イマヌエル・カント

哲学者

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イマヌエル・カントの名言

イマヌエル・カントの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 理論なき経験は得るものがない。そして、経験なき理論は知的遊戯に過ぎない。

    出典:  イマヌエル・カント「一般システム論」

  • 子供を言うことをきかなければ罰し、良い子にしていれば報酬を与えていると、その子はただ報酬のために正しく行動するようになる。そして社会に出て、善行が必ずしも報われず、不正が必ずしも罰せられないと知ると、その社会に順応しようとする。つまり、正しい行動を取るか、間違った行動を取るかを、自らの利益で決めるようになる。

    出典:  イマヌエル・カント「教育論」

  • 人間に欲しいもの全てを与えたその時、全ては全てではなくなる。

  • 暗黒の中では、我々の想像力は、明るい光におけるよりもたくましく働くのが常である。

  • 苦しみこそが、活動の原動力である。活動の中にのみ、我々は我々の生命を感じる。

  • この世界で素晴らしい事が起こるのは、全て優れた教育の結果である。

  • この世でたった一つ永続するのは、すべては変わり続けるということだ。

  • 内容なき思想は空虚であり、概念なき直感は盲目である。

    出典:  カント「純粋理性批判」

  • 正義が失われた時、この世界の人間の営みは意味を失うだろう。

  • 諸君は私から哲学を学ぶのではない。哲学することを学ぶのだ。

  • 幸福とは理性的に考えられた理想ではなく、想像された理想である。

  • 民主主義とは、すべからく独裁である。それは政府に対し、世論に反した行動を取る力を与えている。さらに、意見の違う個人に反した決定を下すことができる、全体の意志は全員の意志ではないのだ。民主主義は自由と矛盾している、さらに言えば自由とは真逆だ。

    出典:  イマヌエル・カント「永遠平和のために」

  • 幸福の条件。するべき事があり、愛する人がおり、希望があること。

  • 人間にとって最大の探求は、人間らしくあるためにどうすべきかを知ることだ。

  • 多くの人間は自らの知識を他人の助けのもとに活用する。なぜなら、自らの論理に基づいて独立した考えを持つ勇気がないからだ。真実を見つけるためには知的な大胆さが必要だ。

  • あなたは実際私がどのようであるかではなく、私がどのように見えるかということでしか私を知ることができない。

  • 幸福の条件。すべきことがあること、愛するものがあること、希望があること。

  • 我々は光のもとで暗闇を、幸福のもとで悲惨を、満足のもとで苦痛を思い起こすことはまれである。しかし、その逆はいつもである。

  • 成功に至る第一歩は、自分が心で何を望んでいるかを見つけ出すことです。それがはっきり分からないうちは、何を期待しても駄目でしょう。

  • 我が行いを見習えと、誰にでも言えるような行いを心がけなさい。

  • 永遠の平和、それは墓場にのみあるものだ。

  • 嘘は嘘であり、良い目的のためか、悪い目的のためかに関わりなく、それは本質的に悪なのだ。

  • 我々は我々が保有しているものによって豊かになるのではない、なにをせずに済むかによって豊かになるのだ。

  • 言葉は思想とともに発達する。言葉がはっきりしないのは思想がはっきりしないからである。

  • 善行はこれを他人に施すものではない。これをもって自分自身の義務を済ますのである。

  • もし虫けらのように振る舞うのならば、踏み付けられても文句を言ってはならない。

  • 人間という存在は、本来自然そのままで野蛮である。したがって人間は修練されなければならない。

    出典:  イマヌエル・カント「Lectures on Ethics」

  • 人間に求めるもの全てを与えてみよ。その時、全ては全てではなくなる。

  • 個々の人間を目的のために利用してはならない。全ては個々の人間のためだと常に認識せよ。

  • 賢い者は考えを変えることができる。そして頑固者は決して考えを変えない。

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イマヌエル・カントについて

イマヌエル・カントはドイツ出身の哲学者。18世紀後半、「純粋理性批判」、「実践理性批判」、「判断力批判」の三批判書を発表して西欧哲学のはらむ問題を指摘、批判哲学を展開した。さらに人間の理性的認識について考察し、人間の経験を超越したものに対する考察・関与について分析し、超越論哲学を提唱した。カントの哲学は、フィヒテ、F・シェリング、ヘーゲルなどのドイツ観念論の哲学に受け継がれ、他にも多くの哲学者へと影響を与えた。

1724年、東プロイセン(現・ドイツ)の首都ケーニヒスベルクに生まれた。ケーニヒスベルク大学で神学、哲学、数学、自然科学を学び、1747年、カントは初めての論稿「活力測定考」を執筆。その後約8年間は研究をしながら家庭教師をして生計を立てた。1755年「天界の一般自然史と理論」を出版、さらにケーニヒスベルク大学の私講師となり、カントは論理学、数学、物理学、形而上学、自然地理学など幅広い学問の講義を受け持った。1763年、「神の存在の唯一可能な証明根拠」、1764年「自然神学と道徳の諸原則の判明性」を発表し学会の注目を集める存在となった。1765年ケーニヒスベルク王立図書館副館長に就任。1770年ケーニヒスベルク大学で論理学および形而上学の教授に就任。

1781年、「純粋理性批判」を刊行。カントは純粋理性批判で人間の理性によって認識可能なものが限定的であると主張して、それまでの哲学の常識を覆し学会に論争を巻き起こした。1786年、カントはケーニヒスベルク大学総長に就任。1788年「純粋理性批判」、1790年「判断力批判」を発表、これら3冊の批判書にちなんで、カントの哲学は批判哲学と呼ばれ、一般的にこういった人間の認識論哲学は超越論哲学と呼ばれる。

さらにカントは「自然科学の形而上学的原理」、「人倫の形而上学」といった書物を発表し、自身の批判哲学を基礎とした体系的な哲学の構築に取り組んだ。1793年、カントは「単なる理性の限界内における宗教」を発表するが、翌年にカントの宗教論が有害だとの勅書が出され、宗教について公に論じることを禁じられてしまう。1804年死去。享年79歳。