鈴木修
元スズキ株式会社社長
鈴木修の名言
鈴木修の過去の名言をまとめた名言集です。
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減産のときには、外注先にコストの削減を強いるのはもってのほか。そんなことをしてはいかんのです。それは生産が増えているときにすることです。いまみたいなときは、内なるコスト削減。すなわち、おのれのマイナスをいかに減らすかに努力する。
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工場は永遠に未完だ。前年の常識が今年は違う。今やっていることが全部間違っているという前提で見ることだ。
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人と同じ事はやらない。やるなら世界一を目指すのがスズキ。
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民主主義だからといって時間をかければよいというものではない。金と時間がかかるものは大嫌い。会議はその最たるものだ。
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ボトムアップはコストアップ。トップダウンはコストダウン。下からの積み上げで決めようとすると、議論百出て時間ばかりかかる。トップダウンこそコスト削減の近道だ。
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今やっていることを、全部ひっくり返してみよ。
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グローバル化のなかでは、明るい性格のヤツが求められる。明るくアッケラカンとしてる人が、海外で活躍でき、やがてはツキも生む。理屈ばかりで暗い性格はダメ。
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皆の話を聞いていたら、動きが鈍くなって仕方がない。時代の流れを見極め、機敏な対応で生き残るしかない。大事なのは、独りよがりの経営にならないよう、社内外の情報がきちんと集まってくる仕組みをつくることだ。
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強い人と競争しても、弱い人と競争しても、競争は競争。相手がすごいからといって怖じ気づいているようでは最初から負けだからです。自分がベストを尽くせば、おのずから結果がついてくる。固い信念を持って、柔軟にものごとに対処することが肝心だと思います。
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限られた時間で情報を入手し、自分で考えて自分で判断するしかないんだ。そして責任はすべて自分で負う。
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工場内で部品を取りに行くために歩くのは無駄だ。歩かなくても、すぐ部品に手が届くようにしておくこと。そうした無駄な動作に、なぜ賃金を払う必要があるのか。歩くことは何の価値も生み出さない。部品をつくったり、組み立てたりするのが仕事だ。
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セールスは断られてから始まるということです。とにかく足を棒にして歩くことです。自分で自分に言い訳してお客さんのところに飛び込まないようでは、新たな顧客は1件も開拓できません。
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いったん規則ができると、自分の頭で考えずにそれに従う人が出てきます。これを世間では大企業病というのでしょうか。最も頭に来るのがこういう姿勢です。
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製造業は1円のコストダウンが生死を分けるといわれています。1円を大事にするというのは、決して空疎な精神論ではありません。1円の重みというのは、私たちが日々実感していることなのです。売上高3兆円、利益900億円というと非常に大きなビジネスをしているように見えますが、実際には1部品あたり1円50銭の利益を積み上げた結果にすぎません。もし1部品あたり1円50銭のコストダウンができれば利益は倍増しますが、反対に1円50銭コストアップになれば利益は吹き飛んでしまいます。
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インドに進出した当時のスズキは日本の乗用車メーカーとしては最後尾です。国内で1番になれるのが難しいなら海外でやってやるぞという気持ちです。いまのようにインド市場が成長するという先見の明があったわけではありません。勢いに任せて突っ走ったらうまくいったということです。
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ものごとの延長線上で考えるのはダメだとは思っていました。しかし、与えられた環境の中で最善を尽くすことだけがすべてでした。それが私の信念です。
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止まったら負け。この程度の働きで業績が上向くと考える社員がいたとしたら危険だ。
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1位と2位が本気で戦いはじめると、3位以下のメーカーなんて木端微塵に吹き飛ばされる。3位以下の企業というのは不安定で脆弱な存在にすぎず、やはり小さな市場であってもナンバーワンになることが大切だと思います。
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人生には、チャンスを掴むか逸するか分かれ道がいっぱいある。
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不況を好機・試練ととらえ、成長のきっかけにする。
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一円刻みでものは考えなければならない。一円ですよ、勝負は。
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土曜休んで日曜も休む奴は要らない。今の日本の悪い所はアメリカ的時間の切り売りが横行している事だ。8時間働けばそれでいいなど通用しない、成果で報酬がでるんだ。
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思うようにいくってことは、何もないねえ。まあ、それが人生と言えば、そうでしょうけどね。
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最大の問題は、人材の不足です。私たちの会社は、脇目も振らず、前を向いて走り続けてきた会社です。やはり、もっと早く人材を育てておくべきでした。たとえば、大卒の技術者といっても、一人前になるには12年から15年かかります。売上高1兆円のときに次の飛躍に備えた規模の採用をしておけば、いまは彼らが中核になっていたはずです。しかし、あのときは会社がこんなに大きくなるとはイメージしていなかった。経営者としての未熟さを反省するばかりです。
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クルマを生産していない国に行けば、100台でも1位になれる。従業員の士気を高めるためにも、スズキでも1番が取れる国があるんだというのを見せたかった。
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会社が大きくなったからといって、スズキという会社に実力がつき、強くなったわけではありません。体の内部の筋肉や臓器が十分に発達していないのに、身長だけがどんどん伸びたようなものです。外からは一人前に見えるかもしれませんが、内部にいれば、その危うさを感じないわけにはいきません。
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私は、いざというときトップが直接乗り込むことは非常に大切だと思います。細かい話だけならディテールに通じた部長や課長のほうがうまくまとめるかもしれませんが、トップが動かないといけない局面があります。こちらがどれほど本気か、そのメッセージを伝えるには、トップが出ていくことに非常に大きな効果があると思います。
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奇策じゃなしに、誰に何を言われようとも自分の実力を過信せずに続けることが大切。
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「安くするために軽くする」という考え方は、スズキのクルマづくりの原点です。車体が1割軽くなると、コストも1割安くなる。そして、車体が軽くなった分、燃費もよくなる。これはいまでも生きています。
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僕は、戦前、戦中、戦後、そして再建という、日本の縮図を経験してきた。その中で何を考えたかというと、「こんちきしょう」とか「やる気を出そう」とか、そういうことに尽きるわけです。
鈴木修の名言を見ている方へお薦めする名言
鈴木修の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。
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ビジネスにおいて、6ヶ月早ければよかった、ということはあっても、6ヶ月遅ければよかった、ということはまずない。
ジャック・ウェルチ ゼネラル・エレクトリックCEO
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競争で優位に立つ2つの能力。顧客について競合よりも早く知る能力、知ったことを競合よりも早く実行に移す能力。
ジャック・ウェルチ ゼネラル・エレクトリックCEO
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日本の大企業の経営者のほとんどはサラリーマン経営者だから、失敗のリスクを100%背負わない。自分のお金で会社を動かすわけではないし、任期が終われば責任から解放される。だから、よほどせっぱつまらない限り、自分のしたことを否定しない。私は常に否定してこそ商売だと思うんです。
柳井正 ユニクロ創業者
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組織が存在するのは組織自身のためではない。自らの機能を果たすことによって、社会、コミュニティー、個人のニーズを満たすためである。組織とは目的ではなく手段である。
ピーター・ドラッカー 経営学者
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功は焦らなくても良い。自分に実力がありさえすれば、運は必ず回って来る。
田中角栄 第64代、第65代内閣総理大臣
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みんなが「お客様を楽しませたい」と思っている集団じゃないといけない。そうしないとお客さん本位の対応ができる会社にはならない。
岩田聡 元任天堂社長
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ビジネスの本質とは自らの足るを知りつつ、変化し続ける社会の中で、人々の役に立つことを常に考え、提供し続けること。
フィリップ・コトラー 経営学者
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私はうわべだけ真似るやり方が大嫌いだ。もっと自分の深いところを見て、変えようとしなければダメだ。
見城徹 幻冬舎創業者
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レコード自体はどこで借りても同じもの。さらなる付加価値を付けなければビジネスとしては成り立たない。
松浦勝人 エイベックス創業者、音楽プロデューサー
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日本の会社の社長、大企業の上場会社の社長の大半の人がなんていうか。まず最初に言うのが「図らずも社長を拝命しまして」、こういうのですね。 図らずも社長になったら、部下はかわいそうだ。まぐれでなってしまった社長は、部下を路頭に迷わす。
孫正義 ソフトバンクグループ創業者
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結局、儲けようなんて気持ちが強くてはダメだ。儲かるようにならなければダメだ。いくら一生懸命にやっても、たいしたことはできない。しかし、道に則ってやれば自然に儲かる。この儲かるのほうは無限である。
市村清 リコー創業者
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企業の実態がマーケットや株価に反映されるまでに、随分と時間がかかってしまうことがあるかもしれません。しかし、事業の成功が一般に認知されるのにどんなに時間がかかろうとも、その企業が期待通りの高い成長をする限り、問題はありません。むしろ、認知が遅くなった方が、投資家にとって都合がいい場合が多くあります。投資家にとってバーゲン価格が続くわけですから。
ウォーレン・バフェット 投資家、バークシャー・ハサウェイ会長兼CEO
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その時代時代によって、人間が考えている「常識」と呼ばれるものっていうのはどんどん変わっていくわけですよね。ビジネスというのは、そういった時代が変化することによって、刻々と変わっていく人間の気持ちというかニーズをいかに捉えるかどうか、こういう事に尽きるわけですよね。
松井道夫 元松井証券社長
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ある目的のために情熱を持って身を捧げられる者ほど価値のある者はいない。
マックス・ウェーバー 社会学者
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最も重要な経営資源はもはや労働力ではない、資本や土地でもない。それは知識である。
ピーター・ドラッカー 経営学者
鈴木修について
鈴木修は自動車・バイクの製造販売会社である株式会社スズキの代表取締役社長を、37年間にわたって務めた経営者。「人と同じ事はやらない。やるなら世界一を目指すのがスズキ。」との方針の下、自動車では軽自動車や小型車、バイクではスクーターに集中的に経営資源を投入。新興メーカーの一つに過ぎなかったスズキを、売上高三兆円超、自動車の世界販売シェア10位、バイク世界販売シェア8位の巨大企業に育て上げた。勲二等旭日重光章、藍綬褒章を受勲。
1930年現在の岐阜県下呂市の松田家に生まれる。中央大学法学部卒業後、中央相互銀行に入行。1958年、28歳のときに株式会社スズキの2代目社長である鈴木俊三の娘と結婚。この時鈴木家の娘婿になり、名字が鈴木に変わった。同年中央相互銀行を退職して株式会社スズキに入社。5年後の1963年には30代前半の若さにして取締役に就任。1973年専務取締役、1978年代表取締役社長に就任。
鈴木修は1981年からアメリカの自動車メーカー「ゼネラル・モーターズ」との業務提携を締結。さらにスズキが得意としていた軽自動車や小型車、バイク分野ではスクーターに注力し、大手の自動車会社と差別化を図った。特に軽自動車では、「アルト」が大ヒットして業界トップの座を確立。1973年から2006年まで34年間にわたって軽自動車の販売台数日本一誇った。海外展開ではいち早く成長市場のインドに目をつけ、1981年にインド政府との合弁会社「マルチ・ウドヨグ」(のちのマルチ・スズキ・インディア)を設立。インド市場では50%近い圧倒的なシェアを獲得し、連結経常利益の4割を占めるほどのドル箱事業に育てた。2006年に提携相手のゼネラルモーターズの業績が急激に悪化すると、鈴木修はゼネラルモーターズが保有していたスズキ株20%のうち17%を買い戻す決断を下す。さらに2008年に残りの3%も買い戻してゼネラルモーターズとの提携関係を完全に解消した。2008年から会長職も兼務し、代表取締役会長兼社長となる。2009年ドイツのフォルクスワーゲンとの提携を発表し、フォルクスワーゲンがスズキの株式の19.89%を取得した。しかし、スズキはフォルクスワーゲンから技術面での支援が得られなかったことなどを理由に提携解消を決意。国際仲裁裁判所での調停を経て2015年に提携を解消した。2015年鈴木修は長男の鈴木俊宏に社長職を譲り、自身は代表取締役会長となった。