山内溥

任天堂創業者

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山内溥の名言

山内溥の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 運を認めないといけない。運を実力だと錯覚するということは、これほど愚かなことはないんです。経営者としてね。ところが、人間ですからついつい運の存在を無視して「俺の力だ。俺のやり方が良かったんだ」と言いたいんですわ、人というものはね。それは駄目。

  • ヒット商品をつくる秘訣なんてない。ただいえることは、ある種の能力があって、ひたすら目的に向かってそればかり考え続けておれば、いつか花がひらくときがくる。気持ちを持続しておくことが大切。

  • 全くの新製品を作るためには、常識的な発想では人々を納得させることはできない。新製品に必要なのは、社会通念や習慣を変えるようなものでなければならない。そのためには非常識の発想が必要なんです。みんながこうするから自分もそうするなんていうのは論外です。我が道を行くという考え方、そのためには、他人に煩わされないで、自分の時間を多く持つことが大切だ。人と同じことをやっていたのでは、同じ考えしか出てこないんです。

  • 僕個人の意見を言うとね、およそ物事に100%ということはあり得ない。人間ですから。だから「99%駄目だ」ということは言えても「100%駄目だ」ということは言えないんですよ。人間ですから。そこで僕は100%駄目だと思った時、「あれは、99.99%駄目だ」と言っているんです。

  • 僕らみたいな仕事をしていると、いろいろ迷うんです。これしようとか、あれしようとか。ところが、あれしてもだめ、これしてもだめだということになっていくと、だんだん自分のやれる範囲が絞られてくる。だから、私は何も新しいものを求めていたんでも何でもなくて、考えていくうちに、もうこのへんしかないと。任天堂の行くところは、それしかないと思わざるを得なかったんです。消去法でいけばそうなるんです。

  • 企業においては、確かに冒険精神は必要不可欠のものだが、なにも現在、小は小なりにうまく暮らせているものを、わざわざヤケドしに行くことはないという気持ちも、私にはあります。任天堂の場合、どこへ行っていいかわからなかった。だが、現実に何かしなければ会社がなくなってしまう。そういう危機意識が非常に強かったんです。

  • これからのゲームは交換・収集・育成・追加の4つがキーワードになる。

  • いまソニーがゲームで成功したと言われています。でもそれは、たまたまいま成功しているだけで、ついこの間までは失敗していました。この業界でいま、最も強いと言われているソニーでさえ、成功と失敗を繰り返しています。明日は失敗するかもしれません。

  • どうしておもしろいソフトがつくれるのかという問いに対しては、私はいつでも言っているんですが、結局はだれもがわからないんです。実はこうしてつくります、ああしてつくれますという解答が出せるとすると、だれでもそのようにすればできるわけでしてね。だからこそソフトウェアという言葉が非常に重みを持ってきているのでしょうね。

  • 世間にはよく成功した人間を尊敬する人がいるけれど、それが僕には不思議でしようがない。たまたま運が良かっただけの人を、どうして尊敬できるんでしょうかね。

  • なにより大事なことは、娯楽というものは飽きられるものだということ、ここが必需品と根本的に違うところです。必需品は飽きられない。そして基本的には、安いほうが売れる。ある品物が売り出されて、それに遅れて同じような品物が売り出された場合、必需品なら二番手でも安いほうが売れます。しかし娯楽は二番煎じはダメです。たとえ安くても売れない。

  • 私はこれまで他社にソフト制作をお願いしますといったことは一度もない。やるのも、やめるのも自由。むしろやめてほしい。

  • 任天堂は東京を相手に商売してるんやない。世界や。

  • 娯楽という分野は、つねに従来と異質のものを開発しなければならないのです。つまり改良の程度ではダメです。このビジネスの世界は一日かかって説明しても、なかなか理解してもらえないのではないかと思うほど難しい。

  • 時代が変化したんです。そのため止むを得ず転換を図った。それだけのことでしかない。それ以降、幾多の苦難を経ながら、ともかく生き延びてこられたのは、本当に運がよかったからだ。もっといえば、明確な経営戦略などがあったわけではなく、文字どおり試行錯誤の連続でその失敗の積み重ねの中から、少しずつ体で覚えて勉強し、それを材料として、たまたま幸運に恵まれて、昭和55年からようやく急成長の波に乗った。要するに、任天堂は運がよかっただけなんですよ。

  • 任天堂は大きく変身したといわれるけども、それはわたしたちが、時代の変化を予測したとか、会社を大きくしよう、もっと儲かる仕事をしようなどと思ってやったことではないんですよ。花札やトランプは、もうこれ以上伸びないことがわかった。それならばこれからどうするのか、いったいどうしていいのかがわからない。経営者にとってこれほど苦しいことはない。そういう時代が長く続きました。そうしたときにマイコン革命が始まった。いやでもその道を行くしかなかった。ひたすらその道を歩みつづけた結果、任天堂自身が変わっていかざるを得なくなった。それだけのことなんですよ。

  • ゲームソフトを作れる技術屋というのはたくさんいます。しかし、本当に才能の豊かな、経験を持った有能な人は極めて少ない。優秀なゲームを作れる人が少ないということは、くだらないゲームなら作る人が大勢いるということです。そんな人に市場を荒らされたら、育つものも潰されてしまう。各メーカーが競争になればなるほど、どうしても多作に走り、ソフトの種類で勝負しようということになる。そうなると、似たようなくだらないゲームソフトが市場に氾濫する。駄作が多く出回ると、消費者は不快感を持つようになる。そうなったら、娯楽市場なんてアッという間に崩壊します。駄作で市場を崩壊させないためにも」独占」しなければならなかったんです。

  • 余裕資金は保険の意味を持つ。当社は新しい市場を作る考えだが、どれだけお金がかかるかわからない。銀行は簡単に貸してくれないし、社債を発行すればリスクを伴う。自前で資金を持ち、必要な時に自由に使えるようにしておくことが必要だ。

  • 努力したからうまくいった、と言う人がいるのは構わない。でも自分は違う。努力したから成功するとは限らないと思っている。苦労だって経営者ならしていない人などいないから、自分が特に苦労したとは思わない。振り返ると何となくこうなっていた。運が良かっただけだ。

  • 市場調査?そんなことしてどうするんですか?任天堂が市場を創り出すんですよ。調査する必要などどこにもないでしょう。

  • これからの娯楽業界の発展のためには、むしろ新たな技術を互いに公開・交流することが大切。

  • 異業種には絶対手を出すな。

    解説:  山内溥が任天堂の社長を退任する時、後継の経営陣に言い聞かせた言葉。

  • ゲームソフトについては今後、売れるものと売れないものの差が歴然としてくる。毎年、多数のソフトが出回るが、ヒット作品の種類は減るだろう。ただ、売れ筋の製品の販売本数は落ち込むことはない。一番遊びたいと思うソフトは景気が悪くなっても懐が悪くなっても消費者は購入する。

  • 将来の結果は誰にもわからないというしかないが、正しいと確信する道を歩んでいるだけだ。当社は市場を啓蒙しようと考えているわけではない。任天堂は任天堂を守るためにやる。照準は来年のクリスマスだ。

  • 皆さん、任天堂の戦略とか秘密とか、なにか特別の大層なものがあると思って、それを期待されているようですが、そんなものはない。このビジネスがいつまで続くのか、次をどうするのか、あるいは長期戦略とか、そんなもの何もない。

  • 結局、私たちの業界は物を作って物を売っています。いい物を安く作って、さらに合理化して一層安く作る。果てしない競争です。

  • 運です。運が良かったんです。それを「この結果は俺の経営がうまかったんだ」とか「俺に力があったんだ」なんて思うと、もう駄目ですね。運です。

  • 自分が特に苦労したとは思わない。振り返ると何となくこうなっていた。運が良かっただけだ。

  • 人事を尽くして天命を待つというが、人事なんてなかなか尽くせるものではない。そのときは、やるだけやった、あとはどうなっても満足だと思うかもしれないが、しくじったら、そのとたんに、ああしておけばよかった、こうもすればよかったと、次から次に反省が生まれるものです。だから、どんなに人事を尽くしたつもりでも、人間は所詮は天命を待つ心境にはなれない。そういう意味でもわたしは、任天堂の名の由来のごとく、人事を尽くして天命を待つのではなく、単純に「運を天に任せる」という発想を積極的に取りたいと思っています。

  • 経営の世界は流動的であり、いつまでも成長し続ける保証はどこにもない。そして、予想しなかったことが起きても「私は関係がない」と経営者は言えない。だから、体質を強化してなにが起ころうとも社員や取引先がショックを受けない会社をつくる、それが私の仕事だ。

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山内溥について

山内溥は家庭用ゲーム機メーカー「任天堂」の創業者。家業のかるた製造業を引き継ぎ、社名を任天堂と改称。携帯型ゲーム「GAME&WATCH」でゲーム事業に進出し、家庭用ゲーム機「ファミリーコンピューター」が爆発的ヒットとなる。その後「ゲームボーイ」、「スーパーファミコン」、「NINTENDO64」などのゲーム機を発売。任天堂を世界的な家庭用ゲーム機メーカーへと育て上げた。

1927年(昭和2年)11月7日京都市に生まれる。幼くして父・山内鹿之丞が愛人と駆け落ちして失踪。花札・トランプ製造業をの「山内任天堂」を経営していた祖父・山内積良の家庭で育てられる。その後早稲田大学法学部に進む。1947年、大学在学中でありながら、山内任天堂がかるた製造業進出のために設立した子会社「丸福」の取締役に就任。1949年祖父が病に冒されたため、山内溥は丸福の社長に就任。翌年に早稲田大学を卒業している。

経営者となった山内溥は、1953年に日本で初めてプラスチックの発売したり、1959年にディズニーと組んで子供向けのディズニーの絵柄のトランプを発売するなどして事業を拡大。1962年に株式を大阪証券取引所市場第二部と京都証券取引所に上場。1963年には社名を「任天堂株式会社」に変更。その後新規事業を意欲的に開拓し、簡易印刷機「コピラス」、業務用ゲーム「レーザークレー射撃システム」、業務用メダルゲーム機「EVRレース」、家庭用ゲーム機「カラーテレビゲーム15」、「カラーテレビゲーム6」の発売、さらにはホテル、タクシー会社、インスタント食品、育児用品にまで進出するが、ほとんどの事業が失敗に終わり、任天堂は経営危機を迎えてしまう。しかし、1980年に携帯型液晶ゲーム機「GAME&WATCH」がヒットして任天堂は経営危機を乗り越え、さらに1983年カードリッジ交換方式の家庭用ゲーム機「ファミリーコンピューター」を発売。「ファミリーコンピューター」は6000万台以上を売り上げる世界的大ヒット商品となる。その中でも「スーパーマリオブラザーズ」が4000万本もの販売を記録。その後「マリオ」は任天堂の看板キャラクターとなっていく。

1989年任天堂は携帯型ゲーム機「ゲームボーイ」を発売。ゲームボーイは白黒のゲーム機だったが、テレビがなくても遊べる手軽さが好評となり1億台を超える販売を記録。1990年にはファミリーコンピューターから大幅に性能を向上させた家庭用ゲーム機「スーパーファミコン」を発売、こちらも4900万台を売り上げる大ヒットとなる。その後、1995年に3Dゲーム機「バーチャルボーイ」、1996年家庭用ゲーム機「NINTENDO64」、2001年家庭用ゲーム機「ニンテンドーゲームキューブ」を発売するが、バーチャルボーイは世界での販売台数が80万台ほどという大失敗に終わり、NINTENDO64、ニンテンドーゲームキューブも前世代のゲーム機よりも売上を落としていった。山内溥は経営の一線を退くことを決意。2002年6月に社長の座を岩田聡に譲り、自らは相談役に退いた。2013年9月19日死去。享年85歳。