渡邉美樹

ワタミ創業者

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渡邉美樹の名言

渡邉美樹の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 「地球上で一番」あるいは「100年後に一番」と大局的に考えたら、目先の小さなつまづきに対して堂々としていられます。

  • サラリーマン経営者の方ならば、現状を守ることを考えて経営するのは、やむを得ないことだと思います。ただアントレプレナー、創業者というのはもともと何もないところから、仕事を始めているわけですよね。「こんな夢を追い掛けよう」という思いから始まっているわけで。現状の1を1.1にしていこうとかいう、概念自体がないんですよ。だからそれにおいてはもう人種も違うと思います。

  • 資本主義の社会ではお金を儲けることを目的に事業が営まれ、お金が飛び交っているというイメージがありますが、本当に飛び交っているのは「ありがとう」なんです。そして、それがお金の形になっているんです。

  • 日本人って、小学生の時の夢が一番大きくて、年を重ねるごとに小さくしぼんでいくでしょう。私は全く逆。年齢と共に夢はどんどん大きくなっていく。死ぬ時に一番大きな夢を持っている人間でありたい。そういう気持ちでいると絶対に「余生を」なんて思わないですよ。人生を楽しめるかどうかは、その発想の差なんじゃないかな。

  • どんな人でも、一度、目の前の大きな川を飛び越えると、次にはもっと大きな川を飛び越えることができるようになる。勇気はもちろん、助走距離など、多くを学んでステップアップしているはずです。

  • 幸せな人生は「鳥肌が立つぐらいの感動に何度出会えるか」、にかかっているのではないでしょうか。

  • 信じて失うものより、信じなくて失うものの方がずっと多い。

  • 失敗というのは明日のための経験なんです。成功へのプロセスなんです。計画変更のための一つの要因といってもいい。あきらめなければ、失敗にはならない。あきらめたときに、しっぱいになるわけであって、僕はいくつも失敗してきましたけど、全部いい経験だったと思っています。

  • 仕事とは、本来自己実現の手段なんです。だから、働いている時間も自分の大切な人生の一部だと思えるか。そう思える仕事しかしてはいけないと僕は思っています。ワークライフバランスの権利ばかりを主張する若手がいるとしたら、そういう人は会社に時間を搾取されているという感覚で働いているのではないでしょうか。自分の時間を切り売りするような働き方は、仕事の本質ではないと思います。

  • 私も起業したいと考えた当初の動機は、物質的な豊かさを得たいためでした。しかし、今ではワタミを地球上で一番たくさんのありがとうを集めるグループにするべく、日々その理念に向かって努力しています。個人的な金銭欲はまったく無くなりましたね。

  • できない理由、失敗した理由は必ず自分の内にある。

  • 恐るべしは「亀の歩み」である。目標を一心に見つめ、一歩ずつ確実に歩き続ければいいのである。

  • 夢はあった方がいい。でも、「夢を持て」というのは違いますよね。夢は自発的に持つもので、人から与えられるものではありません。今は夢が見つからなくても、心のどこかには必ずあるはずですから、じっくりと考えてほしい。

  • 人間が人間として生まれてきた目的は、人間としてもって生まれた美しい資質を高めることにある。どうしたら高められるのかというと、夢を持ち、その夢のプロセスを歩むことだ。努力しながら進む道で、周りの人たちに良い影響を与え、ありがとうを集めながら歩んでいく。そのうち、夢を達成することはあくまで目的であって、実はゴールではなく、日々のプロセスの中にこそがゴールであると気づく。

  • 「こういうことをやりたい」「やらなければいけない」と感じることは天命だと思ってとことんやった方がいい。

  • 「仕事」ってね、それは何だろうか、ということだと思うんですよね。仕事はお金を得る一つの作業であるという考え方も当然あります。しかし、僕の場合は「仕事」は「生きることそのもの」です。人間は何のために生まれてきたのか、何のために生きるのか、そして、どう死んでいきたいのか。その考え方や価値観に基づいて、今の自分の仕事があるわけですよね。ですから、僕にとって「仕事」というのは、息をするのと同じですよ。

  • この国は近い将来、財政破綻します。経済成長なくして財政再建なしと繰り返し官邸は言っているが、経済成長しなかったら国は破綻していいのかということです。私は経営者ですから、売り上げが上がらなくても潰さない会社を作っていくというのがまず社員のためだと思っています。実質2%、名目3%ですか、そんな数字が達成できなかったら、国は破産していいのか。そのあとの手は何もないわけです。私はそんながけっぷちの経営はすべきでないと思います。

    出典:  政界引退記者会見にて

  • 夢と現実をつなげるのが時間だと思ってるんです。だから、日付を入れて、今日との差を明確にする。そして、それを日数で割ってしまえば、今日やらなければならないことが明確になってくる。

  • 確かに苦しみもありましたが、起業してからは基本的に自分が好きなことしかしていない。仕事が人生そのもの、今も仕事が楽しくてたまらないです。

  • 「人より優れよ」ではなく、「自分だけの道を見つけなさい」と教えるべきである。

  • 何人の幸せに関われたかで、君の人生は何倍にも輝く。

  • 無理をすると無理が無理じゃなくなる。無理を一週間続けたら、それは無理じゃなくなるんです。人間というのは慣れがあるから。

  • 夢の実現のために大事なのは、周囲のネガティブな声は一切無視するということでしょうね。人に夢を打ち明けると、「何でそんなことをやるのか」という声も飛んできます。実現しない理由を挙げるのは簡単ですから。自分の人生は自分のもの、そんないい意味での頑固さがないと前へは進めません。

  • 100人中100人全員に好かれることなどあり得ません。私が自分の店舗で働いていた時に実体験として感じたことなのですが、どんなにいい店を作っても、残念ながらお客様全員に「いい」とは思ってもらえませんでした。せいぜい80%の人に満足してもらうのが精いっぱいです。人間関係においても同じようなことが言えるのではないかと思っています。

  • 失敗してもいいんです。若い頃は、失敗しないとわからないことの方が多いんですから。「ああ、そうだったのか」とか「ああすればよかった」ということが多いほど人間として成長できるチャンスが多いと思いませんか?

  • 大切なのは、お客様が何をしてほしいかを言われる前に察して、それをしてさしあげること。逆にいえば、お客様の気持ちを汲み取っていなければ、いくらお金や手間をかけたサービスでも伝わらない。

  • 相手を選んで感謝するという打算的なスタンスでは、本気で感謝できない。すべてに感謝する姿勢を持って、初めて本気で感謝できるのではないでしょうか。

  • 僕は経理の勉強をしていたんですけど、経営にとって重要なのは赤字とか黒字とかじゃないってことに気づいていなかった。経営にとって一番重要なのは、現金があるかどうか。キャッシュフローこそがすべてなんです。僕はそれをわかっていなかった。だから黒字なのに潰れそうになりました。キャッシュフローという概念がなかったんですね。

  • 夢とは見続けるものではなく、現実させるべきものだ。夢に日付を入れて、今日の行動を変えていくのである。当然、そのプロセスにおいて、どうしても計画に狂いが生じてくる。予測不可能な明日なんていくらでもある。それは、その都度計画を書き直しながら進むのだ。だたし、夢の現実と決めた日付だけは変更してはならない。

  • 私自身、大学を卒業したころに描いていた夢は「庭付きの家が欲しい」「いつか中古のクラウンを買いたい」という夢であり、それが働く原動力になりました。物欲を持つことを恥ずかしく思う必要はありません。取り繕って心にもない夢を掲げるより、自分が本当に思っていることを正直に書き出すことの方が、ずっと大切です。

渡邉美樹について

渡邉美樹は居酒屋チェーン「ワタミ」の創業者。参議院議員も務めた。居酒屋チェーンの「つぼ八」のフランチャイズ事業を始め、のちに自社ブランドの「和民」を出店。バブル崩壊後の不況の中、手軽な価格帯と美味しさが好評を得て急成長。さらに「ミライザカ」、「鳥メロ」、「炭旬」など複数のブランドでフランチャイズ展開し、総店舗数は500店を超える巨大居酒屋チェーンとなった。一方でワタミは従業員に過度な労働を強いるとしてネットを中心にブラック企業であるとの批判もある。

1959年(昭和34年)10月5日、神奈川県横浜市に生まれる。父は広告代理店を営んでいた。10歳で母を亡くす。希望ヶ丘高校から明治大学商学部に進み卒業。卒業後は「ミロク経理」に入社するが半年で辞め、佐川急便のドライバーとなる。当時の佐川急便のドライバーは仕事がきつい代わりに給与が高く、渡邉美樹は1年間勤務して300万円を貯め、それを元手に1984年(昭和59年)有限会社「渡美商事」を設立。居酒屋チェーン「つぼ八」のフランチャイズとして「つぼ八高円寺北口店」を出店した。1986年(昭和61年)株式会社ワタミを設立。1992年(平成2年)自社ブランド「和民」の一号店を笹塚に出店。翌年までに出店済みだった「つぼ八」の全店舗を「和民」ブランドに変更した。バブル崩壊による不況の中、比較的低価格で飲食できる和民はサラリーマンの味方として急成長。1998年(平成10年)に株式を公開し、2000年(平成12年)には東証一部上場を果たす。2002年(平成14年)には店舗数が300を超えた。さらに2005年(平成17年)には介護サービス事業に参入した。

2011年(平成21年)、渡邉美樹は和民の会長を退任し、東京都知事選挙に出馬するも落選。2013年5月に自由民主党から参議院議員選挙に出馬して当選。この頃からネットを中心にワタミの労働環境に対する批判が噴出。2013年6月には週刊文春で「365日24時間死ぬまで働け」と書かれた理念集を従業員に配っていたと報じられてしまう。この問題はワタミの客入りにも影響し、「和民」ブランドの店舗の多くを「ミライザカ」など他のブランドへ業態転換せざるを得なくなった。2019年、参議院議員としての任期満了をもって政界引退を表明。渡邉美樹はワタミに復帰し、会長兼CEOに就任した。

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