三宅雪嶺
評論家、哲学者
三宅雪嶺の名言
三宅雪嶺の過去の名言をまとめた名言集です。
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出来ぬと思えば出来ず、出来ると思えば出来ることが随分ある。
出典: 三宅雪嶺「世の中」
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出来るか出来ないかわからぬ時は、出来ると思って努力せよ。
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己の力を恃み、頑として動かぬ者は、憎らしいところがあっても信ずることが出来る。
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できる事でもできぬと思えばできぬ。できぬと見えてもできると信ずるがためにできる事もある。
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七転び八起きは、歩みの経験において避くべからざることである。
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金は人生の手段であって目的でない。多少見識のあるものは皆これを知っているが、年を取ると、これを目的とするようになる。
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正直者で失敗するのは、正直のために失敗するのではない。他に事情があるのである。不正直で成功するのは、不正直で成功するのではなく他に事情があるからである。
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人は己の最善を尽くすがよい。狭いところに入れられなくても広いところに入れられる。実力のある者は決して世間で捨てて置かぬ。
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例えれば、鍛冶屋が腕を振って腕が太くなるように、元気を出し続けると、元気は増して来るものである。
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決断は私利を去るところにあり。
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己れの力で、己れの運命を開拓する者は安心する所が多い。失敗しても失望せぬ。又、奮い起こる事が出来る。
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大才は決断にあり。
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深く考えうるよりも断固として行うにある。考うるはよい。出来るだけ考うべきであるが、考うるに際限がない。ある辺に思い切りを付けねばならぬ。
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己の出来ると認むる方が当然であって、出来る事を出来ぬと認めねば出来る事も出来なくなる。
三宅雪嶺の名言を見ている方へお薦めする名言
三宅雪嶺の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。
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夢を見ることは青春の特権だ。これはなにも暦の上の年齢とは関係ない。10代でも、どうしようもない年寄りもいるし、70、80になってもハツラツとして夢を見続けている若者もいる。だから年齢の問題ではないが、青年の心には夢が燃えている。
岡本太郎 前衛芸術家、画家、彫刻家
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パズルを解くことを考えてみましょう。あまり簡単に解けてしまっては、パズルの楽しみがありません。
ジョセフ・マーフィー 著述家、宗教家
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よく、これがもう俺の限界だと弱音を吐くやつがいる。限界だ、限界だと口癖ではなかろうかと思うくらい、限界の二文字を口に出す。私に言わせれば限界なんて言葉はこの世の中にはない。限界と言うから、限界ができるのだ。
アントニオ猪木 プロレスラー、政治家
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人は様々な経験や苦難を乗り越え、我慢し、耐えて、その人間の器を大きくするものだと思っています。人によって器の大きさは違えど、努力している人は皆、その自分の器の中の水は今にも溢れそうなのでは。
松浦勝人 エイベックス創業者、音楽プロデューサー
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先生が決めたことが守れない。親の言うことが守れない。国の法律もうまく守れない。そんな私でしたが、18歳の時、ひとつだけ決めたことがあります。自分の決めたことだけは何があっても守ろう、と。自分の決めたことを守れなかったら終わりだ、と。大切なのは、自分で決めるということです。
島田紳助 お笑い芸人、司会者
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皆さんもあなただから出来る事。あなたにしか出来ない事。それを追求すれば、学歴でもない、成績でもない、あなたの代わりは無理なんだという人生が待っていると思います。
つんく ミュージシャン、音楽プロデューサー
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そもそも存在しない将来に期待なんてし始めたら不安で仕方なくなる。だから僕は努力して頭をバカにしてる。展望なんて作るな、目標に到達できなくても焦るな、他人と自分を比べるな、と。
みうらじゅん イラストレーター、ライター、タレント
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初めは少ない特徴でも2つ3つと増やしていく。これが抜きん出ると世界一になれる。その代わり業態で最も影響力のある特徴を持つ必要がある。
似鳥昭雄 ニトリ創業者
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人生というのは川みたいなものだから、何をやってようと流されていくんだ。安定とか不安定なんていうのは、大きな川の流れの中では些細なことなんだ。向かっていく方向に大差がないなら、好きにすればいい。
伊坂幸太郎 小説家
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ゴルフの技術は「出来た!」のは、終わりではなく、始まりなのだ。
青木功 プロゴルファー
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道は森で二手に分かれていた。そして私は人がより通らない道を選んだ。そしてそれが全てを変えたのだ。
ロバート・フロスト 詩人
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試験で言えば、一時間で100点とらなくても1日で100点とればいいし、極端なことを言えば、一生かけて100点をとればいいのだ。そのために、常に牙を磨け。どんな抵抗にも負けない自分をつくれ。
松本和那 マツモトキヨシ社長、衆議院議員
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ものごとは失われたときにより甘美に感じられる。私はある時、欲しいものを手に入れた。それは今までにないほど欲しいものだったが、手に入れた途端にゴミくずになった。
F・スコット・フィッツジェラルド 小説家
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老人になって死でやっと解放され、これで楽になっていくという感じがする。まったく人間の生涯というものは苦しみの連続だ
高村光太郎 詩人、彫刻家
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僕は早く50になりたかったです。50になった時、「ついに50になったぞ」と。昔、ある人から「俺は50を過ぎた人間の情熱しか信じない」と言われたことがあるんです。35歳の時でしたけれど、その時は意味が分からなかった。まるで35歳の自分が否定されたような気がしてね。しかし、絶対に50になってみないと、この人が言っている意味が分からないだろうとも思いました。
宮本輝 小説家
三宅雪嶺について
三宅雪嶺は明治時代に活躍した政治評論家。東大で哲学を学んだ後、自由民権運動に参加。後藤象二郎の大同団結運動や欧米との不平等条約改正の運動に関わった。国粋主義系雑誌「日本人」の創刊に参加。以降、国粋主義の立場から評論活動を行い、政府批判を繰り広げた。
1860年(万延元年)加賀藩の医師三宅恒の子として生まれる。東京大学文学部哲学科卒業。卒業後に三宅雪嶺は東大編修所准助教授兼編集方となり、仏教史を編集。のちに東京専門学校政治学科講師となる。この頃自由民権運動に参加。1888年(明治21年)三宅雪嶺は志賀重昂・杉浦重剛などとともに急速な欧米化に反対する国粋主義を主張する政治評論団体「政教社」を設立し、政教社は発足と同時に機関誌の「日本人」を創刊。ここで三宅雪嶺は当時主流となっていた欧化主義に反対して日本主義を提唱。以降新聞や雑誌上で国粋主義を主張し藩閥政府批判を行った。1923年(大正12年)個人で雑誌「我観」を創刊。生涯発行を続けた。代表的な著書に「真善美日本人」、「我観小景」、「宇宙」、「偽悪醜日本人」など。1937年(昭和12年)帝国芸術院会員、1943年(昭和18年)文化勲章受章。1945年(昭和20年)死去。享年85歳。