孔子

思想家、儒教の祖

  • Twitter
  • Facebook
  • Hatebu
  • Line
  • Copy

孔子の名言

孔子の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 己に如かざる者を、友と為すことなかれ。己の欲せざる処を、人に施すことなかれ。

  • 富と貴とは、これ人の欲するところなり。その道を以てせざれば、これを得るとも処らざるなり。貧と賤とはこれ人の憎むところなり。その道を以てせざれば、これを得るとも去らざるなり。

    解説:  財産と地位は、人々が欲するものである。正しい方法で手に入れたものでなければ、それらを一時的に得たとしても保持し続けることは難しい。貧乏と卑賤は、人々が嫌うものである。貧乏や卑賤に陥るようなもっともな理由がないのにそうなったのであれば、一時的に貧乏や卑賤に陥ったとしてもいずれ去っていくであろう。

  • その身が正しければ、法に拠らなくても人は従い、その身が正しくないと、令に拠っても人は従わない。

  • 良薬は、苦くて飲みにくいが病気には効く。よい忠告は、聞くのはつらいが反省し行いを正せば、自分のためになる。

  • 知らないことを知らないと自覚する。それが本当の知ることである。

  • 学びて思わざれば、すなわちくらし、思いて学ばざれば、すなわちあやうし。

  • 汝の愛するものを仕事に選べ、そうすれば生涯一日たりとも働かなくて済むであろう。

  • 知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす。これ知なり。

    解説:  自分の知っていることは何か、知らないことは何か、その区別をはっきりさせることが「知る」ということである。

  • 之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず。

  • 君子は立派な学徳を備えていも、それを表面に表すようなことはしない。だから、ちょっと見には愚か者のように見えるものだ。

  • 人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患えるなり。

  • 中人以上は、以って上を語ぐべし。中人以下は、以って上を語ぐべからざるなり。

  • 自分を認めてくれる人がいないことを気に病むのではなく、人に認められるだけのことをするような努力が大切なのです。

  • 最大の名誉とは、倒れない事ではない。倒れても倒れても、起き上がる事である。

  • 早く成果を出そうとあせってはいけないし、目先の利益を追ってもいけない。早く成果を出そうとあせっては物事を誤り、目先の利益を追っていてはついに大事を成すことは無い。

  • 徳のある人は孤立することがなく、よき協力者が必ず現れる。

  • 誰でも過ちを犯すが、それに気づきながらも改めようとしないことこそ、本当の過ちである。

  • 十人が十人とも悪く言う奴、これは善人であろうはずがない。だからといって十人が十人ともよくいう奴、これも善人とは違う。真の善人とは、十人のうち五人が貶し、五人が褒める人物である。

  • 速やかならんを欲するなかれ、小利を見るなかれ。速やかならんを欲すればすなわち達せず、小利を見ればすなわち大事成らず。

    解説:  早く成果を出そうとあせってはいけないし、目先の利益を追ってもいけない。早く成果を出そうとあせっては物事を誤り、目先の利益を追っていてはついに大事を成すことは無い。

  • 知っていること、知らないことが明確にできることが、知るという行為である。

  • 過まって改めざる、是を過まちと謂う。

  • 自分の身を修めてから、人々を教化しなさい。

  • 師の跡を求めず、師の求めたる処を求めよ。

  • 学問により、視野も広がり、柔軟となって、頑固さがなくなる。

  • 物事を迅速にしたいと、望んではならない。小さな利点に目をとめてはならない。物事を早く行うことばかり望むと、十分になすことができない。小さな利点にとらわれると、大きな仕事が達成できない。

  • その身正しければ、令せずして行わる。その身正しからざれば、令すといえども従わず。

  • 良薬は口に苦くして病に利あり。忠言は耳に逆らいて行いに利あり。

  • 良心に照らして少しもやましいところがなければ、何を悩むことがあろうか。何を恐れることがあろうか。

  • 学びて思わざればすなわち闇し、思いて学ばざればすなわちあやうし

  • 生来、人間の能力に大差はない。その後の精進によって、大きな違いが生まれる。

孔子の名言を見ている方へお薦めする名言

孔子の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

孔子について

孔子は中国の春秋時代の思想家。役人として仕え出世して司法長官となったが50代半ばで政争に敗れ、十数年間諸国を渡り歩いて各国の諸侯に徳の道を説いた。各国への放浪が終わると書物の執筆と弟子の教育に専念。孔子の死後に弟子が孔子の教えを書物としてまとめたのが「論語」で、彼の考え方を体系化したものが儒教である。

紀元前552年中国が戦国時代にあった頃、魯国に生まれた。魯国で士官して官吏となる。紀元前517年孔子が36歳の時、魯国内のクーデターに関わり、クーデターが失敗に終わって斉国に逃れた。翌年魯国に戻って再び士官する。この頃から弟子をとってその教育に力を入れ始める。紀元前500年最高裁判官である大司寇にまで出世した。紀元前497年政争に敗れて官職を辞め、諸国放浪の旅に出た。旅は13年間に及んだとされ、諸国の権力者に自らが持論とする道徳の道を説き、孔子自らの思想が政治の場で実践されることを目指した。

諸国放浪の旅を終えた孔子は弟子の教育とともに魯国の歴史書の編纂に努めた。紀元前479年74歳で死去。孔子の死後、弟子たちが孔子の解いた徳の道を「論語」にまとめた。孔子は仁義の道を実践し、上下秩序の弁別を唱えたが、これが体系化されたものが「儒教」となった。儒教は後の漢の時代に国家の教学として推奨され、中国で普及。さらに東アジア各国にまで広まっていった。