ヴォルテール

哲学者

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ヴォルテールの名言

ヴォルテールの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 多くの者は誤った推論をすることを宿命づけられている。他の者は全く推論をしない。さらに他の者は、推論を行う者を虐げようとする。

    出典:  ヴォルテール「哲学辞典」

  • 誰があなたを支配しているか知りたいなら、あなたに批判されることを許さない人を見てみなさい。

  • 完全な幸福などない。人類はそうなるようにつくられていない。

  • 愚行が頻繁に繰り返されるほど、その外観は賢明さを帯びるようになる。

  • 自尊心とは、空気で膨らませた風船である。少し突いただけで炸裂してしまう。

  • 肉欲の喜びは過ぎ行き、消え去ってしまう。しかし、我々の間の親密さ、相互の信任、心の高鳴り、精神的な喜びなどは決して朽ち行くことも破壊されることもない。

  • あなたの話すことは全て真実かもしれない、しかし真実が全て話されるべきだとは限らない。

  • 人々が自らの自由に無関心な時、独裁者が現れる。独裁者は行動力と熱意があり、神や宗教、その他の名のもとに眠っている人々に鎖をはめようとする。

  • 休息はよいことであるが、倦怠はその兄弟である。

  • 自分の利益を優先しなさい。そして、他の人々にも同じことをする権利を楽しませてあげなさい。

  • 権力を持つ者が間違いを犯している事柄で、正しくあることは危険だ。

    出典:  ヴォルテール「ルイ14世の世紀」

  • 悪が物質から来るものとすれば、我々には必要以上の物質がある。もし悪が精神から来るものとすれば、我々には多すぎるほどの精神がある。

  • 途方もない大きいプライドを、とんでもなくケチな人間が持っている。

  • どんな人も、他人の経験から学び取ることができるほど利口ではない。

  • どこへ行くかはわからない、しかし私は道を進んでいる。

  • 一般に政府は、他人に恩恵を与える裕福な市民から、できるだけ多くのお金を取ろうとする。

  • 神というものが存在しなかったら、「彼」を創造する必要があるだろう。

    出典:  ヴォルテール「哲学書簡」

  • 競争心は才能の糧であり、羨望は心の毒である。

  • 男がありとあらゆる理屈を並べても、女の一滴の涙には勝てない。

  • 結婚とは、臆病者の前に用意されたたった一つの冒険である。

  • 教育は、さまざまな能力を伸ばしはするが、つくり出すことはない。

  • 人間の脳は入り組んだ構造の器官であり、信じたいと願うことを信じ続ける理由を見つける、という素晴らしい能力を有している。

  • 数学者が言う「無限」の意味を理解したいのであれば、人間がいかに愚かかを思い起こしてみるといい。

  • 不合理をあなたに信じ込ませる力を持つ者は、あなたに不公正を働かせることもできる。

    出典:  ヴォルテール「Questions sur les Miracles」

  • 数学者が言う無限の意味を理解する唯一の方法は、人間の愚かさを連想することだ。

  • なんの仕事にもたずさわっていないことは、この世に存在していないことと同じである。

  • 我々が平和と呼んで重んじているものは、実際には短い休戦にすぎない。その間、立場の弱い側は、正しい主張であれ、不正な主張であれ、とにかくその主張を諦める。武力によってその主張を活かす機会が来るまでは。

  • うまい冗談は、冗談を言うつもりがない時に生まれる。同様に、我々が心を突き動かされるのは、その人にこちらの心を動かそうというつもりが、まったくない時である。

  • 動物は、人間にはない利点を持っている。動物は時計の針を気にすることはなく、死について知らないまま死に、指図する神学者もおらず、最後の瞬間を歓迎されない不快な儀式で乱されることもなく、葬式に金をかける必要もなく、自らの意思で行ったことに対して訴訟を起こされることもない。

  • 人間は言うことがなくなると、必ず悪口を言う。

ヴォルテールに関連する名言

ヴォルテールの残した名言を分析し、それらの名言の内容に近い名言を厳選して紹介します。

ヴォルテールについて

ヴォルテールは18世紀のフランスの哲学者。理性による思考の普遍性と不変性を主張する啓蒙思想を広めた人物として知られる。また、1728年に出版されたイギリスの「百科事典」の影響を受けて企画されたフランスの百科事典「百科全書」の編纂にも関わったことで知られる。

1694年フランス・パリに生まれる。一家は裕福で、ヴォルテールはキリスト教・イエズス会のルイ=ル=グラン学院に入学し、法律を学んだ。ヴォルテール本人は法律関係の仕事や役人よりも、詩人になることを望んでいた。しかし、父フランソワ・アルエに反対され、父から駐オランダ大使の秘書や法律事務所の書紀といった仕事をあてがわれた。本人が希望する仕事ではなかったため、これらの仕事はすぐに辞めてしまった。ヴォルテールは文学に没頭しするようになり、徐々に頭角を現していく。1717年、当時摂政を務めていたオルレアン公を風刺した文を発表して逮捕され、バスティーユ牢獄に投獄された。釈放後、劇作家としての処女作「エディップ」が大好評となり、ヴォルテールの名声は急速にに高まることになった。1726年貴族とのトラブルによって再びバスティーユ投獄に捕らえられる。彼はすぐに無罪と判明して釈放され、同年イギリスに渡る。イギリスでは当時名声を得ていたジョン・ロックやアイザック・ニュートンらの哲学を学び、1929年パリに戻る。パリでは1733年「哲学書簡」、1738年「ニュートン哲学要綱」を出版。1750年フリードリヒ大王の招待でプロイセンに移る。1756年「百科全書」に寄稿。「百科全書」は184人が20年以上かけて執筆し、1751年から1772年に全28巻にわたって出版されたフランスの百科事典であった。1760年ヴォルテールはフランス・フェルネに移住し、1763年「寛容論」、1764年「哲学辞典」を出版。1778年死去。享年83歳。