デカルト

哲学者

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デカルトの名言

デカルトの過去の名言をまとめた名言集です。

  • あなたはただ前進を続けるべきだ。ただ前進を続けるのだ。間違いは犯されるべくして犯されるのだ。ただ前進を続けよ。

  • 我々の意見が分かれるのは、ある人が他人よりも理性があることによるのではなく、ただ、我々が思考を異なる道筋で導き出し、同じことを考察していないために生じる。

  • 我々はこの世界を目に写る通りに表現できていない。我々が表現できる世界しか見えていないのだ。

  • 怒りによって赤くなる人々は、怒りによって青くなる人々よりも怖ろしくはない。

    出典:  デカルト「情念論」

  • 秀でたる知性を有するだけでは十分ではない。大切なのは、それをうまく活用することである。

    出典:  デカルト「方法序説」

  • 最高の学問とは何か、それはこの世界という膨大な量の書物から学ぶことである。

  • 私に何も要求せず、私に対して寛大であった人に感謝すべきであるのに、私は代わりに彼が私に与えなかったものを私から奪ったと考えるのだ。

  • 私は私が存在することを知っている。疑問なのは、私が知っている私とは何者なのかということだ。

  • 楽観主義者は存在しない場所に光を見る。しかし、なぜ悲観主義者はその光をかき消すのか。

  • 難問は、可能な限り対処可能で解決可能な規模に分割することが必要だ。

    出典:  デカルト「方法序説」

  • 世界を征服するのではなく、自分自身を征服せよ。

  • 経験というものは、人が知識において進めば進むほど、それの必要を感じさせる。

    出典:  デカルト「方法序説」

  • 自然の理性だけを全く純粋に働かせる人たちのほうが、古い書物だけしか信じない人よりも、一層正しく私の意見を判断してくれるだろう。

  • 私は私の存在を知っている。しかし私が疑問なのは、私の知る私とは何者なのかということだ。

  • この世のもので最も公平に分配されているのは良識である。

    出典:  デカルト「方法序説」

  • 私がこれまでに解決した個々の問題は、後に別の問題を解決するための法則となってきた。

  • 賛成の数が多いからと言って、なに一つ価値ある意見である証拠にはならない。

  • たとえ下劣な神に騙されていたとしても、私は存在している。存在しないものを騙すことなど、できるはずがないのだから。

  • 心意気を持つだけでは十分ではない、それをどう活かすかが重要なのだ。

  • 人間の誤りの主要な原因は、幼少期に身に付けた偏見である。

  • もしあなたが本当に真理を探究するなら、一度は自分の人生における全てのものを可能な限り疑わなければならない。

  • 人の考えを本当に理解するためには、彼らの言葉ではなく、彼らの行動に注意を払うことだ。

  • あらゆる場所で目の前に現れる事柄について反省をし、そこからなんらかの知恵を引き出すことだ。

  • 私が知るたった一つのことは、私はなにも知らないということだ。

  • 本物の真実の探求者になるなら、可能な限り全てを疑うことが人生において一度は必要だ。

    出典:  デカルト「哲学原理」

  • 不決断こそ最大の害悪

    出典:  デカルト「情念論」

  • もしあなたの人生は、あなたが思い描いた通りになるとしたら、あなたはどうする?

  • 我々は、全てのものが我々のために作られたのだと思ってはならない。

  • 理屈は想像力なしには存在し得ない。

  • 何年か前、私は子供の頃から真実として受け入れ、私の体系の基礎となってきたことが、大きな欺瞞であったと知った。しかし私は、それが私の人生で一度は必要であったと思う。全てを一度破壊し、安定して長く続く科学の基本から体系を作り直すということが。

    出典:  デカルト「Meditations On First Philosophy」

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デカルトについて

デカルトは17世紀のフランスの哲学者。合理主義哲学の祖となり、「近代哲学の父」とも言われる。また、解析幾何学の創始者しても知られている。合理主義哲学とは、人間は生まれながらにして「理性」を与えられ、基本的な観念・概念をもともと持っている、あるいは習得する能力を持っていると考える哲学で、17世紀にデカルトによって始められ、スピノザ、ライプニッツやヴォルフ、マールブランシュなどによって継承、発展されていった。

1596年フランス・アンドル=エ=ロワールに生まれる。キリスト教イエズス会の学校で学び、そこでの哲学や神学、論理学、形而上学などの教育がデカルトの哲学に強い影響を与えた。18歳でポワティエ大学に進学し、法学と医学を学び、法学士の学位を得る。1618年22歳の時、スペインとオランダの八十年戦争にオランダ・オラニエ公マウリッツの軍に加わる。しかし、当時は休戦協定が結ばれており、デカルトが戦争に加わることはなかった。1619年ヨーロッパ中を巻き込んだ宗教戦争「三十年戦争」が始まると、デカルトはドイツのバイエルン公マクシミリアン1世の軍に入った。1628年32歳のときオランダに移り住み、本格的に哲学の研究に取り組み始める。この頃「世界論」を著す。1637年「方法序説」、1641年「省察」、1644年「哲学原理」、1649年「情念論」を発表。1650年肺炎により死去。享年53歳。