ビジネスは失敗の連続ですから、逆境に弱いというのは致命的です。逆に、自ら場数を踏んで、失敗のストレスやプレッシャーに対する耐性を高めていって、プレッシャーのかかる場面ほど燃えるようになれば、仕事は格段に面白くなるはずです。
平野岳史 フルキャスト創業者
この名言を見ている方にお薦めの名言
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「勝手にシンドバット」の後はすぐ煮詰まっちゃったけどね。テレビばっか出てさ、毎回毎回同じ歌を歌ってりゃさ。だって、そうでしょ。何か他の曲もあって、で、「勝手にシンドバッド」があるならいいよ。芸人の顔もできるから。でも、まるっきりあれしかやんねーんだもん。芸人の顔がすべてだもんね。
桑田佳祐 ミュージシャン
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時代に合ってない、キャラが使いづらい、なんて明日からまた言われるようになるかもしれないわけよ。そうしたら、「ハイわかりました」って言っていつでも身を引こうと思ってる。
ヒロミ タレント・実業家
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仕事がなくなるのは来年かもしれないし、半年後かもしれない。でもそれは寿命だから甘んじて受けるしかない。
石橋貴明 お笑いタレント
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オーナー企業に天才的なひらめきがあるというのは、神話にすぎない。私は40年にわたってオーナー起業家たちと仕事をしてきた。天才的なひらめきを当てにするオーナー起業家は、ひらめきのように消えていった。
ピーター・ドラッカー 経営学者
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本当はテレビには出たくないんです。世間に自分の顔をさらすの、好きじゃないんで。でも仕事って本来、辛いもんじゃないですか。
蛭子能収 漫画家、タレント
平野岳史の他の名言
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僕の場合、社員が50人くらいまでの間は各人とフェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションをとりながらも、自分がヒーローとして会社を伸ばしてきました。限界を感じ始めたのは、社員数が50人を超えて、拠点が4から5に増え始めた時だったんです。その時初めて組織と言うものを考えました。光り輝くのは自分じゃなくて、次の経営幹部じゃなくちゃいけないんです。
平野岳史
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23年前にもらった初任給は、額面15万8640円。このときの給与明細を、私はいつも財布に入れています。「これが地道に働いて得たお金なんだ。そして、この金額が社会に出て最初に私に与えられた価値なんだ」とその重みを噛みしめると同時に、将来この価値を何倍に殖やすことができるのだろうという期待や可能性に胸を膨らませていたのです。
平野岳史
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よく最初から大きな構想や、高い志を持って、それに向かって邁進することが大事だっていわれますよね。たしかにそれは理想論として素晴らしいことですが、じゃあ、そういう考え方を持たない人は起業に向いていないのかと言うと、僕はそうじゃないと思うんです。
平野岳史
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僕の場合、自分の中でできることを見つけて、本当に身近なところから手をかけていっただけ。最初は生きていくために始めた事業が、やっと食えるようになり、徐々に形になっていった。そういう変化の中で自分の考え方も変わっていき、そんな社長を見て周りの人もついてくる。自分を支えてくれるいい仲間に恵まれたことも大きかったですね。そうやって上を目指せるようになっていくということが、僕はすごく大事だと思うんです。
平野岳史
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けん引役である企業のトップが元気のない顔で社員の前に出ることは許されません。伸びている会社で社長がしょんぼり下を向いているなんて、あり得ないでしょう。戦国時代だって、大将が「さあ、いくぞ」とやる気いっぱいでなければ、戦に勝てなかったはずです。さらに、この役割意識にもうひとつ付け加えるとすれば、周囲の期待に応えたいという気持ちでしょうか。
平野岳史
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学生時代に家庭教師のアルバイトをやったこともあったし、これだったら自分にもできそうだということで見よう見まねで始めたのが、家庭教師センターだったんです。アルバイトの四重掛け持ちをしながらの紆余曲折が、最初の起業につながっていったんです。
平野岳史
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私は常に先々の目標から逆算して、いまやるべきことを決め、すぐ行動に移してきました。そうしたスピード感覚を磨くことで、より高みの仕事に挑戦していくことができるようになるからです。そこで毎日の朝礼で、そのことを何度も繰り返して伝えています。
平野岳史
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結局、売れる営業マンは、お客様に「この営業マンは自分と相性が合う」と思わせるのが、非常に巧みなんです。「相性が合うこと」をもう少し具体的にいうと、「その相手の存在が心地よい」ということですね。話すスピードや間合い、声のトーン……。これらの波長が合う人を、人は心地よいと思うものです。
平野岳史
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何度も辞めようと思いました。思いとどまらせたのは意地というかメンツというか。もしこれで終わってしまったら、自分のやってきたことが法の盲点を突いただけの虚業と思われてしまう。それだけは許せなかった。それに危機に瀕して辞めていく社員も多くいる中で、それでもついてきてくれた社員がいた。彼らの存在が心の支えになっていました。
平野岳史
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さまざまなタイプの営業を経験したことは、経営者となったいまも非常に役立っています。私の毎日は商談や交渉の連続ですが、相手がどんなタイプの方でも、すぐに相手に合った話し方ができる自信があります。それも、営業マン時代に多種多様な方々にお会いしたからです。
平野岳史