カール・ヒルティ
哲学者、法学者
カール・ヒルティの名言
カール・ヒルティの過去の名言をまとめた名言集です。
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人が幸福を口にする時、幸福はすでに逃げ去っている。
出典: カール・ヒルティ「幸福論」
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善と悪との闘争は絶えず至る所に支配している。そこには善か悪かの要素しかなく、善悪が勢力を競うのみである。
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十字架は重い。しかし不思議なことに、それは汝を担うが、汝はそれをほとんど担ったことがない。
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高慢は常に相当量の愚かさと結びついている。
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虚栄を最も防ぐことができるのは尊大である。だが、虚栄よりずっと危険な敵である尊大を防ぐのは、神への接近のみである。
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良い思想は決して人間独自のものではない。それは人間を通して流れ出るだけのものである。
カール・ヒルティの名言を見ている方へお薦めする名言
カール・ヒルティの残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。
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人はどんな場合に居ても常に楽しい心を持ってその仕事をすることが出来れば、即ちその人は真の幸福な人といい得る。
国木田独歩 小説家、詩人
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幸せな時は他人が気にならない。
為末大 陸上選手、世界陸上400mハードル銅メダリスト
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今から20年後、あなたはやったことよりもやらなかったことに失望する。ゆえに、もやいを解き放て。安全な港から船を出せ。貿易風を帆にとらえよ。探検せよ。夢を持ち、発見せよ。
マーク・トウェイン 小説家
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時間の無駄は人生最大の浪費であるに違いない。失った時間は二度と返ってこないからだ。
ベンジャミン・フランクリン アメリカの政治家、科学者
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自分を愛すること。それは生を愛することに他ならない。
谷川俊太郎 詩人、翻訳家
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歳は受け止め方の問題だ。歳を気にしなければ、問題になることはない。
マーク・トウェイン 小説家
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勇気と決断と、行動力さえもちあわせておれば、あとのことは天に任せればよい。
司馬遼太郎 小説家
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鈴木建設取締役社長、鈴木一之助に「昇進」致しました。どうぞよろしくお願い致します。22年の間、浜崎伝助を生きて参りましたけれど、今年から鈴木一之助を生き抜いてみたいと考えています。いろいろな考えを持っての作品への参加でしたけれど、素晴らしい若い才能たちに囲まれて、幸せな仕事をさせていただいています。
西田敏行 俳優
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短時間に大きいことをやろうとあせるよりも、時間をかけて大きいことを成すべきである。
藤田田 日本マクドナルド、日本トイザらス創業者
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人生において本当に大切な選択は誰にも相談しないで自分で決める。
松浦勝人 エイベックス創業者、音楽プロデューサー
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もし親切で、寛大で、幸福で、自分のプラスになる事柄だけを考えるよう心がければ、心の中のどこにも憎しみなどは起こらない。そして人生は満足感で満たされるようになる。
デール・カーネギー 評論家、著作家
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我々の大切な任務は遠くにあるぼんやりとしたものを見ることでは無い。はっきりと手近にあるものを実行することである。
デール・カーネギー 評論家、著作家
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人生には一つの曲がり角があることがはっきり分かっているのですが、果たしてその向こうにどんな思いがけないことが待っているのか、まったく分からないのです。
グラハム・ベル 発明家、物理学者
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結果に依存しすぎると、人生なんてほとんど意味がなくなってしまう。敗北感を感じないようにするのは無理かもしれないけど、結果とは関係なくプロセスの中にいかに喜びを見いだすかは、大きな知恵だと思う。
為末大 陸上選手、世界陸上400mハードル銅メダリスト
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やはり人生と仕事の目的が一致したとき、人間は最大のパワーを発揮します。ですから、好きなことしか仕事にしなければいいんですよ。実際、僕はそうしています。だから僕にとって「仕事」は、イコール「生きる」ことなんですよ。
渡邉美樹 ワタミ創業者
カール・ヒルティについて
カール・ヒルティは19世紀の哲学者。法学者。自身はプロテスタントであり、キリスト教的思想から倫理的な哲学書を著した。現実感のない神学や教義を嫌い、実践的なキリスト教的生き方を啓蒙し自らも実行した。婦人参政権運動や救世軍への支援でも知られる。代表的著書に「幸福論」「眠られぬ夜のために」など。
1833年スイス・ザンクト・ガルレン州ヴェルデンベルク生まれ。父は有名な医者だった。ドイツ・ゲッティンゲン大学で法学・哲学を学んだあと、カール・ヒルティはハイデルベルク大学に移り法律の勉強に専念。博士号を得て弁護士となる。1874年ベルン大学の法学教授に就任。1890年にはスイスでウェルデンベルク区選出の代議士となる。翌1891年、カール・ヒルティはキリスト教信仰の精神に基づいて人生の目標たる幸福に至る道を示した「幸福論」を出版。この著書でカール・ヒルティは、聖書に基づいた純粋なキリストの教えの実践を説き、聖書以外の書物や神学、後づけて作られた教義などは重要視すべきでないとした。そして神の愛の体験、倫理的秩序への信頼、堅実な労働、不幸や苦しみによる内面の深化、正義への勇気などをもってキリスト教を実践し、人生の目標たる幸福に向かうことができるとした。
同1901年「眠られぬ夜のために」を発表。1892年スイス陸軍裁判長に就任。1909年ハーグ国際仲裁裁判所のスイス委員に任命されたが、同年秋心臓麻痺により死去。享年77歳。