鬼塚喜八郎

アシックス創業者

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鬼塚喜八郎の名言

鬼塚喜八郎の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 人間関係の第一の基本は相手の立場に立って話を聞くこと。そして、お互いの信頼関係を確立して本音で話し合える関係になること。

  • 危機に耐えられる人は、私利私欲だけで事業を起こしていない人です。

  • 「創業は易く、守成は難し」ということわざがありますが、困難に見舞われたときこそ志が問われるのです。

  • 本当に事業を興したいなら、 使命をはっきりとさせることです。 素晴らしいスポーツシューズを作って、 青少年を立派に育てよう。 これが僕の使命でした。

  • 志のあるところに道は拓かれ、求めるところに師は現れる。

  • 中小企業は資本・人材・経営者の力量などが限られている。だから大企業の隙間を探し、その小さい力を一点に集中投下し、錐でもむように市場に食い込まなければならない。

  • ただ一つだけでいい。その一点に集中して、その消費者に合う商品を開発していくんです。あれもこれもでは、大企業には勝てない。

  • 間違った考え方では必ず失敗する。人が協力しなくなる。人も助けてくれなくなる。目標を正しい方向に定めて、自分の全知全能を使い、多くの人を幸せにする道を選ぶことです。

  • 事業を興せば、必ず危機は訪れるんです。その危機を乗り越えられるかで、事業家としての素質が決まります。そこで潰れてしまう人は、そのまま終わり。でも、そこで耐えられる人は成功していく。

  • 教育の原点は、 「健全なる身体に健全なる精神が宿る」 ということ。 心身ともにバランスよく育ってはじめて 立派な人格形成ができる。

  • 命まで取られへん、ダメならやりなおせばいい

  • 本当に事業を興したいなら、使命をはっきりとさせることです。素晴らしいスポーツシューズを作って、青少年を立派に育てよう。これが僕の使命でした。物のない時代だから、靴を作れば、飛ぶように売れる。だからと言って、いっちょ儲けてやろうではダメなんです。当時の多くの闇商売の靴屋は、金儲けが目当てだった。そんな商売は長くは続かない。事業を興すなら、志を持たないといけない。それも終生の志です。この志を持てるかどうかで事業の成否が決まるんです。

  • 人のため社会のために事業を興すから、人々も応援し、社会もあなたを 成功させるんです。小さな安易な目標では、誰も見向きもしません。

  • 事業を興すなら、志を持たないといけない。それも終生の志です。この志を持てるかどうかで事業の成否が決まるんです。

  • 固い板に穴をあけようとするとき、大きな鉄の棒でやってもなかなかあかないが、錐でなら簡単に穴が開く。小さいけれども必ず穴があく。この錐でもむ戦略、即ち、「一点集中・しぼり込み作戦」こそが、われわれ中小企業の戦略である

  • 青少年のためにいいシューズを作る。この創業の志を貫き、ただ自分が儲かればいいという考えに傾かなかったから、取引先や従業員が助けてくれたのでしょう。

  • 弱肉強食の時代に生き残ろうと思うのなら、自己の特色を出して強者に対抗していくほかない。

  • ベンチャーベンチャーって言うけど、 ただの金儲けのベンチャーじゃダメ。 自分が起こすベンチャーによって、 社会がどんな恩恵を受けるのか。 それが非常に大事。

  • 創業の志を貫き転んでも起き上がる。

  • 私がスポーツシューズのメーカーを起こしたのは、青少年の育成に役立つ仕事がしたいと思ったからです。

  • あなたの仕事をする動機は、いったい何だと。金儲けが動機なのか。自分の私利私欲だけが動機なのか。それとも人のためや世の中のために役に立ちたいのが、動機なのか。それを自分の胸に聞いてみる。 金儲けが動機だったり、 自分の私利私欲だけが動機だったら、そんなものは志でも何でもない。そんな人に事業は興せないし、誰も協力しません。

  • 志を持った人は、土壇場に強い。困難にブチ当たっても倒れない。これをやり遂げるまでは死ねんぞっていうくらいの気迫がある。

  • 創業10周年式典で、会社は公器であり、従業員や会社とともに発展させると宣言した。これに合わせて、私が100%持っていた株式の70%を従業員に分配し、上場を目指した。取引先にも株を持ってもらいました。

  • 31歳で創業して55年。転んでは起き上がる苦闘の繰り返しでした。倒産寸前の危機に直面したことも何度かあります。

  • ヒントは釈迦の教えから得た。「インドには3億の民がいる。うち1億が私の教えに共鳴してくれたら立派な国になる」と説いたという。なるほど3分の1か。3割がしっかりしていれば、どんなに悪い者がいても残りの3 、4割はついてくる。この考えを実践しよう。私は全株式の3割を持つだけにし、残りはすべて社員に分けよう。

鬼塚喜八郎の名言を見ている方へお薦めする名言

鬼塚喜八郎の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

鬼塚喜八郎について

鬼塚喜八郎は日本を代表するスポーツシューズメーカー、アシックスの創業者。ナイキの創業者フィル・ナイトがその品質に感銘を受け、アメリカでアシックス(当時オニツカタイガー)の輸入販売を手始めにスポーツシューズ事業を興したことでも知られる。

1918年(大正7年)鳥取県の農家・坂口家に生まれる。鳥取一中(現・鳥取西高校)卒業後、徴兵検査を受け日本軍に所属する。日本軍で親しくなった上田晧俊中尉に、彼が養子になる予定の鬼塚夫妻の面倒を見るよう頼まれる。彼が第2次大戦で死亡すると、約束を果たすため鬼塚夫妻の養子となり鬼塚喜八郎を名乗った。

終戦後は商事会社に勤めるが3年で退職。1949年鬼塚喜八郎は「鬼塚商会」を設立してスポーツシューズの製造を始める。製造するスポーツシューズ「オニツカタイガー」は、高品質と低価格が評判となり、業績を伸ばしていく。1964年の東京オリンピックでは同社のシューズを履いた選手が金メダル20個を獲得したという。

1977年スポーツウエアを手がける株式会社ジィティオ、ニットウェアを手がけるジェレンク株式会社と合併し、株式会社アシックス発足。鬼塚喜八郎は新会社の代表取締役社長となる。1992年代表取締役会長。1995年に業績不振の責任を取って代表権を返上。2007年に死去するまで会長職は続けた。享年89歳。