松浦勝人

エイベックス創業者、音楽プロデューサー

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松浦勝人の名言

松浦勝人の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 絶対に何か新しいことを言うと文句を言う奴いるし、あんなもんダメだとか必ず攻撃にあう。けどその攻撃よりも強いパワーを持ってそれをぶち倒していかないとヒットはしない。

  • レコード自体はどこで借りても同じもの。さらなる付加価値を付けなければビジネスとしては成り立たない。

  • まだ、外は暗い。だけど必らず明るくなる。嫌な時もある。でも必らず良い時は来る。辛い事なくして、成功はない。

  • 僕は辞めたら辞めたで、また新しいことにチャレンジすると思いますね。

  • 優しいか優しくないかは、それぞれの人の解釈で違うように、正義か悪かも人の解釈や見方で全然違うもの。良かれと思い、する事がすべて、相手にポジティブに伝わるわけでもないので、めげずに、負けずに、曲がらずにこれから起きる、まだ見ぬ未来で頑張って。

  • 人は様々な経験や苦難を乗り越え、我慢し、耐えて、その人間の器を大きくするものだと思っています。人によって器の大きさは違えど、努力している人は皆、その自分の器の中の水は今にも溢れそうなのでは。

  • 僕はどうしても自分中心で、自分が好きなものをどうやったら人にも好きになってもらえるかがずっとテーマ。

  • エイベックスはずっとアーティストを育ててヒットを生み出すことを事業の中心に据えてきた。しかし、これはどうしても不安定なわけです。

  • エンジニアやデザイナーが、「自分たちのモノだ」という思い入れを持てないと、いいモノを作れないですよね。

  • 大好きだった音楽を作っていたら、会社が大きくなり、たまたま社長になってしまったという思いがどうしてもある。

  • エイベックスは昔からの会社みたいに、部長がいて課長がいる組織。このままだと若い社員に全然チャンスが回ってこない。少子高齢化で人数が減っているとはいっても、そもそもこのビジネスって若い人が盛り上がって初めて全体が盛り上がるものです。なるべく若いほうに若いほうに移していきたい。

  • 僕は経済誌などのインタビューにはほとんど出たことがない。なぜかというとコンプレックスがあったんです。僕が出るような雑誌じゃないと思ってしまう。「大好きだった音楽を作っていたら、会社が大きくなり、たまたま社長になってしまった」という思いがどうしてもある。大学時代に経済のことを一生懸命勉強して会社に入って叩き上げで社長になった、ということではない。

  • 「40歳になったら曲が作れない」とか一緒にやってたやつがよく言ってた、若い時だから。それすごい印象に残ってて、40歳過ぎたぐらいから社長になるんですけど、15〜16年社長やってきたけど、横で秋元康さん見てるとずっと作ってたりするじゃないですか。やっぱ作れるんじゃないかな?って。

  • レコード会社を始める時、新興レコードメーカーでうまくいっているところは1つもないという状況の中、顧問だった依田巽さん以外の人には「レコード会社を立ち上げるというのは無謀だからやめろ」と反対されました。みんなから「やめとけ」とすごく言われましたけど、若かったので「失敗したらやめればいいじゃん」ぐらいにしか思っていなくて。

  • 人の心の中にある、いいもの、悪いもの、強いもの、弱いもの、そういうものを全部ひっくるめて受けとめて、それをクリエイティヴに、僕たちの仲間が、音楽や映像、その他いろいろなかたちに変えて、人々に伝えていくことが仕事だ。

  • 先の見えない変化の始まっているこの業界の中で今必要なものは前進すべき勇気です。誰もがやっているものしかやらないのではそれはただのブームで終わってしまうでしょう。誰もやっていない、あなたにしかできない事を、探し実行してください。

  • いつも一杯一杯。自分の器を大きくする努力をして、誹謗中傷も一度に何個もかかえられるようになったよ。僕と会った事のない人ほど、いろいろ言うけど。

  • 形ないものをベースにして、感動とともに人の心に届けるものを作っていくためには、僕たちの中に「愛」と「信頼感」がないと、何も始まらない。

  • 何かトラブルがあったときに対する重責と、いつなにが起こるかわからないという恐怖心はいつも頭から離れないですね。

  • やらなかった場合に、どうなってしまうのかと考えたら、そっちのほうが怖かった。

  • 売り上げが減ると感じたのは実は1996年ぐらいです。98年に浜崎あゆみがデビューしたのですが、そのときにはCDはますます売れなくなると思っていました。

  • その人をとことん信じることが大事。

  • 僕は常識を知らなかったから自由に挑戦できた。今も素人目線を忘れてしまわないように気をつけている。

  • 「あいつはすぐに消えるだろう」ともたくさんの人に言われました。

  • 自ら動かず、待ちの姿勢でいいのか。

  • 聖域を取り払って、ゼロから会社を考え直さなければ、相当まずいところまで来ている。

  • 映像配信サービスは大きな投資でした。でもこれからも大きな勝負をして、周囲に「大丈夫?」と言われるようなことをまた考えますよ。

  • レコード会社を始めた頃のミッションに「10万枚売れるアルバムを年間最低3枚作らないと会社が潰れる」っていうのがあって。でも、所属アーティストが誰もいないから。とりえず企画盤で年間3枚は当てないとまずいっていう必死な状況だったんですよ。

  • エイベックスはずっとアーティストを育ててヒットを生み出すことを事業の中心に据えてきた。しかし、これはどうしても不安定なわけです。ヒットが毎年出るかはわからない。そんな予想しにくいことをやっていたので、安定的な収入を得ることができるプラットフォームのような仕組みがあると安心なので、そこに力を入れてきた。CDの売り上げがどんどん下がっていく中では、プラットフォームを自社で持たなければならないという意識があった。ただ、プラットフォームも伸び続けるわけではない。

  • 僕のブログのタイトルは「仕事が遊びで遊びが仕事」。この本当の意味は「24時間仕事」ということなんですよ。要するに仕事も遊びもないということですから本当はきついんです。普通に読むと楽しそうに感じますけど

松浦勝人の名言を見ている方へお薦めする名言

松浦勝人の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

松浦勝人について

松浦勝人(まつうら・まさと)は、音楽を中心に芸能マネジメント、映像制作などを行うエンターテイメント企業・エイベックスの創業者。松浦勝人が中心となって輸入レコード・輸入CDの卸売業者としてエイベックス・ディーディー(現・エイベックス)を創業。エイベックス・ディーディーは音楽CDの制作、販売事業に進出し、90年代にダンスミュージックで次々にヒットを飛ばして急成長、売上高は年間1000億円を超え、東証一部にも上場する大企業となった。

1964年10月1日、神奈川県横浜市に生まれる。横浜市立金沢高校を卒業して、日本大学経済学部産業経営学科に入学。1985年(昭和60年)、大学在学中に貸レコード店「友&愛」港南台店でアルバイトを始める。1986年(昭和61年)、貸レコード店「友&愛」のオーナーと松浦勝人の父の出資で株式会社ミニマックスを創業、ミニマックスは貸レコード店「友&愛」のフランチャイズ店を展開した。1988年(昭和63年)、海外のレコード・CDの輸入業者、「エイベックス・ディーディー株式会社」を創業、自身は取締役に就任した。1990年(平成2年)、自社レーベル「avex trax」を設立し、ダンスミュージックのコンピレーションアルバムの販売を始める。1993年(平成5年)、所属アーティスト「TRF」が小室哲哉プロデュースでデビュー。セカンドシングル「EZ DO DANCE」が78万枚を販売する大ヒットとなり、その後5作連続でミリオンセラーを記録するなど人気アーティストとなった。1995年(平成7年)には同じく小室哲哉プロデュースの安室奈美恵、1998年(平成9年)に松浦勝人自身がプロデュースした浜崎あゆみがデビュー。それぞれ大人気アーティストとなり、エイベックスは日本のダンスミュージックブームを牽引する存在となった。

2004年(平成16年)、松浦勝人は当時エイベックス社長だった依田巽と経営方針の違いにより対立。松浦派の役員・千葉龍平が解任されたことによって松浦勝人はエイベックスの取締役を辞任。さらに浜崎あゆみら所属アーティストが松浦勝人支持を表明して移籍の動きを見せた。結果、社長の依田巽は辞任を表明して松浦勝人は執行役員としてエイベックスに復帰した。同年、エイベックスは持株会社体制に移行し、松浦勝人は新たに設立された持株会社エイベックス・グループ・ホールディングスの代表取締役社長に就任した。2010年(平成22年)、エイベックス代表取締役社長CEOに就任。2019年(令和元年)浜崎あゆみの著書「M 愛すべき人がいて」により、浜崎あゆみと恋愛関係にあったことが公表された。2020年(令和2年)、松浦勝人はエイベックスCEOを退任した。