岩田聡

元任天堂社長

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岩田聡の名言

岩田聡の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 今の時代のゲームって、表現がリッチになったがゆえに、「本当はしなくていいこと」を猛烈にたくさんやっちゃってると思うんです。ものすごい労力とテクノロジーが詰め込まれているんだけど、誰もそのことは覚えていないし、気がつかないみたいなことがたくさん起きてると思うんです。

  • 自分たちは異質な商品をつくり、新しい道を探さなくてはならない。そう腹をくくったのが、新しい据え置き型の開発に着手したころでした。私はひとつの方向性を示しました。ゲーム人口の拡大を目指す。かつては茶の間でコントローラーを奪い合い、ギャラリーも一緒に楽しんだ。それがコントローラーは複雑化して差し出すと後ずさりされ、ギャラリーも消え、一人暗い部屋で遊ぶイメージになってしまった。もう一度茶の間に持ち出して家族全員で触ってもらえるものにする。

  • 事実を見たら、常になぜそうなるのかの仮説を立てるんです。仮説をたてては検証してみて……当然人間がやっていますからしょっちゅうまちがうんですけどね。でも仮説を立てては検証して、と繰り返しているうちに、やっぱり、より遠くが見えるようになったり、前には見られなかった角度でものが見られるようになったりするんです。

  • 自分たちがどうあるべきなのか、お客さんになにを求めるべきで、なにを求めちゃいけないのか。そういったことについて、私たちはまったく揺らいでませんから。

  • 出口の見えないときは、つくりながら考える。一歩進むと根っこのコンセプトが具体的なアイデアで補強され、骨太になっていく。数えきれないやり取りの中でコンセプトが浸透し、共有され、プロダクトに結実した。重要なのは異なる部門が素早いキャッチボールを繰り返しながら、同じ目標、目標に突き進むことです。

  • わたしは思うんですけど、考えてもしょうがないことに悩むんですよ、人って。悩んで解決するなら悩めばいいんですけど、悩んでも解決しないし、悩んでも得るものがないものを、人間って、考えてしまうんですよね。

  • 「本当にやりたそうにしてる人」に仕事は渡したいんですよね。

  • 世の中のほとんどの商品はマーケティングがあり、お客様の要望に応えるものを出すのが常ですが、我々は驚きを提供するのですから、お客様の要望を聞くことは無駄になる。

  • 携帯電話、テレビや娯楽施設などさまざまなエンターテインメントの中から、あえてビデオゲームを選んでいただく理由付けをしなければなりません。

  • わたしはいま、任天堂がいまのこの環境なら変わったほうがいいと思うことはあるけれども、現状否定からは入りたくないし、入るべきだとも思っていません。たくさんのことを変えてもいるのですが、否定したいから変えるのではありません。

  • アイデアのほとんどは失敗します。その中で数少ない成功があるのは、お客様がニコニコ喜んでくださる、というインセンティブがあるからです。とにかく、喜んでもらいたいと思う情熱から作り上がるのだと思います。

  • レッドオーシャンでマーケットの取り合いをするなら競合に目を向けるでしょう。しかし社員数も規模も総合力も格段に勝るソニーさんやマイクロソフトさんを相手にいかにパワーゲームで勝つかではなく、任天堂のゲームに何の興味も示さなかった人たちがどうすればこっちを向いてくれるかを考えることに圧倒的な時間を使った。私は競合意識の非常に低い経営者です。

  • みんなが「お客様を楽しませたい」と思っている集団じゃないといけない。そうしないとお客さん本位の対応ができる会社にはならない。

  • パイがどんどん小さくなっているとしたら、業界で一番になっても死ぬのが先延ばしになるだけです。死ぬのを延ばすために社長をするのはイヤでした。

  • 強みと弱みの話ともつながる概念なんです。自分しかできないことはなにかとか、いちばん問題になっていることはなにかとかいうことがちゃんとわかって行動していくべきですから。

  • 「今良いとされているやり方は本当に正しいのか」ということを私だけでなく会社じゅうの人が疑ってかかって、変わってゆく周囲のものごとに敏感であるように仕向けていかないといけない、と考えています。

  • 幅広いお客様へのアプローチを本気で追い求める会社は少ないので、当社はその行動の結果、世の中で特殊な存在になれました。事実、世界中の数多くの国で、幅広い年齢層の人たちが任天堂のことをご存知で、実際に製品を体験してくださった方も多いのですが、それは我々がターゲットを狭めずに、できるだけ多くの人たちにアプローチする努力を続けてきた結果ではないかと思っています。

  • 仕事が苦役だなんて考えたことは一度もありません。むしろどんなに苦労をしたって、それが世の中で話題になって、いろんな人が笑顔になっていくのをこの目でみられるのですから、こんなに恵まれた仕事はないと思っています。

  • 任天堂に高給と安定だけを求めて入社志望する人がいないとは思いませんが、「もし効率よくいい思いがしたいだけならウチはいい職場じゃないよ」って会社説明会で私は言い放っています。「はっきり言って、大変だよ」って。

  • 私がHAL研究所の社長になってから、最初に「星のカービィ」を作るんです。「ティンクルポポ」という名前でゲームボーイのソフトとして出す予定でしたが、「もったいない」と宮本茂さんがおっしゃって、調整して、任天堂発売の「星のカービィ」に変わるんですね。その頃の私はやはり、物の名前とか売り方とかいうことに関してはほんとに無頓着だったと思うんです。そういうものは「自分が考えることではない」という認識でした。

  • HAL研究所は要するに「自分たちがおもしろそうと思うものを作って売っちゃいました」みたいな会社です。なんでもありなんですよ。

  • 「見せたいものがある」っていうのはすごく大事なことなんですよ。それってつまりは、「ここを見せたらお客さんは絶対感動する」とか、「印象に残るだろう」っていう確信を持っているってことですから。

  • 宮本茂さんは「どうしても解けない問題があるときは,きっと誰かが嘘をついている」って言うんですよ。それは別に「悪意で嘘をついている」って話じゃなくて、誰かの認識が間違ってたり、事象の捉え方が間違っているから問題が解けないんじゃないかって、そう考えるんですね。

  • 特定のものだけをライバルだと考えますと、「そのライバルにいかに勝つか」という発想になるんですね。

  • わたしが見つけた天才の定義があります。人が嫌がるかもしれないことや、人が疲れて続けられないような事を、延々と続けられる人、それが「天才」だとわたしは思うんです。

  • 現状を作りあげるために、たくさんの人が善意と誠実な熱意でやってきたわけでしょう?その現状を否定すべきではないと思います。

  • 誰かのお役にたったり、誰かが喜んでくれたり、お客さんが嬉しいと思ったり、それはなんでもいいんですが、当事者になれるチャンスがあるのにそれを見過ごして「手を出せば状況がよくできるし、なにかを足してあげられるけど、たいへんになるからやめておこう」と当事者にならないままでいるのはわたしは嫌いというか、そうしないで生きてきたんです。そうしないで生きてきたことで、たいへんにもなりましたけれども、たくさん面白いことがありました。

  • わたしは仕事をする上で批評家や評論家ではいたくないんです。

  • 自分は、他の人が喜んでくれるのがうれしくて仕事をしている。それはお客さんかもしれないし、仲間かもしれないし、仕事の発注者かもしれないけど、とにかく私はまわりの人が喜んでくれるのが好きなんです。まわりの人が幸せそうになるのが自分のエネルギーなんです。

  • 任天堂の個性のひとつは、ターゲットとするお客様を過剰に絞らないことです。具体的には、「今実際に製品を受け入れていただいているお客様以外にも、私たちの製品を喜んでもらったり楽しんでもらったりする方法が必ずあるはずだ」と常に考えるようにしています。

岩田聡の名言を見ている方へお薦めする名言

岩田聡の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

岩田聡について

岩田聡は任天堂の社長を務めた経営者、プログラマー。任天堂の請負会社「HAL研究所」の従業員として任天堂の家庭用ゲーム機「ファミリーコンピューター」でプログラミングを担当。その後HAL研究所社長を務めたのちに任天堂に入社。創業家出身のの山内溥の氏名を受けて社長に就任した。社長時代は携帯型ゲーム機「ニンテンドーDS」、家庭用ゲーム機「Wii」で大ヒットを飛ばし任天堂の業績を大きく改善した。「Nintendo Switch」を開発中だった2015年に社長在職中のまま胆管腫瘍で死去。

1959年(昭和34年)12月6日北海道札幌市に生まれる。札幌南高校卒業後、東京工業大学工学部に入学。大学在学中に知り合いが立ち上げた「HAL研究所」のアルバイトとなり、そのまま正社員として入社。HAL研究所は任天堂の家庭用ゲーム機「ファミリーコンピューター」のゲームソフト開発を請け負い、岩田聡は「ピンボール」や「ゴルフ」などのゲームソフト開発に関わった。当時岩田の技術は高く評価されていたという。そんな中HAL研究所が不動産投資の失敗などにより経営危機を迎えると、再建支援者らの意向によりHAL研究所社長に就任した。岩田聡の7年間の社長在任中、HAL研究所は「星のカービィ」シリーズのヒットにより経営再建を果たす。

2000年、岩田聡はHAL研究所を立て直した手腕を買われ、任天堂に入社。取締役経営企画室長に就任した。2年後の2002年、前社長の山内溥に指名されて任天堂の社長に就任。社長に就任した岩田聡は「ゲーム人口の拡大」を経営方針として打ち出し、タッチパネルを採用した「ニンテンドーDS」や体感型コントローラーを採用した家庭用ゲーム機「Wii」など直感的に遊べる操作方法を提供したことによりユーザー層の拡大を目指した。さらに任天堂のWebサイト上では岩田聡自らが開発者にインタビューする「社長が訊く」を初めた。これらの施策の成功により落ち込んでいた任天堂の業績は急回復を達成した。

それらの成功の一方でゲーム業界はスマートフォンの普及による変革の波にさらされ初める。「任天堂は独自のスマートフォンを作るべきだ」、あるいは「スマートフォン向けゲームに参入すべきだ」といった意見が出る中、岩田聡は当初スマートフォンでのゲームの提供には慎重な姿勢を保っていたが、スマートフォン向けゲームの爆発的な普及により徐々にその態度を軟化させていった。そして2015年3月にはスマートフォン向けゲームへの参入を発表するに至った。2014年岩田聡は胆管腫瘍の手術を受けたと公表。その後入退院を繰り返したのち、2015年6月に死去した。享年55歳。