ジョン・ピアント・モルガン

JPモルガン・チェース創業者、USスチール創業者

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ジョン・ピアント・モルガンの名言

ジョン・ピアント・モルガンの過去の名言をまとめた名言集です。

  • あなたに見える限界の場所まで行きなさい。そこにたどり着いたら、もっと遠くが見えるようになる。

  • 人が何かをする場合ふたつの理由があります。それは正当化された理由と本当の理由です。

  • 大衆にはうんざりしている。彼らは見出しを呼んでそれで終わりだ。記事自体は公平で事実に基づいていても、彼らは事実を読まない。ただ見出しを読んで扇動家の意見を聞き、世論が作られる。

  • まず大切なのは人格であって、お金でそれを買うことはできない。私が信頼していない人は、いかなることがあろうとも、私からお金を借りることはできない。

  • どこかにたどり着きたいと欲するならば、今いるところには留まらないことを決心しなければならない。

  • 簡素な形に分割されるまで、問題が解決されることはない。曖昧な困難さを、特定の具体的な形にするのは、思考の非常に重要な要素だ。

  • 人間が行動する時にはいつも二つの理由がある。もっともな理由と本当の理由だ。

  • あなたが何かが起こると感じた時、不思議なことだが、それは起こるのだ。

  • 道徳的な人生を送るための鍵は、あなたの母親に話して恥ずかしいことをしないことだ。

  • 私が一つの会社を買収し立て直す時、名誉にかけてそうせねばならぬと考えるからだ。その会社を守るという経営者としての道義的責任がある。

  • その会社に投資するかの判断は何をおいても相手の人格です。お金で人格は買えません。金よりも何よりもまず人格が大切です。私の信頼を得られない人物は、私から金を借りることはできません。

  • その話はもう結構。忙しくてそんなことに付き合っている暇はありません。さようなら。

  • 我が国アメリカが世界一の資源豊かな国であることをいつか証明してみせる。

  • 誰もが節税をする権利がある。彼らが政府を維持するための助けをする道義的義務などないのだ。

  • 値段を聞かなければならないようなら、それを買う資格はない。

  • 私は自分の銀行内のどんな事務の仕事でもこなせる。

  • 眠れぬほど、株を持つな。

  • 私が長生きすればするほど、優秀な頭脳の持ち主、とくにしっかりとし均衡の取れた頭脳の持ち主のいないことが一層歴然としてきます。

  • 自分が与えられた地位でこれまで成功できたとするならば、それは何よりも父の知人たちの引き立てのおかげだ。

  • 鉄道各社間の競争によって国民の利益が守られるといったあり得ない考え方は、50年前に捨て去るべきだった。

  • お金とはビジネスと等価であり、さらに力と等価でもある。これら全ては人間性と信頼から生まれている。

  • 目標を達成するための隔たりを埋めることができるのが賢い者だ。

  • ビジネスは誰としても良いが、ヨットレースは紳士としかやってはいけない。ヨットの維持費を問題にするような人間には船を買う資格はない。

  • 訴訟を起こす気になど絶対になってはいかん。そんなことをしたら命が縮まる。

  • 誰でも小金持ちになることはできる。しかし、それより上の大金持ちになるには、占星家が必要だ。

  • 私の鼻のことは周知の事実だ。これなくしてニューヨークの街を歩き回ることはできない。私の大きな鼻はアメリカ実業界の一部だ。

  • 君の鉄道だって!?とんでもない。君の鉄道は私の得意先の皆さんの所有物だ。

  • これからは経理を透明にして商売をする時代がやってくる。

  • ホームレスたちは彼らのリーダーと口論しない。これは我々のような世界を治める資本の帝国を築こうとする者の間でよく知られている。人々を分割すれば、彼らのエネルギーは重要でない事柄に向かい、共通の群れの指導者には向かわない。

  • あの丘を登らなければならぬ。

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ジョン・ピアント・モルガンについて

ジョン・ピアント・モルガンは父から金融会社を受け継ぎ、19世紀末頃に世界最大の銀行へと大発展させた。鉄道、製鉄、海運、電力、通信など数々の事業に進出。アメリカ最大の製鉄会社USスチールの合併に関与するなど、産業界を支配。ウォール街を代表する大物金融家となった。

1837年アメリカ・コネティカット州ハートフォード生まれ。父は富裕な金融業者・ジュニアス・モルガン。ドイツのゲッティンゲン大学を卒業後、1857年に父の会社に入社し、ロンドン支店に配属される。1860年、ニューヨークで父の会社の代理店として自らJ・P・モルガン・アンド・カンパニーを設立した。1860年代前半に行われたアメリカの南北戦争では、ジョン・ピアント・モルガンは北軍への軍需品納入で巨利を得るなど商才を発揮した。1871年フィラデルフィアの銀行・ドレクセルと共同でニューヨークにドレクセル・モルガン・アンド・カンパニーを設立。経営はジョン・ピアント・モルガンが行い、父の助言によって銀行家のアンソニー・ドレクセルを顧問とした。1895年アンソニー・ドレクセルの死により社名をJ.P.モルガン・アンド・カンパニーと改めた。J.P.モルガン・アンド・カンパニーは国際的な金融取引、鉄道建設や製造業向けの融資などで順調に成長。さらに1901年には自身とエルバート・H・ゲイリーが株式を保有する連邦鉄鋼会社と、アンドリュー・カーネギーのカーネギー鉄鋼会社との合併を主導、世界最大の鉄鋼会社「USスチール」を設立させた。

1907年に起こった金融恐慌でジョン・ピアント・モルガンは、多くのニューヨークの銀行が破産の危機に瀕する中、政府や銀行家と折衝を重ねて銀行間で資金を融通する仕組みを形成。金融恐慌の影響を最小限に抑えることに貢献した。1913年ローマへの旅行中にホテルで死去。享年75歳。彼の残した資産は6,830万USドルだった。