ジョン・ロック

哲学者

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ジョン・ロックの名言

ジョン・ロックの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 新しい意見というものは、それがまだ珍しいというだけの理由で、いつも疑われ、ふつうに反対される。

  • 間違った意見は一般に考えられているほど世の中には多くない。というのは、たいていの人々は意見を全然持たず、他人の意見か、あるいはただの伝聞や人の受け売りで満足しているからである。

  • 人間の行動は、その人間の思想を最もよく現していると、私はいつも思ってきた。

  • 彼らには可能だとか、不可能だとか言っている我々は、いったい誰なのだ?

  • あなたのために嘘をつく者は、あなたにも嘘をつくのだ。

  • 収入とは靴のようなものだ。小さすぎれば我々を悩ませ、苦しませる。しかしあまりにも大きければ、我々をよろめかせ、躓かせる。

  • あなたの持つ憂いは、あなたを支配するのだ。

  • すべての人は、万人が平等で独立しているのだから、誰も他人の生命、健康、自由あるいは所有物を損ねるべきでないということがわかるのである。なぜなら、人間は皆、唯一全能で限りない知恵を備えた創造主の作品だからである。

    出典:  ジョン・ロック「統治論」

  • 借り物の概念と、教育で植え付けられた偏見をもとにして、ありきたりの道筋に合った話をする大人の議論よりも、子どもたちの予期しない質問から教えられるところが多い。

    出典:  ジョン・ロック「教育に関する考察」

  • 全ての人間は自らの置かれた状況が、統治者に服従する根拠を持つか、それとも統治者に敵対する根拠を持つか、判断せねばならない。我々は統治者の行動を査定する資格があり、権利があり、道義的義務がある。さらにこの政治的判断は自己防衛のような、単純な、また本来的な権利であり、神に対する義務である。

  • 全ての人間は、他人の意向や権威に従う必要はないという点において自由である。すべての人が平等になり独立するということは、誰も他人の人生、健康、自由、財産を害しないということである。

  • 確信の強さが、そのまま正しさの証明となるわけではない。

  • 立法によって人々の財産が奪われたり、破壊されたり、独裁への隷属と考えられるほどに減らされたりした場合、立法府は国民に対して戦争状態にあると言え、国民はただちに法に従う義務から開放される。

  • なにゆえに人間が社交するかと言えば、自分の財産を保持したいからである。

    出典:  ジョン・ロック「政治論」

  • 男性と女性の連帯は、子ども達を養うに必要な期間だけ継続さるべきである。

  • 読書は単に知識の材料を提供するだけである。それを自らのものにするのは、思索の力である。

  • なにごとかを一層深く身につけたいと思う者は、自分自身の才能と努力とによって、それをなければならない。

  • 法制度の最終形態は廃止されることでも、制限されることでもない。維持されて自由を拡大させることだ。法がなければ自由もないのである。

    出典:  ジョン・ロック「統治二論」

  • われわれの知識は、すべて経験に基づくものであり、知識は結局のところ経験から生ずるのである。

  • いかなる人間の知識も、その人の経験を超えることはない。

  • 言われるがままに信じるだけの知識は、ただの切れ端に過ぎない。切れ端の知識としては立派でも、それを集める者の知識を少しも増すことはない。

  • 他人を従わせるための方法の一つは説得だ。もう一つは議論で、さらにもう一つは罰だ。

  • 私有財産の保護以外に政府の存在目的はない。

    出典:  ジョン・ロック「統治二論」

  • 独裁が君主政治のみで生まれると考えるのは間違いである。他の統治形態でも同様に独裁は生まれるのだ。権力が政府のある人たちの手にあれば、政府の財産を管理し、反対勢力に権力を行使し、貧困を利用し、独断的で不公正な指示で服従させる。権力が一人のために使われるか、それとも多数のために使われるかによって、独裁となるかが決まるのだ。

  • 反乱することも国民の権利である。

  • 人間に他人への助力を無理強いすることはできない。その人自身の良心に委ねるしかないのだ。

  • 扇動的な動乱に人々を集めるものが一つだけある、それは圧政である。

  • 法があるところに自由が存在することはない。

    出典:  ジョン・ロック「統治二論」

  • 法の終わりは独裁の始まりである。

    出典:  ジョン・ロック「統治二論」

  • 自由とは、他人による拘束や暴力の被害を受けないことだ。

    出典:  「Two treatises of government」

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ジョン・ロックについて

ジョン・ロックはイギリス経験論の父と呼ばれ、経験論的認識論の体系化で有名な17世紀のイギリスの哲学者。政治哲学者としても著名で、ジョン・ロックの自由主義的な政治思想は、イギリスの名誉革命を理論的根拠として支えたと言われ、後のアメリカ独立宣言やフランスの人権宣言にも影響を与えたとされる。

1632年イギリス・サマセット州リントン生まれ。オックスフォード大学で哲学と医学を学び、1658年にオックスフォード大学特別研究員となる。同校の講師を務めながら1664年「自然法論」を発表。1666年ジョン・ロックはシャフツベリ伯爵アントニー・アシュリー=クーパーの秘書官兼主治医となり、ロンドンに移り住んだ。この頃「統治二論(第一論)」を出版。「国王の絶対的支配権は人類の祖アダムの子どもに対する父権に由来する」という王権神授説を批判した。1682年ジョン・ロックはシャフツベリ伯爵が国から反逆罪に問われ、オランダに亡命。自らも罪に問われることを恐れたジョン・ロックは、1683年オランダへと亡命した。1688年名誉革命が起こり、イングランド王ジェームズ2世が追放され、ウィリアム3世が即位すると1689年ジョン・ロックは祖国のイギリスに帰国した。同年「人間知性論」を出版。「人間知性論」は経験論的認識論を体系化するもので、イギリス経験論の確立に寄与した。1690年第二論を追加した「統治二論」を出版。第二論では、政治権力の起源を王権神授ではなく社会契約にあるする「社会契約論」を主張。それらの範囲や目的についても論じた。1693年「教育論」を出版。ジョン・ロック1696年から1700年まで通商植民地委員会委員も務めた。1704年死去。享年72歳。