ソクラテス

哲学者

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ソクラテスの名言

ソクラテスの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 汝が良妻を持たば幸福者にならん。悪妻を持たば哲学者にならん。

  • 逃げないのが勇気のある者なのではなく、そこに留まり、敵に立ち向かうのが勇気のある者である。

  • 教えるということが、ある人から別の人へ機械的に知識を伝達することを意味するなら、誰も教えることなどできない。それについてできることは、最大でもより知識のあるものが、一連の問いをしたり、考えるように促したりして、自ら学ぶように仕向けることである。

  • あなたのあらゆる言動を誉める人は信頼するに値しない。間違いを指摘してくれる人こそ信頼できる。

  • 幸福の秘訣は、多くを求めることではない、少なきを楽しむ度量を育てることだ。

  • 倒れるのは失敗ではない、失敗となるのは倒れた場所に留まったときだ。

  • 本をよく読むことで自分を成長させよ。本は筆者がとても苦労して身につけたことをたやすく手に入れさせてくれるのだ。

  • 父母の恩をかんぜずんば、汝の親友となる者なかるべし。

  • 私が知っている一切は、私がなにも知らないということである。

  • できれば、人より賢くなりなさい。でも、それを人に知らせてはいけません。

  • ほかの人々は食わんがために生き、己自身は生きんがために食う。

  • 教育とは、炎を燃えあがらせることであり、入れ物を埋めることではない。

  • 世界を前進させるには、まず我々が進まねばならない。

  • 自らの無知に気づくことは、知性の始まりである。

  • 人間に関することに安定などないことを忘れてはならない。それゆえに、繁栄している時には過度の喜びを避け、逆境にある時には過度の落ち込みを避けなさい。

  • 私はアテネ人ではない、ギリシャ人でもない、世界の市民である。

  • 生きるために食べよ、食べるために生きるな

  • 人間の最大の幸福は、日ごとに徳について語りうることなり。
    魂なき生活は人間に値する生活にあらず。

  • 結婚しようが、結婚をしなかろうが、どちらの場合でもあなたは後悔するだろう。

  • 誰かが突然変わってしまうのを嘆き悲しむことはない。その人物は演技をやめ、本来の自分に戻っただけかもしれない。

  • 財産や名誉を得る事のみ執心し、己の魂を善くする事に努めないのを恥とは思わないのか。

  • それぞれが抱える不幸を持ち寄って皆で平等に分けたら、どうなると思いますか?ほぼまちがいなく全員が最初に持ってきた不幸の方がいいと言って、帰っていくことでしょう。

  • 疑義は哲学者の感知であり、哲学は疑義に始まる。

  • 自分自身が無知であることを 知っている人間は、自分自身が無知であることを知らない人間より賢い。

  • 我々が皆自分の不幸を持ち寄って並べ、それを平等に分けようとしたら、ほとんどの人が今自分が受けている不幸の方がいいと言って立ち去るであろう。

  • 人は誰ひとりとて、自ら進みて悪事を行う者なし。

  • 懐疑は無限の探求にほかならず。真の悲劇家は真の喜劇家なり。

  • いかなる財宝とくらべようとも、良友にまさるものはないではないか。

  • 我々は繰り返し行っていることによって形作られる。したがって、卓越することとは習慣によるのだ。

  • 議論に敗れた時、敗れた者が武器とするのは中傷である。

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ソクラテスについて

紀元前アテネの哲学者。よく生きることを求め、問答法を使って相手に自らの無知を自覚させ、真の認識に到達させようとし、街角で青年の教育を行った。しかし、これが古くからのしきたりを重んじる人々を怒らせ、神々を冒涜し青年に悪影響を与えたとして告発され死刑を宣告された。

ソクラテスは紀元前470年古代ギリシャ・アテネに生まれる。父ソフロニスコスは石彫家、母ファイナレテは助産婦だったとされる。「知識」と「徳」を合一して追い求めることを説き、善く生きるためには知識のみならず正義、真実、善、美、敬虔、勇気、わきまえ、友情などの「徳(倫理的価値)」を正しく知ることが必要だと訴えた。ソクラテスはそういった客観的真理の存在を確信し、街角に出て青年の教育に没頭したという。

しかしながら、スパルタとのペロポネソス戦争に破れ、寛容性を失ったアテネの人々は、ソクラテスが伝統の神々を汚し青年を惑わせたとして死刑を宣告する。親しい人物からは逃亡や亡命を薦められたが、ソクラテスは死刑を受け入れ、自ら毒杯をあおり、70年の生涯を終えたという。ソクラテス自身は著書を残さず、彼の思想は弟子のプラトンやセノフォンの著書によって伝えられている。