの財産がある。それは学校へ行かなかったこと。健康に優れなかったこと。そして、決断に弱かったことだ。だから、人が教えてくれたり、助けてくれたりして成功した。

  • 松下電器は人を作る会社です。あわせて電気製品を作っています。

  • 100のうち1つ成功すれば、すべての成功につながる。

  • 自分ひとりの頭で考え、自分ひとりの知恵で生み出したと思っていても、本当はすべてこれ他から教わったものである。

  • 失敗の中にも成功の兆があり、成功の中にも失敗の兆がある。

  • 「それは私の責任です」ということが言い切れてこそ、責任者たりうる。

  • 何事によらず、志を立てて事を始めたら、少々うまくいかないとか、失敗したというようなことで簡単に諦めてしまってはいけないと思う。一度や二度の失敗でくじけたり諦めるというような心弱いことでは、本当にものごとをなし遂げていくことはできない。

  • 一流の人材ばかり集めると会社はおかしくなる。世の中、賢い人が揃っておれば万事上手くいくというものではありません。賢い人は、一人か二人いればたくさんです。

  • 志を立てるのに、老いも若きもない。そして志あるところ、老いも若きも道は必ず開けるのである。

  • ぼくは、誠実にものを売って、儲けさせてもらうというのは第二のことで、第一はより必要なものを運ぶことだと思う。

    出典:  松下幸之助「社長になる人に知っておいてほしいこと」

  • 自分を励ます言葉を心の中に持て。

  • 苦労を語る前に、私はまず、自分自身の幸運に感謝したい。

  • これだけはどこにも負けない、というものをもつ。余力ができて、手を広げたいときでも、ぐっとがまんして、今やっている仕事を突き進め、世界に通じる水準まで高めていくほうがいい。

松下幸之助について

松下電気器具製作所(現パナソニック)を創業。初期は電球ソケットや乾電池などを生産していた。第二次世界大戦前後に会社は急成長し、日本を代表する電機メーカーとなる。幸之助本人も全国長者番付で10度日本一となるほどの億万長者となり、本田宗一郎らと並んで昭和の日本を代表する起業家と呼ばれるようになる。晩年には松下政経塾を設立し、政治家の養成にも貢献した。

1894年(明治27年)松下幸之助は和歌山県に生まれる。松下家は貧しく、9歳で丁稚奉公に出る。1910年16歳の時、大阪電灯(現:関西電力)に就職。1913年からは働きながら関西商工学校予科の夜間部で学んだ。1917年(大正2年)大阪府の自宅で妻の弟の井植歳男(三洋電機創業者)らと簡単に取り外しが可能な電球の新型ソケットの製造販売を始める。新型電球ソケットの売上は伸び悩み、事業は窮地へと陥ったが、二股ソケットを開発するとこれがヒットし、事業は軌道に乗った。二股ソケットは、当時電気の供給口が電灯用の一つしかなかったため、電灯と他の電気製品の2つを同時に使えるように電気の供給口を枝分かれさせたアイデア商品だった。1927年(昭和2年)松下幸之助は自転車用角型ランプを販売開始。この時から「ナショナル」ブランドを使用する。その後会社は順調に成長したが、第2次世界大戦で日本が敗戦すると満州や台湾、朝鮮などアジア各地に持っていた事業所・工場を失ってしまう。さらにGHQの公職追放により創業メンバーの井植歳男が会社を去った。この頃洗濯機の製造を開始し成功するなど、会社はいわゆる「白物家電」を中心に急成長し始める。1955年「パナソニック」を日本の音響製品用ブランドとして使用開始。1961年松下幸之助は社長職を娘婿の松下正治に譲り、会長職就任。1973年会長職を辞して相談役に退く。1989年気管支炎のため死去。享年94歳。

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