ショーペンハウアー

哲学者

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ショーペンハウアーの名言

ショーペンハウアーの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 惨めな愚か者は誇るものを持たず、自らの属する国を自尊心の拠り所にする。進んで自国の欠点や狂気を擁護し、自らの劣等感を払拭しようとする。

    出典:  「Parerga and Paralipomena(余録と補遺)」

  • すべての真実は3つの段階を経る。最初にバカにされ、次に強硬な反対にあい、最後にわかりきったこととして受け入れられる。

  • 多くの者は自ら考えることができず、信じるだけである。そして理屈を用いることができず、権威に従うだけである。

  • 我々がものごとの価値を知るのは、たいていそれを失ったときだ。

  • 人はなんでも忘れることができるが、自分自身だけは、自分の本質だけは忘れることができない。

  • 私達は、 他人と同じようになろうとして、 自分の4分の3を失ってしまう。

  • 我々の視野、活動範囲、交際範囲が狭いほど、我々の幸福は大きくなる。それらが広いほど、我々は煩わしく、また不安に感じる度合いが高まる。なぜなら、それらによって心配、願望、恐怖が増大し、広がるからである。

  • 自身の中に幸福を見つけるのは困難である。さらに、自分の外に見つけるのは不可能である。

  • 普通人は時をつぶすことに心を用い、才能ある人間が心を用いるのは、時を利用することである。

  • 虚栄心は人を饒舌にし、自尊心は人を沈黙させる。

  • 誰もが自分自身の視野の限界を、世界の限界だと思い込んでいる。

  • すべての享受と、すべての幸福とは消極的なものだが、苦労は積極的なものだ。

    出典:  ショーペンハウアー「意志と表象としての世界」

  • 未だかつて、自分は本当に幸福だと感じた人間は一人もいないのだ。

  • 人生というものは、通常、裏切られた希望、挫折させられた目論見、それと気づいたときにはもう遅すぎる過ち、の連続にほかならない。

  • 幸福は自分自身で満足を得る者に訪れる。自分以外によって幸福や喜びを得ようとするのは、本質的に不確定、不安定、一時的で運任せである。

  • 富は海の水に似ている。それを飲めば飲むほど、のどが渇いてくる。

  • 男性の間では、愚かで無知な者が、女性の間では醜い女が一般に愛され、ちやほやされるのが常である。

  • 結婚とは、男の権利を半分にして、義務を二倍にすることである。

  • 全ての国は他国を嘲る。そしてその全ては正しい。

  • 賢人が語る内容は常に同じだ。一方で愚かな者は、たいてい言っているのと反対のことをする。

  • 人は孤独でいるときにのみ自分自身であることができる。孤独を愛さないものは自由を愛さない。孤独である時は唯一本当に自由でいられる時なのだ。

    出典:  ショーペンハウアー「Counsels and Maxims」

  • 1日1日が小さな一生なのだ。毎日毎日の起床が小さな出生、毎夜の就寝が小さな死なのである。

  • 人は通常、金を貸すことを断ることによって友を失わず、金を貸すことによってたやすく友を失う。

  • 孤独を愛さない人間は、 自由を愛さない人間になってしまう。なぜなら、孤独でいるときにのみ、 人間は自由になれるのだから。

  • どのような不幸に際しても、何よりも強い慰めとは、自分より、もっと不幸な他の人たちを見ることによって得られる。

  • 誰も自分自身をさらけ出すことがないというのは正しい。人々は仮面を被り、自分の役を演じているのだ。実際に社交儀礼は全てがコメディのようだ。これが優秀な人間が社会を無味乾燥と感じ、のろまがそれを心地よいと感じる理由だ。

  • 人は幸福になろうと一生をかけて励むが、幸福にたどり着くことはない。目標を達成することは稀で、達成したとしても失望が待っている。

  • 我々は他者と同様であるために自分自身の4分の3を捧げている。

  • 悲観論者とは、全ての事実を知った楽観論者である。

  • 才人は誰も射止められないものを射止める。天才は誰にも見えないものを射止める。

ショーペンハウアーについて

ショーペンハウアーは19世紀に活躍したドイツの哲学者。ヘーゲルが提唱したドイツの観念哲学に批判を加えながらも継承する一方、その後発展する実存主義哲学の祖となった。ショーペンハウアーの哲学はニーチェを始めとしたのちの多くの哲学者に加え、アインシュタインやフロイト、ユング、ワグナー、トルストイなど様々な人々に影響を与えたとされる。

1788年都市国家ダンツィヒ(現在のポーランド・グダニスク)に生まれる。一家は裕福な商人だった。幼いころから商人として各国を飛び回る父に連れられてヨーロッパ中を旅して見聞を広めたという。1806年17歳のとき父が死去し、その莫大な遺産を引き継ぐとともに父の遺した遺言に従って商人を継いで働き始める。しかし学問を学びたいという強い思いからショーペンハウアーは1809年にゲッティン大学医学部に入学する。大学で受けた哲学の授業に感銘を受け、のちに哲学部に転部。さらにベルリン大学に転校する。1819年「意志と表象としての世界」を書き上げ、1820年ショーペンハウアーはベルリン大学で講師となった。1821年オペラ歌手のカロライン・リッチャーと恋に落ちるが結婚することはなかった。ショーペンハウアーは生涯を独身で終えたという。1831年ベルリンでコレアが流行したのを機にショーペンハウアーはベルリンを離れフランクフルトに移住。1860年に72年の生涯を終えるまで同地に住んだ。代表的著作に「意志と表象としての世界」のほか、「読書について」、「自殺について」、「知性について」がある。

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