ジョン・ロック

哲学者

  • Twitter
  • Facebook
  • Hatebu
  • Line
  • Copy

ジョン・ロックの名言

ジョン・ロックの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 観察とは、考えるためのあらゆる要素を知性に提供することである。

  • この世界から身を守る柵は、この世界についての完全な知識だけだ。

  • 自分を愛するように隣人を愛することは、人間社会を構成するための真理だ。それによって、一人の人間が、すべての決定を社会的道徳に基づいて下すことができる。

  • 人々の明確で自発的な承諾で設立された立法府だけが、法を制定する権利を受けることができる。また、立法府もその構成員も、その法を制定する権利を他の誰かに譲渡することはできない。

  • 政府の統治下において自由を持つことは、社会の構成員全員に対して、法で定められた明確な規則が存在することだ。その規則は不安定であったり、不明確であったり、独断的に解釈されたりしてはいけない。

  • この世で最も価値のあるものとは、権力である。

  • 善も悪も、われわれに快楽と苦痛を引き起こすものに他ならない。

  • 知性がものごとを考えるための要素はすべて、まず感覚のなかにある。

  • 論理とは思考を解剖したものだ。

  • 教育は紳士たることの始まりである。しかし、読書、良い仲間、内省なくしては完成しない。

  • あなたが持たないものが、あなたが持つものを活用させないことを許してはならない。

  • 私の自由を奪おうとした者が力を持てば、私の他の全てをも奪おうとするであろう。

    出典:  「Locke: Political Writings」

  • 金の出し入れを几帳面に見張る習慣は、不相応の生活を送るために大いに役立つ。

  • 美味とは食物そのものに存在するのではなく、味わう舌にあるものである。

  • 財産とはその人本人に属するものであり、彼以外の他の誰も権利を保有しないものだ。

ジョン・ロックの名言を見ている方へお薦めする名言

ジョン・ロックの残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

ジョン・ロックについて

ジョン・ロックはイギリス経験論の父と呼ばれ、経験論的認識論の体系化で有名な17世紀のイギリスの哲学者。政治哲学者としても著名で、ジョン・ロックの自由主義的な政治思想は、イギリスの名誉革命を理論的根拠として支えたと言われ、後のアメリカ独立宣言やフランスの人権宣言にも影響を与えたとされる。

1632年イギリス・サマセット州リントン生まれ。オックスフォード大学で哲学と医学を学び、1658年にオックスフォード大学特別研究員となる。同校の講師を務めながら1664年「自然法論」を発表。1666年ジョン・ロックはシャフツベリ伯爵アントニー・アシュリー=クーパーの秘書官兼主治医となり、ロンドンに移り住んだ。この頃「統治二論(第一論)」を出版。「国王の絶対的支配権は人類の祖アダムの子どもに対する父権に由来する」という王権神授説を批判した。1682年ジョン・ロックはシャフツベリ伯爵が国から反逆罪に問われ、オランダに亡命。自らも罪に問われることを恐れたジョン・ロックは、1683年オランダへと亡命した。1688年名誉革命が起こり、イングランド王ジェームズ2世が追放され、ウィリアム3世が即位すると1689年ジョン・ロックは祖国のイギリスに帰国した。同年「人間知性論」を出版。「人間知性論」は経験論的認識論を体系化するもので、イギリス経験論の確立に寄与した。1690年第二論を追加した「統治二論」を出版。第二論では、政治権力の起源を王権神授ではなく社会契約にあるする「社会契約論」を主張。それらの範囲や目的についても論じた。1693年「教育論」を出版。ジョン・ロック1696年から1700年まで通商植民地委員会委員も務めた。1704年死去。享年72歳。