渋沢栄一

実業家、官僚

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渋沢栄一の名言

渋沢栄一の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 悪いことの習慣を多く持つ者は悪人となり、良いことの習慣を多くつけている者は善人となる。

  • 言葉は真心を込め、行いは慎み深く、事を取りさばき、人に接するには必ず誠意を持って臨め。

  • 四十、五十はハナタレ小僧、 六十、七十は働き盛り、九十になって迎えが来たら、百まで待てと追い返せ。

  • 数字算出の確固たる見通しと、裏づけのない事業は必ず失敗する。

  • 一家一人の為に発する怒りは小なる怒りにて、一国の為に発する怒りは 大いなる怒りである。大いなる怒りは、国家社会の進歩発展を促す。

  • 礼儀ほど美しいものはない。

  • できるだけ多くの人に、できるだけ多くの幸福を与えるように行動するのが、我々の義務である。

  • 金はボロに包んでも金だが、石は錦に包んでも石。

  • 一人ひとりに天の使命があり、その天命を楽しんで生きることが、処世上の第一要件である。

  • 明治維新当時の財界における三傑は三井の野村利左衛門と天下の糸平こと田中平八を挙げなければならない。

  • 立志の当初最も慎重に意を用うる必要がある、その工夫としてはまず自己の頭脳を冷静にし、しかる後自分の長所とするところ、短所とするところを 精細に比較考察し、その最も長ずる所に向かって志を定めるがよい、またそれと同時に、自分の境遇がその志を遂ぐることを許すや否やを深く考慮することも必要である。

  • 我が人生は、実業に在り。

渋沢栄一の名言を見ている方へお薦めする名言

渋沢栄一の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

渋沢栄一について

渋沢栄一は明治から昭和初期の日本の経済の基礎が作られた時期に活躍した実業家。第一国立銀行(現・みずほ銀行)、東京海上火災保険、理化学研究所、東京証券取引所など500以上の会社・機関の設立に関わり、「日本資本主義の父」とも呼ばれる。

1909年(天保11年)、埼玉県の裕福な豪農の次男として生まれる。幕末には徳川慶喜に仕える幕臣となる。大政奉還後は当初静岡に商会(会社)を設立したものの、大隈重信からの誘いを受け、渋沢栄一は新政府で大蔵省の役人となった。大蔵省では国立銀行条例などに携わるが、大隈重信や大久保利通と対立して1873年(明治6年)に退官。

退官後は大蔵省時代に設立に関わった第一国立銀行の頭取となる。それを皮切りに500以上と言われる銀行や企業、機関の設立に関わっていく。東京瓦斯や東京海上火災保険、王子製紙、帝国ホテル、京阪電気鉄道、東洋紡績、明治製糖、東京証券取引所、理化学研究所の設立には渋沢栄一が関わったといわれる。渋沢栄一は設立した会社の株式の多数を保有し続けることを目指さず、他の起業家のように財閥を形成することはなかった。また、約600の教育機関 ・社会公共事業の支援並びに民間外交にも尽力した。1931年(昭和6年)死去。享年91歳。