矢野博丈

ダイソー創業者

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矢野博丈の名言

矢野博丈の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 「しまった」と思い続ける、自己否定の積み重ねが大切です。環境が変わったのだから、自分を変えるしか生き残る方法はありません。そして、昨日までのあり方、考え方を否定するしかありません。

  • 働くことは楽しいですよ。一生懸命になったら、なんでも楽しい。

  • いま振り返ると、私の仕事人生は、苦しい思い出ばかりです。とにかく何をやっても上手くいかないし、上手くいきかけると何かが起きて振り出しに戻される。その繰り返しで「自分は運が悪い」「能力がない」ということをつくづく思い知らされました。でも、結果的にはそれがよかったと思っています。

  • 運の半分は、親が頭がいいとか、金持ちだとか、生まれたときにあるんじゃが、半分は自分でつくるもんだったんですよね。感謝とか勤勉を大事にする、そういう考え方を本気でもつことでしょうね。「ワシが、ワシが」とか「楽しよう」とかじゃなくて。

  • 環境が変われば最適な方法が変わる。これはもう仕方がない。けれども、環境が変わっても変わらずに役立つものがある。それが努力だと私は思っている。自分の役に立つかどうかわからん他人のノウハウを吸収するより、自分で努力する力を磨いた方がよほどいい。

  • 挑戦しないと生き残れないし、挑戦したからと言って生き残れる保証もない。ダイソーの商品も常に新しいものを出さないと遅れる。何が売れるかよう分からんようになってきた。安さだけではなく、ファッション性も求められますからね。そうなるとお客さんの好みによって売れる製品の移り変わりも速くなる。商売が難しい時代です。

  • デフレの時代だから、安くしたらお客さんが喜んでくれると思い込んでいる人は多いかもしれません。たしかにお客さんに振り向いてもらうために、とにかく安くしなければならない時代もありました。しかし、いまもその手法が通じると思ってはいけません。

  • 経営では、お客さんの変化を感じ取れる力を磨かなければ、自分が気付かないうちに会社が危なくなります。自分の哲学を押し付けたり、お客さんのある時点での結論が絶対だと勘違いした時点で、会社は弱っていきます。

  • 会社が永遠に成長し続けることなんてありません。それは20世紀にだけ許された価値観で、いまはもう通用しないと心得た方がいいと思います。20世紀後半は、いいことだけが起こり続けた特異な時代だったんです。

  • 私は機会があると、社員に「恵まれた不幸せ」「恵まれなかった幸せ」という話をします。なぜ恵まれないことが幸せなのか。それは将来への不安が努力につながるからです。

  • 明るく店をやっていると、そのお客さんが何も買わなくても、ほかのお客さんが引き寄せられてくる。やはり明るさは、接客の基本なんだね。

  • 好調なときに、「いつかはダメになる、こんなことが長く続くわけがない」と恐れおののく力が会社の力だと思う。

  • 社内の人間的な結びつきが弱くなって、現場よりプレゼンテーションがうまい人が上へ行く傾向がありますね。会議が上手な人が出世するから、会議がめちゃくちゃ多くなる。社内には「会議ばかりすな」というんですけど、やめませんね。ウチもだんだん大企業病になってきましたよ。

  • 悲しみや、苦しみや、痛みの中をさまようことで、人間の年輪はできる。やはり鍛えられながら、人間というものは、できていくものだと思います。

  • 努力は大切だけど、決して努力が万能ではないということも知っておかなければいけない。いくら努力してもダメなときはダメ。努力ですべてが解決すると思うのはおこがましいこと。

  • 私と話したことがある人はよく知っていると思うけれど、私はダジャレやジョークが大好きで、隙があればどんどん会話の中に挟み込む。休憩時間や食事のときの会話だけじゃなく、仕事中でもジョークを思いついたら、すかさず口にする。なぜ私がジョークを言うかというと、それは場を明るくしたいから。もちろん、仕事は真剣にやるもの。かといって、しかめっ面でやっていても上手くいくというものでもない。どうせやるなら、楽しく明るくやった方がいいに決まっている。

  • 人間には、恵まれない幸せと、恵まれる不幸せというのがあるのです。私は運にも才能にも恵まれませんでした。運は神様が決めること。才能がないのは自分。運も才能もないという弱さ、怖さ、おぞましさ。神様は私に目の前のことを一生懸命やる以外に選択肢をくれませんでした。何度も職を変えて試行錯誤しながら、生き延びたくて頑張りました。

  • 人間関係にも気を配り、慎重に相手と話し合い、少しずつことを進めてすらも、失敗するときは失敗します。でも、失敗するしか成長する方法はありません。失敗の苦しみや痛みが大きければ大きいほど鍛えられます。

  • 商品を販売するうえで、誰しも「こういう商品を売りたい」とか「ビジネスはこうあるべき」という理念やこだわりを持っているでしょう。ただ、それは哲学であって結論ではありません。哲学は自分で決めるものですが、結論はお客さんが決めます。この違いが判らず、自分の哲学こそ結論だと勘違いしてしまうと、お客さんから見放されてしまいます。

  • 「人よりたくさん稼ごう」「あいつより出世しよう」というのは20世紀の価値観です。いまは「勝つこと」ではなく「生き延びること」を考えることが必要です。まわりがバタバタと倒れていく中、生き残っていれば、それだけで儲けもの。勝ち負けなんてどうでもいい、生きるか死ぬかの時代になったことを私たちは自覚すべきだと思います。

  • お客さんは気まぐれなもので、結論はコロコロ変わっていきます。商売に最終結論なんてものはありません。「とりあえずの結論」として受け止めて対応していかないと、あっという間に時代から取り残されてしまいます。

  • お客様にはすぐ飽きられるものです。ずっとずっと恐くて、眠れなかったんです。

  • もう守っているだけでは駄目。何でもいいから新しいことをせんといかん。とにかく自ら変化せんと滅ぶしかない。

  • 人手不足対策としての生産性の向上は重要だが、当社の強みは約7万のアイテム数。商品を売り場に並べたり発注したりするだけで相当数の従業員が必要になる。売り切りの商品が多く、こうした作業は減らしにくい。小売りが生産性の向上を進めると、扱える商品数は減る。それは消費者の選択肢を狭めることになる。

  • 今の日本は、どちらかいうと、小さな努力で大きなもうけが欲しい、小さな働きで、ようけ給料がもらいたい、経営というものは効率だという、そんな空気になっていますよね。自分を磨かんといかんですよね。人を支える、人の役に立つ勉強をしないと、人生が楽しくないですよ。

  • 私が経営コンサルタントをあまり信用してないのも、頭でっかちな傾向が強いから。コンサルタントには2種類いて、「頭はいいが実務をたいして経験してない人」「実務をやりながらセミナーなどをやっている人」。後者はまだいいが、前者はダメ。自分で体験してない人の言葉は、軽くて心に響かない。

  • 一人で始めた移動販売が社員3人規模まで大きくなったとき、「よし、ワシも経営の勉強をせにゃいかん」と思って、本を3冊買ってきたことがある。3冊とも松下幸之助さんの本だった。読んでみると、私が考えたこともないようなことがいろいろ書いてある。さすが経営の神様だと思った。その中のひとつに、「経営者には権限移譲する力、部下に仕事を任せる力が必要だ」と書いてあった。だからそれに倣って、それまで平社員だった社員3人をそれぞれ専務、部長、課長にしていろいろ任せることにした。ところがこれは上手くいかなかった。大きな会社で、ふさわしい年月と経験を重ねてきた社員に権限を委譲するのは、効果的なのかもしれない。だけど、当時のうちの社員は年月も経験も浅い。苦労もしないまま役職が与えられると何か勘違いしてしまって、権限移譲の悪い面ばかりが出てしまった。このとき私は、本に書いてあることをそのまま鵜呑みにしたらいけないと思った。

  • 20世紀の企業経営は、成長を前提としていました。しかし、21世紀は明らかにそうではありません。21世紀の人間は、たくましくなければいけません。成長しなくてもいいけれど、日々の営みを積み重ね、執念深く自分の弱みを知り、備える必要があります。

  • 会社を大きくしたいとか、店をたくさん出したい、事業を大きくしたいと思ったことはありません。

  • 日本で、100円均一価格で商品を安く売りすぎた反省もあり、コストもかかる海外では日本より2倍程度高い価格で販売しています。商品にはそれなりの品質で、それなりの価格というものがあるのです。

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矢野博丈について

矢野博丈は100円ショップ「ダイソー」を運営する「大創産業」の創業者。バブル崩壊後の消費不況を迎えた1990年代、店内の商品の価格を100円で統一するという低価格路線で急成長を遂げ、売上高4000億円を超える巨大小売企業となった。「毎日会社が潰れる夢を見る」、「ただひたすら守るしかない」、「やってきたことがいいか悪いかは、ダイソーが潰れる時にならんとわかりません」など、後ろ向きな発言がユニークだとして注目を集める。

1943年(昭和18年)4月19日、太平洋戦争中の中国・北京で生まれる。父は富裕な医師だった。戦争終結後に一家で日本へと引き揚げ、父の実家のあった広島県東広島市に移り住む。広島国泰寺高校在学中、矢野博丈はボクシングの東京オリンピックの強化選手に選ばれている。中央大学理学工学部の二部に入学し、学生結婚。卒業後は妻の実家のハマチの養殖業を継いだが、3年で倒産させてしまう。その後は職を転々としたのち、1972年にに雑貨の移動販売業を始める。これはスーパーの催事場などに雑貨を陳列し、格安で販売する事業だった。この時、値付けの札を貼る手間をかけられなかったことから、矢野博丈は全ての商品を100円で販売する100円ショップの原型となる販売形態を始めた。

1977年「大創産業」を設立。当初は商品の品質の評判が良くなく、売上は思ったように伸びなかった。そこで客を呼ぶために商品によっては原価ギリギリか採算割れで仕入れ、それを呼び水に儲かる商品も買ってもらう商法に変えると、商品の品質の良さが評判になって出店の引き合いが増加。さらにスーパーからテナントとして常時出店するよう要請され、1987年頃から「100円SHOPダイソー」の展開を始める。1991年には同社として初めて路面店を香川県高松市の丸亀町商店街に開店。その後、日本がバブル崩壊後の不況へと突入すると、消費者の嗜好は安さを求めるようになると、100円ショップという商法がそれに合致。ダイソーは急成長を遂げた。2001年には台湾を皮切りに世界各国への出店を始めた。2018年、社長職を次男の矢野靖二に譲り、矢野博丈自らは会長への退いた。