ジャン=ジャック・ルソー

哲学者

  • Twitter
  • Facebook
  • Hatebu
  • Line
  • Copy

ジャン=ジャック・ルソーの名言

ジャン=ジャック・ルソーの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 人間は生まれながらにして偉人でもなく王者でもなく富者でもない

  • 人間は生まれ落ちたときから自由なものである。しかし至る所で鉄鎖につながれている。

    出典:  ジャン=ジャック・ルソー 「民約論」

  • 最も長生きした人間とは、最も年を経た人間のことではない。最も人生を楽しんだ人間のことである。

    出典:  ジャン=ジャック・ルソー「エミール」

  • 他人の意見で自分の人生を決めてはならない。まず、他人はあなたのことを本当にわかっていない。さらに、あなたは他人が本心を語っているかどうかを知る由がないのだから。

  • 所有している金銭は自由への手段であるが、追い求める金銭は隷属への手段である。

  • 私が100人の集団に所属していたとして、他の99人が、ただ多数派だというだけで、私に死刑を宣告する権利をもつだろうか?

  • 奴隷として平和に過ごすよりも、自由を得て危険をおかす方がましである。

  • 人間は自然のままならば善である。現代の社会組織によってのみ邪悪にさせられる。

  • わたしたちは無知によって道に迷うことはない。自分が知っている事と信じる事によって道に迷うのだ。

  • 自分自身を尊重せずに、幸福であることなどあり得ない。

  • 政治と道徳を分けて扱う者は、そのどちらをも理解することはない。

  • 政治とは、支配者と民衆の間に結ばれる単純な契約である。

  • すべての男に親切にしようとすれば、すべての男を失望させてしまうだろう。

  • われわれはいわば二度生まれる。一度目は生存するため、二度目は生活するため。一度目は人類の一員として、二度目は性を持った人間として。

    出典:  ジャン=ジャック・ルソー「エミール」

  • 人は、実際の恋愛対象よりも、自分で心に描き出した相手の像の方を一層愛する。人がその愛する者を正確にあるがままに見るならば、もはや地上に恋は無くなるだろう。

  • 人間が作ったものは全て、人間によって破壊される。自然によって刻み込まれたもの以外で不可侵なものなどない。そして、王子や金持ちや偉大な諸侯は、どれも自然によってできたものではない。

  • 無知な者はたいてい多弁である。知識のあるものはあまり話さない。

  • 自由とは、自分が繋がれる鎖を選ぶ力のことである。

  • 十歳では菓子に、二十歳では恋人に、三十歳では快楽に、四十歳では野心に、五十歳では貪欲に動かされる。人間はいつになったら、英知のみを追うようになるのだろうか。

  • 人は、常に幸福を求めるが、常に幸福に気づかない。

  • イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大まちがいだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民は奴隷となり、無に帰してしまう。

  • ある者は明日に、他の者は来月に、さらに他の者は十年先に希望をかけている。だが、ひとりとして、今日に生きようとする者はいない。

  • ある真実を教えることよりも、いつも真実を見出すにはどうしなければならないかを、教えることが問題なのだ。

  • 文明とは、悪行への対策を練り続ける絶望的な競争である。

  • 人間に自由があっても、なんでもやりたいことができるということではない。しかし、やりたくないことはやらなくて済む。

  • 理性、判断力はゆっくりと歩いてくるが、偏見は群れをなして走ってくる。

    出典:  ルソー「エミール」

  • 教育とは自然の性、則ち天性に従うことでなければならない。…国会あるいは社会のためを目標とし、国民とか公民になす教育は、人の本性を傷つけるものである

    出典:  ルソー「エミール」

  • わずかなる知識しか持たぬ人間は多く語る。識者は多く黙っている。

  • 不運は確かに偉大な教師だが、その授業料は高く、それから得た利益は、しばしばそれに費やした費用に匹敵しない。

  • 他人の好みにかなう妻より、自分の好みにかなう妻を求めよ。

ジャン=ジャック・ルソーの名言を見ている方へお薦めする名言

ジャン=ジャック・ルソーの残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

ジャン=ジャック・ルソーについて

ルソーは社会契約論で知られるフランスの思想家。貧困に陥りフランス,イタリアを放浪する中、パリで学者たちとの交友を持ち、懸賞論文への応募がきっかけで学者の道に進んだ。「社会契約論」ではフランス革命に影響を与えたとされる。

1712年ジュネーヴ共和国(現在のスイス連邦ジュネーヴ州)生まれ。一家は時計職人を営んでいたが、ルソーが10歳の時に貴族とのトラブルがもとで父親がジュネーヴから逃亡。一家は離散し、ルソーは放浪生活を送り、書記見習い、彫金師、音楽教師など職を転々としながらフランスに流れ着く。

1942年30歳の時、数字によって音階を表す音楽の新しい記譜法を考案しパリの科学アカデミーに提出し、これがルソーにとって初めての学術的論文となった。その7年後、学問と芸術が道徳に及ぼした影響を問う懸賞論文に、「学問芸術論」を提出。この著書でルソーは人為的文明社会を批判、自然に変えるべきであると主張。これが大きな反響を呼び、学者としての地位を確立する。「人間不平等起源論」、「社会契約論」、「エミール」、「言語起源論」など社会の有り様を鋭く分析。「エミール」では知性偏重の教育を批判、「社会契約論」では人民主権論を展開した。特に「社会契約論」は哲学に大きな影響を与えるとともに、フランス革命の思想的背景となったともされる。

エミールの内容がキリスト教会の教義に反するものであるとして反発を受け、キリスト教協会から攻撃を受けた。ルソーはフランスでの居場所を失い、1766年イギリスへ亡命。イギリスでは国を挙げての歓迎を受けたものの、当時のルソーは精神的に不安定になっており、人間不信により翌年フランスに帰国。3年ほど各地を旅したのちに1770年にパリに戻った。ルソーは依然としてキリスト教協会とは対立したままだったが、市民からは大歓迎を受けたという。1778年死去。享年66歳。