豊田佐吉

豊田自動織機創業者

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豊田佐吉の名言

豊田佐吉の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 人間のやったことは、人間がまだやれることの100分の1にすぎない。

  • 仕事は人がさがしてくれるものではなく。自分で身付けるべきものだ。職は人が作ってくれるものではなく、自分自身で こしらえるべきものだ。 それがその人にとっての、本当の仕事となり、職業となる。とにかくその心掛けさえあれば、仕事とか職業とかは 無限にあるといっていい。

  • わしは他人よりよけいに創造的知能に恵まれているわけではない。すべて努力の結晶だ。世間は、その努力を買ってくれないで「天才だ」と言って片付けてしまう。私には遺憾千万。

  • 仕事は自分で見付けるべきものだ。また職業は自分でこしらえるべきものだ。その心掛けさえあれば、仕事、職業は無限にある。

  • 世の中の多くの人のために、また、お国のためにという考えで一生懸命に働いてゆけば、食う物も着る物も自然とついてくるものじゃ

  • 金は借りやすいところから借りてはいかん。慎重な貸し手は相手の人格を見て、仕事の内容を検討する。そんな人は、こちらが悪くなるとさらに金をつぎ込んでくれる。その反対に、安易に金を貸してくれる人は、こっちが一番金が欲しいときに返済を迫ってくる。

  • いくら儲けたいの、いくら儲けねばならんのと、そんな横着な考えでは人間生きてゆけるものではない。

  • 障子を開けてみよ。外は広いぞ。

  • これはみな外国品ばかりではないか。こんなことで日本の将来をどうする。今に私は立派な国産品をつくって、きっと外国品を追っ払って見せる。

  • その大きな未開の宝庫は、早く扉を開けてくれと中から叩いて呼びかけている。

  • 君は商人だぞ。商人なら金を儲けてくれ。儲けたら俺たちに回してくれ。そうしてこそ、はじめて研究ができるんだ。だいたい、世間の奴は研究家の実情を知らんな。

  • わしの今日あるのは、天の心というものだ。それなら、こちらも社会へ奉仕せにゃいかん道理だ。「誠実」というその字を見ろ。言うことを成せという言葉なんだよ。

  • 一日働かざれば、一日食わず。

  • 上海というところはいいな。隣近所のお付き合いはせんでいいし、親類の連中は来んし、俺は考えたいことを考えていたらいいんじゃ。こんないいところなら、もっと早くに来て、もっと早く自動織機の完成をやればよかったと思うな。

  • 発明発見とか創意工夫の世界は、あくまでも広大無辺で、今まで人間の踏み込んだ地域は九牛の一毛にも達していない。その大きな未開の秘庫は「早く扉を開けてくれ」と、中からいつもわれわれに呼びかけている。しかもその扉を開く鍵は、いつも、どこにも、誰の足下にも転がっておるのである。

  • 男は、四の五のいらぬことを 考える必要はない。志を立てた以上、迷わず一本の太い仕事をすればよい。

豊田佐吉の名言を見ている方へお薦めする名言

豊田佐吉の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

豊田佐吉について

豊田佐吉は織機の研究・開発に取り組んだ技術者、経営者。当初は人力織機を研究し、それを改良して木製動力織機を発明。ついには自動織機を完成させた。そして自動織機の製造会社、豊田自動織機を創業した。のちに豊田自動織機の自動車部門がトヨタ自動車となった。現在のトヨタグループの創創始者。

1867年(慶応3年)敷知郡山口村(静岡県湖西市)生まれ。一家は貧しく、父は百姓と大工で生計を立てていた。小学校卒業は父のもとで大工の修行をしていたが、1885年(明治18年)、18歳になると手織り織機の開発を始める。1890年(明治23年)豊田式木製人力織機を完成させ、初めての特許を取得した。

1895年糸繰返機の製造、販売を行う豊田商店を設立。1897年(明治30年)織機の製造業、織布業の乙川綿布合資会社を設立。三井物産が乙川綿布の製造する織機に目をつけ、1898年(明治31年)豊田佐吉と三井物産共同で合名会社井桁商会を設立。しかし、同社の経営はうまく行かず、1902年(明治35年)豊田佐吉は豊田商会を設立して独立した。さらに1906年(明治39年)豊田式織機株式会社を創立した。

織機の開発・研究に取り組み続け、1925年(大正14年)ついには初の自動織機となる無停止杼換式自動織機G型を完成させる。このG型自動織機を製造するために株式会社豊田自動織機製作所(現・豊田自動織機)が設立された。後に豊田自動織機から自動車部門が分離し、トヨタ自動車となる。1930年(昭和5年)死去。享年63歳。