モンテスキュー

哲学者、法学者

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モンテスキューの名言

モンテスキューの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 単に幸福になりたいのであれば、それは簡単である。しかし、我々が求めるのは他人より幸福になることで、それはいつも難しい。なぜなら、我々は他人が実際以上に幸せだと考えるからだ。

  • 宗教戦争は宗教が複数あるがために起きるのではなく、不寛容の精神によって起こる。自らの宗教が、この世界の唯一絶対の真理であるべきだという不寛容の広がりによって。

  • 自然状態では、人間は生まれながらに平等だ。しかしこの平等を続けることは不可能である。社会がそれを失わせるからだ。そしてそれを回復するには法による保護が必要となる。

    出典:  モンテスキュー「法の精神」

  • 真に偉大な指導者であるには、人々の上に立つのではなく、人々と共に立たなければならない。

  • 世の中で成功を収めるには、馬鹿のように見せかけ、利口に活動することである。

  • 法を盾にし、正義の名の下に永続化される独裁ほど残酷なものはない。

  • 恐れや理屈によって国民が法に従うのではなく、熱狂をもって従う国が最も強力な国だ。

  • 権力を持つものは皆、それを乱用することに駆り立てられる。

  • 国家の発展度は、人口の多さなどではなく、国民の自由度によって示される。

  • 私は、私の属する国家の役に立つと同時に人類の害になる方策を知っているが、決してそれを明かすことはない。私は第一に人間社会の一員であり、それは必然である。そして第二にフランス国民であるが、それは偶然である。

  • 退廃が始まるのは若い世代からではない。若者は大人たちが退廃しない限り、自ら蝕まれることはない。

  • 立法と行政が一人の人物に集まった時、そこに自由はない。施政者であり立法者である者が、独裁のための法を制定し、運用するのを止められないという懸念が生じるのだ。

    出典:  モンテスキュー「法の精神」

  • 戦争によって生まれた国家は、それを維持するために戦争を必要とする。

  • 国家が自由を失うのに一世紀かかるわけではない、一日にして自由は失われる。

  • 幸運が一度も訪れたことのない人など存在しない。だが、幸運を受け入れる準備ができていなければ、幸運は窓から出ていってしまう。

  • 宗教を愛し、それを守っていくために、それを守らぬ者を憎んだり、迫害したりする必要はない。

  • 紙に書かれた過去は、先人の足跡に過ぎない。先人が何を見たかは、時を辿らなければ解らない。

  • 法は死の如くあらねばならない。誰も法から免れさせてはならぬのだ。

  • 我々は3つの教育を受ける。一つは親から、もう一つは学校の教師から、三つ目は世界から。三つ目の教育は最初の二つの教えとは相反するものだ。

  • 国家の退廃の始まりはいつも、その国家の建国理念が廃れた時に始まる。

  • 雄弁家はその話の深遠さの不足を、話の長さによって補う。

  • 偉大な事業を成し遂げる者は、つねに大胆な冒険者である。

  • 真に知的な人は、他人が知識として有しているだけのことを、身体でわかっている。

  • 知識は人間に人間味を与え、温厚さを生む分別を与える。しかし、偏見は人間の全ての柔和な気質を失わせる。

    出典:  モンテスキュー「法の精神」

  • 友情とは小さな好意を大きな好意で返すことである。

  • 自分に訪れた幸福を数えれば、すぐに幸福になることができる。

  • 多くの場合、成功できるかは、成功にどれだけの時間が必要かを知っているかによる。

  • 国の文化が栄えるのは、大地が肥沃だからではなく、人々が自由だからだ。

  • 偽りの幸福は人を険しく、高慢にし、その幸福について誰かと話し合うことはない。本当の幸福は人を親切で賢明にし、その幸福は分け与えられる。

  • 強い人間は、自らの運命を嘆かない。

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モンテスキューについて

モンテスキューは18世紀のフランスの哲学者、法学者。「法の精神」の中で提唱された三権分立の考え方は、フランス革命やアメリカ憲法などに影響を与え、現代の多くの国の憲法に引き継がれている。また、「ペルシア人の手紙」「ローマ人盛衰原因論」ではフランスの政治制度や社会制度を風刺した。

1689年フランス・ボルドー近郊ラ・ブレード城で生まれた。7歳の時に母が死去し、ラ・ブレード男爵となり、その領地を相続した。ボルドー大学で法律を学び、卒業後は弁護士となる。1716年叔父の死去によって、モンテスキュー男爵の地位と所領、ボルドー高等法学院院長の官職を相続した。1721年モンテスキューは東方人の視点から当時のフランス社会と政治を批判した小説「ペルシア人の手紙」をを出版、好評を得た。1728年から3年にわたってヨーロッパ各地を旅して各国の社会状況や政治状況をつぶさに観察した。帰国後は1734年「ローマ人衰退原因論」を出版。1748年その調査も含めて20年をかけて執筆したと言われるモンテスキューの代表作「法の精神」を出版。「法の精神」は政治学、法学、社会学、人類学などを多岐にわたって論じた政治理論書で、共和制、君主制、専制の三政体論と、三権分立論が特に有名。「法の精神」はたいへんな売れ行きとなるとともに、その内容について大きな議論も巻き起こした。その後のモンテスキューはフランスで作られた百科事典「百科全書」に趣味論」の執筆に取り組むも、完成することなく1755年に死去。享年66歳。