サルトル

哲学者

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サルトルの名言

サルトルの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 作家は、生きることと書くことを一緒にすべきだ。

  • 人間の存在は、その存在が生まれる前は、まったくの無なのだ。

  • 不幸にして私は、自分の顔を見たことがない。私はそれを気安く、私の前にぶら下げているのである。私が私の顔を知るのは、むしろ反対に他人の顔によってなのである。

  • 人は自由であることを運命づけられている。なぜなら、一たびこの世に投げ込まれると、人は自身の行動の全てに責任を負わされるからだ。

    出典:  「The Philosophical Library Existentialism Collection」

  • すべてのものは必要のないものである。この庭も、この都会も、そして私自身も。それに気づいた途端に胸焼けし、私の中に何かが漂い始める、それが嘔吐である。

  • 3時という時刻は、いつも何かをするには遅すぎる時刻であり、何かをするには早すぎる時刻である。

  • 日記は自分の内部に起こりつつある事を、はっきり本人に知らせてくれるものだ。

  • 人間の死ぬのはいつも早すぎるか遅すぎるかである。でも一生はちゃんとケリがついてそこにある。一本、線が引かれたからには総決算しなければ。あなたは、あなたの一生以外の何ものでもない。

  • 地獄とは、他人のことだ。

サルトルの名言を見ている方へお薦めする名言

サルトルの残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

サルトルについて

サルトル20世紀に活躍したフランスの哲学者。人間の実存を重視し、本質存在に対抗するものとしての現実存在を優位とする実存主義哲学を唱えた。サルトルの実存主義は無神論的実存主義と言われ、現実に存在が確認できない神についても否定的見解を述べている。

1905年フランス・パリに生まれる。父は海軍の兵隊だったが、サルトルが1歳のときに病で没し、母方の実家で育てられた。3歳で右目を失明し、右目には強い斜視が残った。以降左目だけを使って生活する。フランス屈指の名門校エコール・ノルマル・シュペリウール(高等師範学校)で学ぶ。この間、1929年から31年にかけてサルトルはフランス軍から気象予報士として時折招集を受けた。1931年エコール・ノルマル・シュペリウール卒業すると哲学の教員資格を得てサルトルは高等中学校の哲学教師となった。1933年から1934年にかけてベルリンでエトムント・フッサールの実存主義哲学を学ぶ。1939年第二次世界大戦を戦うフランス軍から気象予報士として招集を受け、従軍。1940年フランス領パドゥーでドイツ軍の捕虜となり、翌年釈放された。

1943年実存主義哲学を著した「存在と無」を発表。サルトルは当時地方の一教師に過ぎなかったが、「存在と無」は大きな反響を引き起こし、各所で論評され、哲学書としては異例の販売数を記録した。1945年高等中学校の教師を辞し、政治、文学、哲学の雑誌「レ・タン・モデンヌ」を刊行。サルトルの執筆活動はこの主に雑誌を通じて行われるようになる。1964年ノーベル文学賞に選出されるが、受賞を拒否。自分の意志でノーベル賞受賞を辞退した最初の人物となった。1973年リベラル系日刊紙「リベラシオン」を創刊。1980年肺水腫により死去。享年74歳。