三宅雪嶺

評論家、哲学者

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三宅雪嶺の名言

三宅雪嶺の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 出来ぬと思えば出来ず、出来ると思えば出来ることが随分ある。

    出典:  三宅雪嶺「世の中」

  • 出来るか出来ないかわからぬ時は、出来ると思って努力せよ。

  • 己の力を恃み、頑として動かぬ者は、憎らしいところがあっても信ずることが出来る。

  • できる事でもできぬと思えばできぬ。できぬと見えてもできると信ずるがためにできる事もある。

  • 七転び八起きは、歩みの経験において避くべからざることである。

  • 金は人生の手段であって目的でない。多少見識のあるものは皆これを知っているが、年を取ると、これを目的とするようになる。

  • 正直者で失敗するのは、正直のために失敗するのではない。他に事情があるのである。不正直で成功するのは、不正直で成功するのではなく他に事情があるからである。

  • 人は己の最善を尽くすがよい。狭いところに入れられなくても広いところに入れられる。実力のある者は決して世間で捨てて置かぬ。

  • 例えれば、鍛冶屋が腕を振って腕が太くなるように、元気を出し続けると、元気は増して来るものである。

  • 決断は私利を去るところにあり。

  • 己れの力で、己れの運命を開拓する者は安心する所が多い。失敗しても失望せぬ。又、奮い起こる事が出来る。

  • 大才は決断にあり。

  • 深く考えうるよりも断固として行うにある。考うるはよい。出来るだけ考うべきであるが、考うるに際限がない。ある辺に思い切りを付けねばならぬ。

  • 己の出来ると認むる方が当然であって、出来る事を出来ぬと認めねば出来る事も出来なくなる。

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三宅雪嶺の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

三宅雪嶺について

三宅雪嶺は明治時代に活躍した政治評論家。東大で哲学を学んだ後、自由民権運動に参加。後藤象二郎の大同団結運動や欧米との不平等条約改正の運動に関わった。国粋主義系雑誌「日本人」の創刊に参加。以降、国粋主義の立場から評論活動を行い、政府批判を繰り広げた。

1860年(万延元年)加賀藩の医師三宅恒の子として生まれる。東京大学文学部哲学科卒業。卒業後に三宅雪嶺は東大編修所准助教授兼編集方となり、仏教史を編集。のちに東京専門学校政治学科講師となる。この頃自由民権運動に参加。1888年(明治21年)三宅雪嶺は志賀重昂・杉浦重剛などとともに急速な欧米化に反対する国粋主義を主張する政治評論団体「政教社」を設立し、政教社は発足と同時に機関誌の「日本人」を創刊。ここで三宅雪嶺は当時主流となっていた欧化主義に反対して日本主義を提唱。以降新聞や雑誌上で国粋主義を主張し藩閥政府批判を行った。1923年(大正12年)個人で雑誌「我観」を創刊。生涯発行を続けた。代表的な著書に「真善美日本人」、「我観小景」、「宇宙」、「偽悪醜日本人」など。1937年(昭和12年)帝国芸術院会員、1943年(昭和18年)文化勲章受章。1945年(昭和20年)死去。享年85歳。