キケロ

哲学者、政治家

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キケロの名言

キケロの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 人はすべて誤ったるものなり。過去にのみ固執するは愚かなり。

  • 政府が力を持ちすぎるのは有害である。力を持ちすぎると横暴で危険になる。罪のない人からパンを取り上げ、栄誉ある人から財を奪うのが日常になる。そして選挙はそれを永続化させるためのものになる。

  • 賢者は理論に基づいて行動する、一般人は経験に基づき、愚か者は欲望と野生の本能で行動する。

  • 汝は生きるために食べるべきであり、食べるために生きるべきではない。

  • 英雄を持たない国は哀れである。しかし、もっと哀れなのは、英雄がいるのにそれを思い起こさず、讃えない国だ。

  • 人間が代々にわたって起こし続ける6つの間違い。他人を貶めることが利益になると信じる。変えられない、修正できないことを心配する。達成する能力がないだけなのに、それが不可能だと主張する。くだらない個人的な好みに囚われる。精神的な成長や洗練を怠る。他人に信念と生き方を強要しようとする。

  • 国家は道を誤っても、外敵に直面しても生き残ることができる。しかし、内部の裏切りから生き残ることは難しい。城門に押し寄せる敵は無敵ではない。彼らは旗を掲げており、敵だとわかる。しかし、反逆者は城門の中で愚かな囁きをし、それが仲間中に伝わり、国家内の集会で囁かれるようになる。

  • うそつきは本当のことを言う場合も信じられない。

  • 雄弁家の三つの大切な心得は、教えること、喜ばせること、動かすことなり。

  • 誤った決断を下すよりも、決断を下さないことの方が大きな損失である。決断しないことは機会の喪失であり、人々を盲目にすることだ。

  • 自分が生まれる前の出来事を知らない者は、永遠に子供であり続ける。

  • 自身の誤りを忘れ、他人の誤りばかりに気づくのは、愚か者の特徴である。

  • 困難が大きければ、それだけ誉れも大きい。いかなる場合にも、正義の働きを止めてはならないのである。

  • 第一に必要になるものは大胆、第二に必要になるものも大胆、第三に必要になるものも大胆なり。

  • どんなに崇高で意義のある戦争よりも、道理に外れた平和を私は欲する。

  • 朋友は我が喜びを倍にし悲しみを半ばにする。

  • 金銭に対する欲を持ちすぎてはいけない。富を愛することほど狭量で卑しいものはない。自己の所有している以上に望まぬ者は富者である。借金は底なしの海である。

  • 誰でも間違いを犯す。そして、その間違いに固執し続けるのは愚か者だけだ。

  • 労働は苦痛に対して我々を堅固にする。

  • そもそもこの人生から友情を取り去ってしまうなどとは、太陽をこの世界から取り去るというものだ。

    出典:  キケロ「友情について」

  • 人は不幸になったとき、真の親友を見出す。

  • 私は私が知らないことについて無知であるのを告白することを、私は恥としない。

  • 黙して隠された敵意は、公然と表明された敵意より恐れられるものだ。

  • 私にとっては、真理の方が民衆の意見より価値があるものだ。

  • 官僚とは最も卑劣な人間だ。私が会った官僚は皆、狭量で愚鈍で退屈でずる賢く愚かな者ばかりだった。彼らはわずかな権力を持った迫害者であり、泥棒だ。それは凶暴な犬を飼って喜ぶ少年のようだ。そんな生き物をどうして信用できるだろうか。

  • 偉大な業績は、筋力・俊敏さ・器用さによってではなく、内省・精神的なたくましさ・決断によって成し遂げられるのだ。

  • 自由は法によって保証されている。だが、それでも我々は油断してはならない。その自由の下でも、我々を奴隷化する自由もあるのだ。また、法は国民の一般的福祉を謳っているが、その文言の下でも、強欲な暴君が我々の余剰を徴用することは可能なのだ。

  • 社会が子供にしたことは、この子供が社会にすることとして返ってくる。

  • 知識を得るだけでは十分ではない、それを使いこなさなければならない。

  • 他人を非難すると自分の心が汚れる

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キケロの残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

キケロについて

キケロは古代ローマの政治家で、「国家論」、「神について」、「義務について」などを残した著作家。数々の著作の中でも「義務について」はエラスムス、モンテスキュー、カントなどのちの哲学者に大きな影響を与えたとされる。

紀元前106年共和政ローマ・アルピヌム生まれ。哲学者・政治家ポセイドニオスの弟子となる。紀元前81年ごろから法律家となり、現代の弁護士のような仕事をしていたという。紀元前76年キケロはローマの財務官に就任。その後、ローマで按察官(公共建築や祭儀を担当する政務官)、執政官を担当。紀元前58年ごろ政治的ないざこざに巻き込まれて訴追され、ローマから逃亡するが、翌年議会の承認を得て帰還。その後キケロはローマの政治家として活躍し、ポンペイウス、カエサル、クラッススによる三頭政治に反対するなどした。紀元前44年に起こったカエサルの暗殺では、キケロは直接はかかわらなかったものの、暗殺した政治家たちを支持していたとされる。キケロはカエサルの後釜を巡ってアウグストゥスを支持し政敵のアントニウスを弾劾したが、アウグストゥスはアントニウスと和解し、第二回三頭政治を成立させてしまう。これによりキケロは政治的に失脚。国家への反逆者とされて、紀元前43年アントニウスの送った暗殺者によって殺害された。享年63歳。