ルキウス・アンナエウス・セネカ

哲学者、政治家、戯曲家

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ルキウス・アンナエウス・セネカの名言

ルキウス・アンナエウス・セネカの過去の名言をまとめた名言集です。

  • あなたはものごとを難しくも、簡単にも、楽しくもすることができる。全ては頭の中にあり、あなたの選択に委ねられている。

  • 我々は自分を他人と比べることなく楽しむべきだ。他人がより幸福であるということに苦しめられるならば、人は決して幸福ではありえない。

  • わからないことは尋ねなさい。その時は愚か者に見えるが、その後生涯に渡って賢者となれる。

  • 頑固者は、打ち砕くことはできるが、服従させることはできない。

  • 中傷を受けない賢人よりも、中傷を受けても動じない賢人のほうが格が上だということを知っておいてもらいたい。

  • 富は賢者にとっては奴隷であり、愚か者にとっては主人である。

  • 本当の幸福とは、将来を気にかけずに現在を楽しむことだ。将来の希望や不安で自らを慰めるのではなく、現在の自分に満足して安らぐべきだ。それ以上を求めなければ、現在で十分なのだ。

  • 不幸な人の共通の過ちは、我が身に幸せが訪れることを、決して信じたがらないことである。

  • 多くの人が自分より先を行っているのを見た場合、一方で多くの人が自分より遅れていることを考えなさい。

  • 問題に対処するにあたって重要なのは、解決策ではなく解決策を見つけるにおいて身につける強みである。

  • 人生には、加えるものはあっても、引くものは何一つありえない。

    出典:  セネカ「人生の短さについて」

  • 過ちを犯すことが悪いのではない。悪いのはその過ちのために、ひまわりのような、どんな暗い所にいても絶えず太陽の方へ伸びてゆく、柔軟にして強靭な心を失うことだ。

  • 真の幸福は現在を楽しむことだ。希望や不安で気を散らせ、ひたすら将来に望みを託すのではなく、無欲であることによって、自分がすでに持っているもので十分に満足し、泰然自若として暮らすことだ。人間が神から恵まれたものは、我々の内にあり、手の届くところにある。賢者はいかなる運命であれ、おのれの運命に満足し、自分が持っていないものを乞い願わない。

  • 運命は、志のある者を導いて、志のない者を引きずっていく。

  • あなたの抱える問題を笑い飛ばしなさい。他の皆もそうしているのです。

  • いつ、どこであなたを死が待ち受けるかはわからない。いつ、どこにおいても死が訪れ得ると考えておかなければならない。

  • 他人を許さない者は、他人に許しを期待してはいけない。

  • 金は火によりて試され、勇者は逆境によりて試さる。

  • いかに長く生きたかではなく、いかに良く生きたかが問題である。

  • 汝を称讃する人々の価値に重さを置くべきなり。悪から称讃されざることこそ真の価値なり。

  • 誰も永遠に仮面を被り続けることなどできない。偽りの姿はやがて自分の素性へと戻る。

  • 私たちは常に命の短さを嘆きながら、あたかも我々の命がいつまでも続くかのように振舞うのだ。

  • ものごとが困難なのはあなたの意思に反しているからではない。困難なことだからやろうとしないのだ。

  • 最もよく踏みならされ、また最も人通りの多い道ほど、多くの人を迷わせるものである。

  • 一日、一日をまったく違う人生と見なして生きるべきだ。

  • 貧者とは、ほとんど何も持っていない者のことではなく、さらに多くを渇望する者のことを言う。

  • 成功すると、それによっていくつかの罪は一見公正に見えるのだ。

  • 事情が変わった時に計画を変えるのは、何ら間違ったことではない。

  • 毎日を最後の一日のように思いつつ生きよ。

  • 人を憎まずして罪を罰するのが、優れた裁判官である。

ルキウス・アンナエウス・セネカについて

セネカは古代ローマ、ストア派の思想家。第5代ローマ皇帝ネロを家庭教師として教え、ネロの治世を政治家として支えた。のちに不興を買い、隠居した。隠居中に友人ルキリウスにあてる書簡形式の哲学書「道徳書簡」を書き上げた。他の著書に、「対話篇」「自然問題集」などがある。また、戯曲家としてもギリシャ悲劇を描いたものなど、9編を残し、シェイクスピアにも影響を与えたとされる。

紀元前1年、ローマ帝国・ヒスパニア・バエティカ属州コルドバ(現在のスペイン・コルドバ)で生まれた。一家は裕福な騎士階級の家で、父は古代ローマの修辞学者として著名なマルクス・アンナエウス・セネカ。セネカが10代前半の頃に一家はローマに移住し、ソティオンやアッタロスといった哲学者に師事した。33年、セネカはローマ帝国の財務官に就任する。その後、元老院議員となり、その知性でローマ帝国の政治家として頭角を現していった。50年セネカは法務官に就任。この頃からセネカは皇帝クラウディウスの寵愛を受け、彼の子でのちの皇帝ネロの家庭教師を務め、共和政ローマの形式上の元首となる執政官にも就任した。54年ネロが皇帝に就任すると、セネカは彼のブレーンとして活躍した。しかし、60年ごろセネカは政争に巻き込まれ、横領の罪で告発されてしまう。結果として62年政界を引退し、隠居して学術研究に励むようになる。この隠居中にセネカは彼の代表的著作と言われる「道徳書簡」を完成させた。65年皇帝ネロに代わる新皇帝を擁立しようとしているとの疑いがセネカにかけられた。セネカはネロに自殺を命じられ、静脈を切って自殺した。

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