藤田田
日本マクドナルド、日本トイザらス創業者
藤田田の名言
藤田田の過去の名言をまとめた名言集です。
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事業にしても、たった一つの理由で成功していると、ひっくり返る可能性がある。細かいことの積み重ねを怠らないことが成功の秘訣である。積み重ねるものは、それがどんなに小さなものであっても心配することはない。
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傍観者ではダメである。どんな仕事でも、当事者になることが肝要である。
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毎分、毎分判断してジャッジを下していく積み重ねが、大きな人生になっていく。成功する原因は自分がつくっているのである。その成功の見えない原因を人は「運」と呼ぶが、見えないだけで原因は存在しているのである。
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人生は不平等である。しかも、この与えられた不平等はどうあがいても変えられないものである。あとは挑戦あるのみである。不平等に屈してはならない。
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ふり返ってみると、絶体絶命のピンチに陥ったとき、私は反発し発奮し、窮地を脱してきた。もうダメだと思って諦めて、自分で自分の命を絶つ方法はとらなかった。それがよかったのだ。
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必要なのは、絶対100パーセント成功するという思い込みではなく、絶対成功する、させてみせると自分で信じることである。要するに「思いは真実になる」ということを、自分で自分自身に信じさせることである。自信過剰なくらい自分で信じることである。
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経営には一貫した哲学がいるんです。自分がこうだと思ったら、世の中がどう動こうと誰がなんと言おうと、それを堅持していかなければならない。みんなが「だめだ」と言うから成功すると思った。
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不景気は商売がうまくいかない原因ではなく、平等に与えられた条件にすぎない。
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金はある手から洩れてくる。金の絶対数がないところでは、いくら知恵をしぼっても洩れてはきはしないのである。なんであれ、ビジネスは現実に金を持っている人から取らないとなりたたない。金を持っていない人びとを相手にしていては、どんなにあがいても商売できるものではない。
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努力×時間の法則、一日24時間。成功はいかなる人にも平等に与えられた、この24時間にどれだけ努力するかにかかっている。人生に満塁ホームランはない。ゴロやバントを狙え。人間の頭の中身など、もともと大差などない。最後はいつも本人の「努力×時間」。
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人の上に立つためにも、数字を使わなければならない。数字の持つ客観性こそが、人を説得するのである。
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満塁ホームランよりゴロやバントを狙え。人生は博打ではない。人生には満塁ホームランはありえないのだ。ゴロとかバントで塁を一つずつ進めていく。それが人生である。満塁ホームランというのは天才のやることである。そんなことを夢見ていたのでは、失敗してしまう。
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成功が約束されたビジネスであれば、不安はない。しかし、そんなビジネスなどは存在しない。成功を信じ、過去の成功を踏み台にして成功を目指し、前進するのみである。
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モータリゼーションの進行というのは、人々が忙しくなっているということです。ゆっくりしている暇もない。だから1日のうち1回か2回かはファストフードを食べなければ、時間が足らないのです。どっちが現在の時代に合ったサービスか、といえばもうはっきりしていることでしょ。
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わたしはうまくいったらどうなるか、ということを考える。悪くいったらどうなるかということばかりを考えるのではなく、事態が良い方に動いたらどうなるかも十分に検討すべきである。
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波に乗ると波に押されて進んでいく。歴史の流れに逆らおうとするとひどい目に遭う。
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世の中の動きというのは、実態はみんなが考えているよりも速い。だから現場を知らない机上の政策はいつも後手後手に回るのだ。
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今日来たお客様は、明日こないかもしれない。いま、何をすべきか、それがこのビジネスのすべてである。
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「きれいな金」「汚い金」といった金銭感覚はすぐさまきれいさっぱり捨ててしまうことだ。捨ててしまって、金儲けは人生の最重要事項だと心得ることだ。
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ことを始めるにあたって、他の奴も同じ事を考えているのではないかと危惧する必要はない。このことについては、自分自身が一番精通している、自分自身が天下の第一人者だ、と思うべきである。
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世間から後ろ指を指されないようにし、悟ったような顔をしながら、内心では「ああもっと儲けられるのになぁ」と歯ぎしりしているのが、日本のビジネスマンである。儲けられるだけ儲ける。私のこのビジネス哲学はユダヤの商法から発している。
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勝てば官軍、非情の世界だから面白い。
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ビジネスに挑戦するならば勝たなければならない。勝てば官軍。負ければ倒産が、現実なのだ。負けたら言い訳は通用しない。勝つことがすべてなのである。
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経営者にとって重要なのは魂だ。経営者には日本の文化に貢献するといった使命感がなければいけない。
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ベンチャービジネスは10人のうち7人が賛成するようなことをやっていたのではダメである。むしろ10人のうち7人が反対したから注目するのだ、という考えこそ必要である。
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社長たるものは明日返事するよりは、間違ってもいいから、今日答えるべきである。もし間違っていることに気付いたら、訂正するばいいのである。
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私は人生というものはなるようにしかならない、と考えている。だから最悪の状態が来てもジタバタしない。これ以上悪くならない。そう思って落ち着いている。今が最悪だからこれからやよくなる。そう思ってがんばる。
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「これから死ぬ老人を相手にしても始まらない。これから生まれてくる人間を相手にしろ」というのはわたしの口癖。
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ビジネスとは儲けることである。儲かるからこそ面白いのだ。どんなにきれいごとを言おうと、儲からなくては商売をする理由がない。売れないとか、景気が悪いからと言って嘆く人は、はっきり言って商人の資格がないと私は思う。ビジネスの世界は面白い。
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30歳までに金を貯めて、海外へ出て40歳で起業しろ。 財産ができたらそれを3分の1ずつ使って三回商売にチャレンジしてみろ。
藤田田の名言を見ている方へお薦めする名言
藤田田の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。
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二人の人間がすべてにおいて同じ意見なのであれば、そのうち一人は必要ない。
ウィンストン・チャーチル イギリス首相、軍人、作家
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儲けよう、儲けようと焦れば焦るほど失敗する。他人がいいぞと言ったり、上手く儲けた話を聞いて、あわてて手を付けると、もうその時は手遅れだ。いつまでも柳の下にドジョウがいるわけではない。
堤康次郎 西武グループ創業者
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世の中はあなたの自尊心など気にしていない。世の中はあなたに、自分が優れていると感じる前に何かを成し遂げることを求めている。
ビル・ゲイツ マイクロソフト創業者
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取り返しのつかない大きな失敗をしたくないなら、早い段階での失敗を恐れてはならない。
湯川秀樹 物理学者。日本人初のノーベル賞受賞者
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挫折や失敗こそ新たな変化へのチャンス。失敗は決して恥ずかしいことではありません。恥ずかしいのは失敗ではなく失敗を恐れて何もしないこと。
山中伸弥 医学者、iPS細胞の開発者
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やってみないとわからない。行動して見る前に考えても無駄です。行動して、考えて修正すればいい。
柳井正 ユニクロ創業者
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事実として、資本主義経済が変動しないなどということはあり得ない。それはただ確実に成長し続けるという意味ではない、企業によって絶え間なく革新が行われるということである。例えば、新製品の投入、新生産方式の導入、新たな商機の創出といったことが常に起こるのだ。
シュンペーター 経済学者
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イチローも4割・5割の打率は記録できず、6割以上失敗する。人生も同じだ。失敗しても構わない。大事なのは、失敗してもそこから起き上がることだ。
桑田真澄 元プロ野球選手
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もう打てないんじゃないかという恐怖は、常について回るんです。結果を残してきた人ほど不安と戦ってきたはずだし、恐怖心を持っていない人は本物じゃない。その怖さを打ち消したいがために、練習するわけです。
王貞治 野球選手、監督
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しっかりと自分の軸を持って本物を追求すれば、いつか周りが認めてくれる。本物だけが、勝ち続けられる。
原晋 陸上指導者
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金になることが仕事だと思っている人間が大多数でしょうけれど、仕事は金とは無縁のもので、本当に自分のやりたいことこそが仕事だと僕は思うんです。それが生きがいになってくる。本当の自分の仕事がしたくなる時期でもあるんです。それが活力になるんですよ。
倉本聰 脚本家
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我々でなければ、誰がやるんだい?今でなければ、いつやるんだい?
ジョン・F・ケネディ アメリカ合衆国大統領
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完成形が出来上がるのは、もうこれ以上なにも足せないという時ではない、もうこれ以上なにも減らせないという時だ。
サン=テグジュペリ 作家、パイロット
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志の低い人間は、それよりさらに低い実績しか挙げられない。
落合博満 プロ野球選手、プロ野球監督
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そこに障害は存在すると認識し、失敗は起こり得ると認めてください。あなたは自分や他人の間違いから学ぶことができます。成功から学べることは少ないのです。
マイケル・デル デル創業者
藤田田について
藤田田は日本マクドナルドの元代表取締役。米・マクドナルドとの合弁で日本マクドナルド、米・トイザらスと合弁で日本トイザらス株式会社を設立。2000年台前半には日本マクドナルド代表取締役として59円のハンバーガーなど値下げを断行。西暦2000年前後に起きたデフレーションの時代を象徴する経営者だった。
1926年(大正15年)大阪府大阪市生まれ。東京大学入学後、法学部在学中の1951年(昭和25年)に輸入雑貨販売の会社「藤田商店」を設立する。1971年(昭和46年)藤田田はアメリカ・マクドナルド社と合弁で日本マクドナルドを設立。代表取締役社長に就任し、7月に銀座に一号店をオープンさせる。1989年に藤田田はアメリカの玩具販売大手のトイザらスと日本トイザらス株式会社を設立する。
2000年代に入ると、日本はバブル崩壊の後遺症による深刻な不況となり、日本マクドナルドの売上も低迷する。そんな中で藤田田率いる日本マクドナルドは値下げを敢行し、2000年にはハンバーガーを平日65円で販売、2002年にはハンバーガーの定価を59円まで下げるなど低価格戦略を断行。無謀とも思える値下げだが、実はマクドナルドの顧客の大半はハンバーガーセットを注文していた。セットのポテトや飲料は原価が安く、ハンバーガーの利益は小さくても合計すると十分採算が取れるという仕組みであった。この低価格は大きな注目を集め、一時は客が押し寄せマクドナルドは「デフレの勝ち組」と呼ばれた。しかし、客が安さに慣れてしまい集客へのインパクトが薄れたこと、他のファストフード店も大幅な値下げを始め価格競争に突入したことなどにより業績は低迷し始める。2003年(平成15年)藤田田は業績低迷の責任をとり、日本マクドナルドの経営から退いた。2004年死去。享年78歳。