ヴォルテール

哲学者

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ヴォルテールの名言

ヴォルテールの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 君の意見に賛成できないが、君が意見を述べる権利は死んでも守る。

  • 作家は生きているうちはそしりを受け、死ぬと賞賛される。

  • 迫害されることは英雄の運命である。

  • その時代の精神を持たぬものは、その時代のあらゆる不幸を担う。

  • 国家は他国の滅亡なしには勝ちえないし、不幸な人々を生まずに征服しえない。それゆえ、自国の強大化を願うことは、隣国の不幸を願うことである。

  • 神がいないなら創らねばならぬのだ。

  • 自然は人間の施す教育以上の影響力をその内に抱いている。

  • もっとも大事な決断は自分を上機嫌にすることだ。

  • 恋は自然によって与えられ、想像によって刺繍されたカンバスである。

  • 犯罪には恐怖がつきまとう。それが刑罰である。

  • 聴く者には何も理解できず、語る当人も同様に理解していない。これが形而上学だ。

  • 立派な愛国者であるとは、自国が商業によって繁栄し、武力によって強大になるように願うことである。

  • 本能とは、思考に先立つすべての感情と行為である。

  • 人は、刃物をふりかざさなければ、この世で成功することはない。しかも、死ぬときは手に武器を握って死ぬのだ。

  • 自愛は最大のへつらいである。

  • 神は男を飼い馴らす目的のみによって女を創った。

  • 医者とは、ほとんど知識を持っていない薬を処方し、さらにわずかな知識しか持たない病気を治療し、全然知識を持っていない人間を健康にしようとする者のことである。

  • 一般常識なるものは、考えられているほど一般的ではない。

  • 全ての人間が生まれたのは男女の快楽のおかげである。

  • 有益な書物とは、読者に補足を要求せずにはおかないような書物のことである。

  • もし神が想像通り我々をお創りになったのなら、我々はきっと神にそのお返しをしているのであろう。

  • ろくに知りもせぬ怪しげな薬を、まったくそれを知らない人の体内に注ぐのが、医者である。

  • 船が入港するまで待つな。船に向かって泳ぐのだ。

ヴォルテールの名言を見ている方へお薦めする名言

ヴォルテールの残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

ヴォルテールについて

ヴォルテールは18世紀のフランスの哲学者。理性による思考の普遍性と不変性を主張する啓蒙思想を広めた人物として知られる。また、1728年に出版されたイギリスの「百科事典」の影響を受けて企画されたフランスの百科事典「百科全書」の編纂にも関わったことで知られる。

1694年フランス・パリに生まれる。一家は裕福で、ヴォルテールはキリスト教・イエズス会のルイ=ル=グラン学院に入学し、法律を学んだ。ヴォルテール本人は法律関係の仕事や役人よりも、詩人になることを望んでいた。しかし、父フランソワ・アルエに反対され、父から駐オランダ大使の秘書や法律事務所の書紀といった仕事をあてがわれた。本人が希望する仕事ではなかったため、これらの仕事はすぐに辞めてしまった。ヴォルテールは文学に没頭しするようになり、徐々に頭角を現していく。1717年、当時摂政を務めていたオルレアン公を風刺した文を発表して逮捕され、バスティーユ牢獄に投獄された。釈放後、劇作家としての処女作「エディップ」が大好評となり、ヴォルテールの名声は急速にに高まることになった。1726年貴族とのトラブルによって再びバスティーユ投獄に捕らえられる。彼はすぐに無罪と判明して釈放され、同年イギリスに渡る。イギリスでは当時名声を得ていたジョン・ロックやアイザック・ニュートンらの哲学を学び、1929年パリに戻る。パリでは1733年「哲学書簡」、1738年「ニュートン哲学要綱」を出版。1750年フリードリヒ大王の招待でプロイセンに移る。1756年「百科全書」に寄稿。「百科全書」は184人が20年以上かけて執筆し、1751年から1772年に全28巻にわたって出版されたフランスの百科事典であった。1760年ヴォルテールはフランス・フェルネに移住し、1763年「寛容論」、1764年「哲学辞典」を出版。1778年死去。享年83歳。