ココ・シャネル

シャネル創業者、ファッションデザイナー

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ココ・シャネルの名言

ココ・シャネルの過去の名言をまとめた名言集です。

  • お金は、儲けるために、夢中になるものではなく、使うためにこそ、夢中になるべき。

  • 人々は私の服装を笑うが、それが私が成功した秘訣だ。私は他の誰とも違って見えるのだ。

  • かけがえのない人間になるためには、他人と違う必要がある。

  • 欠点は魅力のひとつになるのに、みんな隠すことばかり考える。欠点はうまく使いこなせばいい。これさえうまくいけば、なんだって可能になる。

  • みんなは私の服装を笑うけれど、それが私の成功の秘訣なんです。他の誰とも違って見えるから。

  • 女性は独立しなければいけないが、皆が平等にということではない。平等とは後退なのだ。

  • 私の人生が私を喜ばせるのではない。私が人生を作るのだ。

  • この世には豊かな人がいます。また、お金を持った人もいます。これらは同じ人たちではないのです。

  • スタートが不幸だったことなんて、私はまったく恨んでいません。

  • 服がみすぼらしいと、服ばかりが印象に残る。服が完璧であれば、女性自身が印象に残る。

  • 大切なのは外見ではなく実体、金銭ではなく教育、衣服ではなく気品である。

  • お金が欲しいという欲望から始まって、次に働きたい意欲にかられる。そして働くことは、お金それ自体よりも、もっと強い興味の対象となってゆく。お金は結局、独立のシンボルという意味しか持たなくなる。

  • 愛の物語が幕を閉じたときは、そっと爪先立って抜け出すこと。相手の男の重荷になるべきではない。

  • ただの人じゃなく、ひとかどの人物になろうと思ったら、ずいぶんたくさんの人が離れていくものよ。

  • 私は好きなことしかしない。私は自分の人生を、自分が好きなことだけで切り開いてきたの。

  • 多くの場合、成功というものは、失敗が避けられないということを理解していない人たちが成し遂げるものです。

  • 偉大なことを成し遂げるには、まずは夢を見なければならない。

  • あなたが自分自身であろうとした時が、美の始まる瞬間だ。

  • 20歳の顔は、自然の贈り物。50歳の顔は、あなたの功績。女は40を過ぎてはじめておもしろくなる。

  • 真似は大いに結構。真似される価値があるから真似されるの。本物の証拠なの。

  • 優しさに包まれてする仕事なんて、本当の仕事じゃない。怒りがあって、はじめて仕事ができるのよ。

  • 真似されたら、また創ればいいし、しょせんモードは移ろいやすい商品よ。芸術作品じゃないのだからね。

  • 男の人に小鳥の重さほどの負担もかけたいと思ったことはないわ。

  • 美しさとは、青春期を抜け出したばかりの人間がもつ特権ではありません。それは、すでに将来を手に入れた人間がもつ特権なのです。

  • 豪華さは貧困の反対だと考える人もいますが、そうではありません。豪華さは俗悪さの反対なのです。

  • 優雅であるためには、外見と同様に内面の美しさも欠かせない。

  • 「シャネルのファッション」と言われるのは好きじゃないわ。シャネルは何をさておき、1つのスタイル。ファッションはすたれても、スタイルは残るものよ。

  • すべては私たちの手のなかにあるのだから、それを失わないようにしないとね。

  • わたしは自分のつくり出したアイディアが他人によって実現されたときのほうがうれしくさえある。

  • 忘れられる運命にあるから、次のファッションが生まれるのよ。

ココ・シャネルの名言を見ている方へお薦めする名言

ココ・シャネルの残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

ココ・シャネルについて

ココ・シャネルはフランスのファッションデザイナーでファッションブランド・シャネルの創業者。本名・ガブリエル・ボヌール・シャネル。帽子のデザイン・販売からスタートし、婦人服や香水などにも業容を拡大。シャネルは世界でも有数のファッションブランドに成長した。

1883年フランスオーヴェルニュ地方生まれ。12歳のときに母が病死し、行商人だった父にも捨てられて孤児院で育つ。18歳で孤児院を出るとココ・シャネルは歌手を目指すが挫折。暇を持て余して帽子を作製したところ、友人の間でデザインが評判となり、1909年に恋人のエティエンヌ・バルサンの協力を得てパリに帽子のアトリエを開業。

1910年には新恋人のアーサー・カペルの援助で帽子専門店「シャネル・モード」を出店。事業規模を拡大し、香水や婦人服にも参入する。1939年労働者との対立により、ほとんどの店舗を閉鎖し一時引退。その後勃発した第二次世界大戦で、フランスはドイツに占領されてしまう。この時ココ・シャネルはドイツ占領軍の上層部と深い関係となり、安全面、財産面で様々な恩恵を受けた。連合国軍がドイツ軍を追放し、フランスが独立を回復すると、ココ・シャネルは売国奴として非難され、ドイツへの協力者として逮捕されてしまう。

逮捕後すぐに釈放されたものの、フランスでの居場所はなく1945年にスイスへと移った。

約9年間の亡命生活を経た1954年、ココ・シャネルはパリに戻り、ファッション界に復帰する。依然としてヨーロッパではココ・シャネルへのバッシングは根強かったものの、アメリカは寛容的だった。この頃、女性の社会進出が本格化してきており、シャネルはこの波に乗って働く女性のためのスーツ「シャネル・スーツ」を発表し、好評を得て大きく売上を伸ばした。1971年死去。享年87歳。