ジョン・ロック
哲学者
ジョン・ロックの名言
ジョン・ロックの過去の名言をまとめた名言集です。
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観察とは、考えるためのあらゆる要素を知性に提供することである。
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この世界から身を守る柵は、この世界についての完全な知識だけだ。
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自分を愛するように隣人を愛することは、人間社会を構成するための真理だ。それによって、一人の人間が、すべての決定を社会的道徳に基づいて下すことができる。
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人々の明確で自発的な承諾で設立された立法府だけが、法を制定する権利を受けることができる。また、立法府もその構成員も、その法を制定する権利を他の誰かに譲渡することはできない。
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政府の統治下において自由を持つことは、社会の構成員全員に対して、法で定められた明確な規則が存在することだ。その規則は不安定であったり、不明確であったり、独断的に解釈されたりしてはいけない。
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この世で最も価値のあるものとは、権力である。
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善も悪も、われわれに快楽と苦痛を引き起こすものに他ならない。
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知性がものごとを考えるための要素はすべて、まず感覚のなかにある。
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論理とは思考を解剖したものだ。
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教育は紳士たることの始まりである。しかし、読書、良い仲間、内省なくしては完成しない。
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あなたが持たないものが、あなたが持つものを活用させないことを許してはならない。
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私の自由を奪おうとした者が力を持てば、私の他の全てをも奪おうとするであろう。
出典: 「Locke: Political Writings」
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金の出し入れを几帳面に見張る習慣は、不相応の生活を送るために大いに役立つ。
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美味とは食物そのものに存在するのではなく、味わう舌にあるものである。
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財産とはその人本人に属するものであり、彼以外の他の誰も権利を保有しないものだ。
ジョン・ロックの名言を見ている方へお薦めする名言
ジョン・ロックの残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。
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まぁ、全部人間のやっていることなんていうのはね、「先人の肩」といいますか、ここに乗っかって、次はこっちに乗っかって…という繋がりだと思いますねぇ。全くゼロからの創造なんていうのはね、人類が初めてこの世に一歩を踏み出した時ぐらいじゃないですかね。
三浦雄一郎 登山家、プロスキーヤー
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僕の持っている可能性の50パーセント、時にはもっと少ないパーセントしか生きていないんじゃないかって考える時がある。
ボブ・ディラン 歌手
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当初は、「周りが自分をどのように見ているか」がとても気になった。でもね、よくよく考えてみると、誰も僕のことなんて気にしていないんですよ。
長谷部誠 プロサッカー選手
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みんな、評論家がどこかのメディアでしゃべったり書いたりしたことを無意識に日常に持ち込んでいるのかもしれないね。その意味では「解説の時代」なんじゃないの?スポーツでも映画でも、なんで解説が必要なんだ?って思うときがあるけど、やっぱり必要なんだよね。
桑田佳祐 ミュージシャン
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人々の個性を破壊しようとするものは、全て圧政である。
ジョン・スチュアート・ミル 哲学者、思想家
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人間は一本の葦にすぎない。自然のうちで最もひ弱い葦にすぎない。しかし、それは考える葦である。
パスカル 哲学者、数学者
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日本はパーツで良いものを持っていても、システム化するのが苦手です。自動運転車を見ても、確かに日本のセンサーは優れています。しかし、道路交通法で「車の運転は人が行うもの」と定められているため、公道で実験できません。これではイノベーションは起きない。日本はそういった弱さが克服できていません。
竹中平蔵 経済学者、政治家
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個人的意見を言うと、テレビ番組の厚労省批判には本当に腹が立っている。厚労省だけあれだけ叩かれるというのはちょっと異常な話なので,何か報復でもしてやりたい。たとえばスポンサーを降りるとか。ああいう番組のスポンサーは,大きな会社じゃない。いわゆる地方の中小というのが、流れとしてはある。大きなこと言うのはいいけれど、小さなことをひとつずつ取り上げて批判するのはどうか。
奥田碩 元トヨタ自動車社長
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偶然というものは、私たちが思っている以上に、人生を左右すると思う。
黒柳徹子 司会者、女優、作家
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人は誰をも抜かないし、誰にも抜かれない。
村上春樹 小説家
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民主主義は最悪の政治形態らしい。ただし、これまでに試されたすべての形態を別にすればの話であるが。
ウィンストン・チャーチル イギリス首相、軍人、作家
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一つひとつの記事の中身に、虚偽や誇張があるかどうかではない。問題は、言葉による伝達とは違う形で、メタメッセージがあったということなのです。
養老孟司 解剖学者、著作家
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現実は、痛切である。あらゆる甘さが排除される。
湯川秀樹 物理学者。日本人初のノーベル賞受賞者
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意味は無い。しかしそれは問題ではない。問題は意味が無い事をなぜあなたが問題だと思っているかだ。
為末大 陸上選手、世界陸上400mハードル銅メダリスト
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批判は攻撃だから反撃しやすいけれど、期待は応援だから無視しにくい。僕はいつの間にか人から期待されたい「いい人」になっていて、その自分を見てファンになった人の期待に答えるために、さらに「いい人」を演じていた。本当の自分は違うのに、期待に応え、それがまた人の期待を加速し、何が本当の自分なのかさえ、よくわからなくなっていった。
為末大 陸上選手、世界陸上400mハードル銅メダリスト
ジョン・ロックについて
ジョン・ロックはイギリス経験論の父と呼ばれ、経験論的認識論の体系化で有名な17世紀のイギリスの哲学者。政治哲学者としても著名で、ジョン・ロックの自由主義的な政治思想は、イギリスの名誉革命を理論的根拠として支えたと言われ、後のアメリカ独立宣言やフランスの人権宣言にも影響を与えたとされる。
1632年イギリス・サマセット州リントン生まれ。オックスフォード大学で哲学と医学を学び、1658年にオックスフォード大学特別研究員となる。同校の講師を務めながら1664年「自然法論」を発表。1666年ジョン・ロックはシャフツベリ伯爵アントニー・アシュリー=クーパーの秘書官兼主治医となり、ロンドンに移り住んだ。この頃「統治二論(第一論)」を出版。「国王の絶対的支配権は人類の祖アダムの子どもに対する父権に由来する」という王権神授説を批判した。1682年ジョン・ロックはシャフツベリ伯爵が国から反逆罪に問われ、オランダに亡命。自らも罪に問われることを恐れたジョン・ロックは、1683年オランダへと亡命した。1688年名誉革命が起こり、イングランド王ジェームズ2世が追放され、ウィリアム3世が即位すると1689年ジョン・ロックは祖国のイギリスに帰国した。同年「人間知性論」を出版。「人間知性論」は経験論的認識論を体系化するもので、イギリス経験論の確立に寄与した。1690年第二論を追加した「統治二論」を出版。第二論では、政治権力の起源を王権神授ではなく社会契約にあるする「社会契約論」を主張。それらの範囲や目的についても論じた。1693年「教育論」を出版。ジョン・ロック1696年から1700年まで通商植民地委員会委員も務めた。1704年死去。享年72歳。