松井道夫

元松井証券社長

  • Twitter
  • Facebook
  • Hatebu
  • Line
  • Copy

松井道夫の名言

松井道夫の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 私はこんなに努力しています。一生懸命働いています。というのは本人の勝手な思い込みです。肝心なのは働いた結果として、どれだけ商売ができたのかということです。

  • 当初の路線を継続しようが、しまいが、どっちみち叩かれる。どうせ叩かれるんだったら、自分が信じた道を行った方がいい。

  • 会社を「大きく大きく」するというのは20世紀型経営で通っても21世紀型経営では通りません。コストという点で致命的な重荷を背負うことになるからです。だから、私は21世紀に入って暫くしてから、会社を「小さく小さく」することを目指してきました。そうすれば、どのようなイノベーションでも対応できると思ったからです。松井証券の最大の差別化戦略です。

  • 誰も彼も、なぜこうも「できない理由」を一所懸命に探し、それを自分に言い聞かせているのか?それで一体どうなるというのだろうか?

  • プロであればあるほど、「相場はこう動きます」なんて言わない。「絶対」がないことをよく知っているからです。

  • 様々な改革をしてきましたが、確信は常にありません。全て試行錯誤です。軌道修正すればいいんです。社長にとって一番大事なのは思い込みなんです。思い込みがなかったら何も行動できないです。なぜ思い込みが大事なのかと言いますと、世の中がどんどん変わっているにもかかわらず、どちらに変わっているか誰も教えてくれないからなんです。

  • 社長にとって一番大事なのは思い込みなんです。思い込みがなかったら何も行動できないのです。

  • 僕は社員に対して「頑張るな」と言っているんです。「頑張りました、努力しましたで結果をこれだけ出しました」というのを僕はあんまり評価しません。頑張ることは大事なことですよ。でもね、頑張ってできることというのは、1割向上するのだって至難の業、2割なんてほとんど不可能です。世の中が変わるというのはどういうことかといいますと、「仕組みを変えたらこうなっちゃいました」「2倍、5倍になっちゃいました」ですよ。この仕組を考えることが仕事だぞと。「頑張らなくてもいい方法をみんな考えろよ」、それが仕事だぞといっているわけです。

  • 10人中9人がうなずくことは、たいてい間違っている。

  • 自分の欲求を実現するには、しつこくやればいいんです。まさに、念ずれば通ず。こうありたい、こうなりたいと、百回、千回、万回唱えていれば、おのずとそういう行動をとるものです。「人間、できないことはない」なんて言うつもりはないですけれど、できないとあきらめた時点で、もうできません。しつこく、できるまでやる。

  • 松井証券では社員を120人に絞り、給料は会社からもらうのではなく、顧客から得た利益の中からもらうという意識を徹底させている。会社という組織の中で「給料をもらって働く」のではなく「自分が働いて給料をもらう」というのは至極当然の考え方である。

  • これからは「個」の時代です。組織を構成する一人一人が主体性を持って行動できなければなりません。明治維新などの過去の「革命」の例を見ても、「個」が組織を利用して改革を成し遂げたのであり、今まさにそうした発想ができる人間が求められています。

  • 決断する立場に置かれて初めて、人は物事を苦しんで考えるのです。非常に平凡な言い方をすると、苦しんだことのない人間は、やっぱりダメです。

  • 「たわ言」から、すべてが始まるんです。それをあえて唱えて、その実現に向けて悩み苦しむことが本来のビジネスなんです。

  • その時代時代によって、人間が考えている「常識」と呼ばれるものっていうのはどんどん変わっていくわけですよね。ビジネスというのは、そういった時代が変化することによって、刻々と変わっていく人間の気持ちというかニーズをいかに捉えるかどうか、こういう事に尽きるわけですよね。

  • 積極的ニートは逆に見込みのある若者たちですよ。

  • 「面白くない」と思いながら物事に当たれば、なんでもつまらないものになってしまう。「面白いはずだ」と思い込んで、ちょっとでも真剣にやってみると、面白いタネが次から次へと浮かんでくる。そして、それを続ければ続けるほど、面白くなっていくのだ。

  • 人生もそうだと思いますが、ねちっこくないといけない。これを簡単な言葉で言ったら「あきらめるな」ということになるのでしょう。あきらめというのは「逃げ」ですから、あきらめちゃいけないんです。とはいうものの、私自身、いつでも逃げ出したい衝動には駆られます。でも、人間の行為で一番後悔するのは、逃げることでしょ。逃げると自分自身が許せなくなってきます。あとで悔やむのは自分。そんなことで苦しみたくないから、逃げない。その一念でやっています。

  • これからの時代、会社やグループの規模が大きいことに価値があるとは思えない。

  • コーポレート・ガバナンスというのは、リーダーに強い権限を与える一方、失敗した場合にはそのリーダーをパージする仕組みです。「あいつの言っていることを信じてやらせてみよう」、「そのかわり、判断ミスが明らかとなった場合には辞めさせる」という2つの仕組みが揃わなければ、リーダーの思い込みに組織を委ねることなどできません。

  • 私は社員に「給料をもらって働く人」は辞めてくださいと言っています。必要なのは「働いて給料をもらう人」だけです。両者には大きな違いがあります。江戸時代、魚河岸に魚を売る商人がいましたよね。彼らはいくら朝早くから魚を売り歩いて努力したとしても、結局魚が売れなければ何もしなかったことになります。商人とは本来そういうものなのです。

  • 自ら立ち上げたインターネット証券というビジネスモデルをぶち壊す。ビジネスモデルの創造者だけがビジネスモデルを破壊できる。

  • 組織が肥大化したら膨大なコストがかかるでしょう。これは人件費という直接的なもの以外に、もっとでかいものがあって、それはコミュニケーションが取れないことです。自分達が何をやったらいいのか分からなくなってしまうんです。官僚化が進み、責任の擦り合いが始まる。組織がでかくなって良い事は一つもないんです。

  • 会社の為に仕事するなんて考えないでくれと。個人の為に仕事をするんだろうと。個人の夢だとか、いろんなことを実現する為に、会社や組織を利用するんだろうと。そういう発想になってくれと。したがって社員に対しては、給料を貰って働くという発想をしないでくれと言っています。そういう奴はいらないと。働いて給料を貰うという発想にしてくれと。

  • 会社を主語にするのではなく、個人を主語にする「組織から個へ」の時代はもう始まっていると思います。「あの会社大きいねえ」を「その会社に属する個人も大きいねえ」と誰が思いますか?組織としての売り上げの大きさ、利益の大きさ、まして、社員数の多さ・・・そんなものを競う時代ではもうありません。個に因数分解した価値で競う時代だと思います。

  • 全ては顧客が決める。自分という星の廻りをお客さんという星が廻っているんじゃない。無数のお客さんという星の廻りを自分という星が廻っているんだ。天動説ではなく地動説。顧客第一主義という傲慢な天動説ではなく、顧客中心主義という謙虚な地動説なんだ。

  • お客を騙して儲けようといった魂胆は、通用しないのだ。

  • 最初からあきらめていては、何も始まらないのだ。

  • 「給料をもらって働く」人と、「働いて給料をもらう」人は、まったく違う。前者は会社に従属する奴隷に過ぎないが、後者は主体性を持った「個」だ。「働いて給料をもらう」という感覚を持てば、一つ一つの判断が、いわば死ぬか生きるかの分かれ道になる。もし、ここで間違えたら収入の道が断たれる。それぐらいの覚悟で行動しない限り、主体性は持てないのだ。主体性の持てない奴隷には、私は甘んじたくない。

  • 押せばいいのか、引けばいいのか、という判断には、その時点では確信が持てない。重要な案件ほど先にならなければ、結果が見えてこないものだ。わからないからこそ、リーダーの思い込みしかないと、私は考えている。

松井道夫について

松井道夫(まつい・みちお)は長野県出身の経営者。2代目松井証券社長・松井武の娘・千鶴子と結婚して婿養子となり、松井証券の社長に就任。インターネット証券取引の解禁によっていち早くネット証券事業に参入。旧来の証券会社が不振に陥る中、ネット証券事業を急拡大させて、一時は最王手のオンライン専門証券となるなど、松井証券をネット証券大手に育て上げた。

1953年(昭和28年)3月22日 、現在の長野県松本市で務台家に生まれる。父は東京国税局に務める公務員・務台甚一。生まれてすぐに東京都北区の官舎に移り住む。都立竹早高校卒業後、一橋大学経済学部に入学。大学卒業後は日本郵船に入社。1986年(昭和61年)、松井証券2代目社長である松井武の長女・千鶴子と結婚し、松井家の婿養子となる。翌年に松井道夫は松井証券に入社し、研修のため日興証券に出向してロンドン支店で証券業を学ぶ。1988年(昭和63年)、松井証券に復帰すると取締役法人部長に就任。1990年(平成2年)、常務取締役営業本部長に昇格。外交セールスの廃止や株式保護預り料の無料化などを断行。1995年(平成5年)、松井道夫は代表取締役社長に就任する。この頃、インターネットの普及が急速に進んでおり、証券業界でも1999年に株式売買委託手数料が自由化されることが決まっていて、インターネットを介して割安な売買を行う下地が整いつつあった。そこで松井道夫は1998年に他社に先駆けてインターネット証券業務に参入。割安な手数料を武器に個人を中心にシェアを奪い急成長した。2001年には東証一部に上場。松井道夫・千鶴子夫妻はフォーブスの日本人富豪ランキングで2013年に1358億円で21位となるなど大きな富を築いた。2020年6月、松井証券社長を退任。

松井道夫の名言を見ている方へお薦めする名言

松井道夫の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。