平野岳史

フルキャスト創業者

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平野岳史の名言

平野岳史の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 自分自身を信じてあきらめないこと。失敗したってたかが知れてる。

  • 仕事が上手くいくかどうかなんて、実際は2勝8敗がいいところです。でも、8敗したって2勝すれば、外からは全勝しているように見えるものなのです。だから、一度や二度、失敗したからといって、そんなものやる気を失う理由にはなりません。失敗したら、その経験を次に活かせばいいのです。

  • 100回やめようかと思いましたけど、101回思い直しているから今がある。最終的に高い志や信念を持ち、常に現状よりも次を見据えられる人でないと、成功はできないと思います。その一方で、常に先を見ているからこそ、目の前の物事に謙虚に対応していくということも大事だと僕は思います。

  • 仕事をくれるクライアントだけでなく、働いてくれるスタッフもお客様だという考え方を徹底させたんです。両方のお客様の要求をすべて叶えるということ。これは言うのは簡単ですが、とてつもないことなんです。そのためには、最初のスタート時点におけるシステム作りと言うのは重要でした。

  • よく最初から大きな構想や、高い志を持って、それに向かって邁進することが大事だっていわれますよね。たしかにそれは理想論として素晴らしいことですが、じゃあ、そういう考え方を持たない人は起業に向いていないのかと言うと、僕はそうじゃないと思うんです。

  • 何度も辞めようと思いました。思いとどまらせたのは意地というかメンツというか。もしこれで終わってしまったら、自分のやってきたことが法の盲点を突いただけの虚業と思われてしまう。それだけは許せなかった。それに危機に瀕して辞めていく社員も多くいる中で、それでもついてきてくれた社員がいた。彼らの存在が心の支えになっていました。

  • 私も事業の立ち上げを任せて失敗した人ぐらい、会社にとって貴重な存在はいないと思っています。もちろん、そのときは失敗に対して減給や降格という形で責任をとってもらいますが、そこで腐らず這い上がってくる人は、必ず伸びます。

  • 自分の成長が会社に抜かれてしまうと、人は満足してしまうんです。そうなると、会社の成長も個人の成長も、僕は終わりだと思うんです。どの経営者も、自信をもって怖いものなしの時もあれば、自信がなくてなんでこれで俺は会社をやれているんだろうと思う時、その両面があると思うんです。人間ですから、ずーっと強気一辺倒で行ける人なんていないですよ。ただそれを言葉に出すかどうか、そういうふうに感じながらも考えないようにする意志の強さを持っているかどうか、それだけだと思うんです。

  • サラリーマン時代、私はお金のためだけに働いていた気がします。しかし、起業し、紆余曲折を経て上場を果たした現在は違います。この仕事が、人を喜ばせ、社会貢献につながることに、収入以上の価値を感じています。

  • 私は常に先々の目標から逆算して、いまやるべきことを決め、すぐ行動に移してきました。そうしたスピード感覚を磨くことで、より高みの仕事に挑戦していくことができるようになるからです。そこで毎日の朝礼で、そのことを何度も繰り返して伝えています。

  • けん引役である企業のトップが元気のない顔で社員の前に出ることは許されません。伸びている会社で社長がしょんぼり下を向いているなんて、あり得ないでしょう。戦国時代だって、大将が「さあ、いくぞ」とやる気いっぱいでなければ、戦に勝てなかったはずです。さらに、この役割意識にもうひとつ付け加えるとすれば、周囲の期待に応えたいという気持ちでしょうか。

  • 食べるためだけに働くのなら、私はとっくに仕事を辞めて、毎日好きなゴルフ三昧の生活を送っていますよ。そうしないのは、仕事で人からすごい奴だと認められ、評価される快感の方がゴルフより数段大きいからに他なりません。おそらく、これを超えたら評価されるという期待値のハードルの高さが、そのままやる気の大きさになるんじゃないでしょうか。

  • ビジネスの世界でトップランナーの位置にいる人を見ると、みなさんあまりワークライフバランスのようなことは悩んでいませんね。だいたい経営者というのは、24時間仕事のことを考えているのが普通じゃないですか。しかし、一見すると仕事漬けのようであっても、本人は活き活きしている場合が多い。それは、仕事そのものを楽しんでいるからです。ワークライフバランスがとれているから充実しているというのとは、ちょっと違うと思います。

  • さまざまなタイプの営業を経験したことは、経営者となったいまも非常に役立っています。私の毎日は商談や交渉の連続ですが、相手がどんなタイプの方でも、すぐに相手に合った話し方ができる自信があります。それも、営業マン時代に多種多様な方々にお会いしたからです。

  • お客様が購入に踏み切る理由は、提案内容や多少の値段の安さより、「その営業マンへの評価」であることが圧倒的に多いと思うのです。実際、当社の新人営業マン研修をみていても、同じサービスを同じように売っているのに、歴然とした差が出ます。

  • 一番うまくいった商談を思い出して、「今日も絶対うまくいく」と自己暗示をかけてから、商談に臨むようにしています。たとえば、講演の前などは、「大丈夫、大丈夫。私は講演がうまいし、私の言うことを聞いてつまらないと思う人はいない」と自分に言い聞かせるんです。

  • 起業家には、あくことなき上昇志向、事業欲が必要です。僕の場合は、完全に物欲からはじまっているんです。でも、それが実現してくると、本当にお金持ちになりたかったのかな、と自問自答するようになるんです。結局、僕は自分がどこまで成長できるか、世の中に通用するか、そういうことにチャレンジすることが好きなんだな、ということがわかってきた。物欲だけだったら、きっとここまでやっていないと思うんです。

  • 常にトップと現場の距離が近い会社は強いと思うんです。どうしても組織が大きくなればなるほどこの距離は大きくなっていきますから、なるべくそれを近い状態に保っておけるような、そういう会社を作りたいなと考えています。

  • 「現状を捨てられる勇気」これが実は一番大事で、一度捨ててしまえば、もうあとは走るしかないんです。僕の成功の要因を一つ上げるとすれば、あの時会社を辞められた勇気でしょう。僕の成功の要因を一つ上げるとすれば、あのとき会社を辞められた勇気でしょう。次に「自分を信じて諦めないこと」とくに若ければ若いほど、失敗したってたかが知れてると思うんです。

  • 僕の場合、社員が50人くらいまでの間は各人とフェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションをとりながらも、自分がヒーローとして会社を伸ばしてきました。限界を感じ始めたのは、社員数が50人を超えて、拠点が4から5に増え始めた時だったんです。その時初めて組織と言うものを考えました。光り輝くのは自分じゃなくて、次の経営幹部じゃなくちゃいけないんです。

  • 僕の場合、自分の中でできることを見つけて、本当に身近なところから手をかけていっただけ。最初は生きていくために始めた事業が、やっと食えるようになり、徐々に形になっていった。そういう変化の中で自分の考え方も変わっていき、そんな社長を見て周りの人もついてくる。自分を支えてくれるいい仲間に恵まれたことも大きかったですね。そうやって上を目指せるようになっていくということが、僕はすごく大事だと思うんです。

  • 会社が大きくなっていく過程では、自分自身が置かれている立場も変わりますし、組織の作り方も違います。何回も変化しますから、常に会社の変化のスピードよりも自分が一歩先を考えて成長していかないとダメだな、というのが実感です。

  • 私の本を読んだ人は、あたかも私が成功に至る唯一の道を外れることなく歩んできたように思っているかもしれません。しかしそれは間違いです。どっちに行ったらいいかわからず、無駄や寄り道を繰り返しながら、気がついたらここに立っていたというのが正解です。いまだって、毎日、試行錯誤の連続です。

  • ビジネスは失敗の連続ですから、逆境に弱いというのは致命的です。逆に、自ら場数を踏んで、失敗のストレスやプレッシャーに対する耐性を高めていって、プレッシャーのかかる場面ほど燃えるようになれば、仕事は格段に面白くなるはずです。

  • いまだって、毎日、試行錯誤の連続です。無駄なことをしないで済むなら、そうしたいと思います。でも、そんなことは土台無理なのです。仕事や人生にこれが正しいという答えはありません。

  • 私自身は常にスタッフであろうが社員であろうが、同じ目線で話をしようと思っています。しかし会社が大きくなってくると、たまに支店に行ってざっくばらんに話をしようとしても、向こうはこちらに凄い距離感を持っていて本音がなかなか出てこない。下手に距離感を縮めようとすればするほど逆効果になるときもあって、今は無理して縮めようとするよりも自然体のままでいようと開き直っています。

  • 日本の若者を中心に就業に対する考え方が変わりました。日本の就業の中で良しとされているのは唯一、一流高校、大学を出て、一流企業に終身雇用され勤め上げることだった。しかしだんだんと終身雇用制が崩れ、必ずしも良い学校を出て良い企業に勤めることが幸福の定義ではなくなってきた。

  • 私は母子家庭で育ったので、欲しいものが買えなかったし、母親も苦労していた。その影響で「絶対金持ちになってやるんだ」という思いがありました。企業家もしくはスポーツ選手でもよかったのですが。聞こえ良く言うなら「母親に楽をさせたい」ということになるのでしょうが、どちらかと言えば自己顕示欲が人よりも強かったのだと思います。自分自身をアピールできるのは何なのかずっと考えていたのです。

  • 人間というのは、自分の生きてきた中で培った経験でしか考える幅が無いんです。僕も今まで出会った人、こと、場所の積み重ねで考えています。だから経験が広がれば、その分考え方も広がると思いますよ。

  • 偶然によってフルキャストホールディングスという1000億円企業が生まれたと見られたとしたら、私にとってとても不本意なことです。本物の事業家はどんな分野の事業であっても、決められたルールに則って、新たに大きな事業を2つ3つは作れるものだと常々考えてきました。そこで、私はそのことを自らの手で証明しようと決意しました。

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平野岳史について

平野岳史(ヒラノ・タケヒト)は、神奈川県横浜市出身のフルキャストホールディングスの創業者。フルキャストホールディングスは人材派遣業の東証一部上場会社。家庭教師派遣からスタートし、日雇いと呼ばれる軽作業請負業務、一般労働者派遣、警備業務、給与計算代行業務などへと業容を拡大。創業11年で株式公開し、14年で東証一部上場を果たした。一方で建設業務への違法な労働者派遣などの問題が発覚し、東京労働局より業務停止命令を2度受けた。

1961年8月25日、神奈川県横浜市に生まれる。神奈川大学経済学部卒業後、1984年に先物取引のハーベストフューチャーズに入社するが3年で退職し、一時フリーター生活を送る。1989年に家庭教師派遣の神奈川進学研究会を創業。1990年にリゾートワールド(現フルキャストホールディングス)設立。家庭教師派遣事業を神奈川県から全国に拡大した。1992年に社名を株式会社フルキャストに改称、軽作業請負業務に進出した。軽作業請負業務に進出した。1997年にオフィス向け短期業務請負を開始。2001年、株式を店頭公開し、2004年には東証一部への上場を果たす。2007年には持株会社フルキャストホールディングスを設立し、平野岳史は取締役会長に就任した。

2006年、労働者派遣法によって禁止されていた建設業務への労働者派遣が発覚。また、残業代の不払い問題も報じられた。翌2007年に違法な労働者派遣が繰り返されたとして業務停止命令を2度受けてしまう。平野岳史は一連の不祥事の責任を取る形で取締役相談役へと退いた。その後リーマンショックによる不況などもあいまってフルキャストの業績は低迷。1000億円を超えていた売上高が2013年12月期には174億円まで減少してしまった。その後フルキャストはアルバイトの人材紹介や給与計算代行業務などの事業が拡大し、業績は回復。平野岳史は2015年に取締役会長に復帰した。2020年、平野岳史はプロダンスリーグ「D.LEAGUE」を運営する株式会社Dリーグ代表取締役CEOに就任。