相田みつを
書家、詩人
相田みつをの名言
相田みつをの過去の名言をまとめた名言集です。
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身近な人の死に逢うたびに 私は人間の命のはかなさにガクゼンとします この世に人間として生きている尊さを 骨身にしみて感じるとき 私には仕事への闘志が湧いてきます
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道は一本単純でまっすぐがいい 何かを欲しがると 欲しがったところが曲がる 道は一本まっすぐがいい
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めしを喰って静かに息をついていたら いつの間にか日が暮れて 気がついた時は墓場の中
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因も変り縁も変る なにもかもみんな変ってゆくんだね 人間関係も変ってゆく 世の中無常だから
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体験してはじめて身につくんだなぁ。
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あのね 自分にとって一番大切なものは 自分のいのちなんだよ だからすべての他人のいのちがみんな大切なんだよ
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かんのんさまは どうしてこんなにしずかなの かなしみにたえた人だから どうしてこんなにやさしいの ひとの世のくるしみに一番泣いた方だから
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与えられた今日のいのちをイキイキはつらつと生きる。それが仏様の教えだと私は受け止めております。
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アレもコレもほしがるなよ。
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ほんとうのことがいちばんいい
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背筋をのばして 肩ひじ張らず すんなりさらさらゆきましょう 水のように それがなかなかできないわたし
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外灯というのは 人のために つけるんだよな わたしはどれだけ 外灯を つけられるだろうか
出典: 相田みつを「いちずに一本道いちずに一ッ事」
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使ったところが 強くなる 頭でもからだでも その反対 使わぬところは
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感ずるべきものに感ずる 人間であって欲しい
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渦巻いて濁らない滝つぼの水
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うまれかわり 死にかわり
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どうころんでもおれのかお。
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なるべくならうそのないほうがいい
相田みつをの名言を見ている方へお薦めする名言
相田みつをの残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。
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天才とか聖人とかいう人を除けば、人間はみな似たりよったりの能力と、感情の持ち主である。これを悟らなければならないと思う。つまり、我も人なら、彼も人なのである。
本田宗一郎 本田技研工業創業者
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顔色容貌の活溌愉快なるは人の徳義の一箇条にして、人間交際において最も大切なるものなり。
福沢諭吉 思想家、教育家
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一人の人間は、宇宙にあっては限りなく小さいが、その誠意は天地をも動かすことができる。
二宮金次郎 農政家、幕臣
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奇跡を信じるかい?私は信じるべきだと思う。実際、人生そのものが大きな奇跡なんだ。そこには我々の理解を越えたことがたくさんある。
アインシュタイン 物理学者
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考えられないですよ、東京事変がない状態って。いろんな意味で、どうしても、こうしなきゃいけなかったというか。うーん、抗えなかった。避ける道がなかったと思いますけどね。
椎名林檎 歌手
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自分の仕事を心底、好きになる。
松下幸之助 パナソニック創業者
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最も大切なことは並み外れた人生を生きることだ。その人生が並外れているなら、人生の長さは関係ないんだ。
フレディ・マーキュリー ロック歌手
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一人になれた時、自分をとりもどせるの。
マリリン・モンロー 映画女優、歌手
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人は、生まれ、ほんの一瞬生き、そして死ぬんだ。ずっとそうだ。
スティーブ・ジョブズ アップル創業者
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人生は、何と素晴らしいものだろう。幾多もの困難はある。しかし、それらを乗り越える勇気と努力を惜しまなければ、何時か必ず良き事が起こる。
孫正義 ソフトバンクグループ創業者
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自分にどんなに素晴らしいアイデアがあっても、相手が全く違うことを考えていたら僕は何の作用ももたらさない。
見城徹 幻冬舎創業者
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自分ですよ。敵はどんな時も。自分を律する、生きている以上は。妥協という敵が、日々あらゆる時間に人間って襲いかかってくるんで、本当に強敵。
本田圭佑 サッカー選手
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長い間遺恨を残すには、人生は短すぎる。
イーロン・マスク PayPal、SpaceX創業者、テスラモーターCEO
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あなたは私が知る中でもっとも素晴らしく、愛らしく、やさしく、そしてもっとも美しい人だ。いや、それでも言い足りないくらいだ。
F・スコット・フィッツジェラルド 小説家
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栗山監督は僕がたいしたことない、まだ無名だった選手の時から僕の可能性を見てくれていました。だから、すごく信頼はありましたね。この人なら大丈夫。一緒にやりたいなっていう気持ちがどんどん出てきたって感じ。
大谷翔平 プロ野球選手・メジャーリーガー
相田みつをについて
相田みつをは1980年代から90年代にかけて人気となった詩人、書家。独特のわかりやすい詩をユニークな書体で表現。「にんげんだもの」は200万部以上を販売したと言われており、詩集が読まれることの少ない現代において異例の人気となった。
1924年栃木県足利市生まれ。本名・相田光男。中学校卒業後、歌人・山下陸奥の下で短歌を学ぶ。また、地元足利市の高福寺で在家のまま仏教を、書家・岩沢渓石のもとで書道を学んだ。相田みつをはわかりやすい詩を独自の字体で描く書を考案し、1954年から地元足利市で毎年個展を開催するようになり、さらに全国各地で展覧会を開いて回った。長い不遇の時代が続き、相田みつをは書道家としての活動だけでなく布を蝋を使って染色するろうけつ染めをしたり、地元の商店の包装紙のデザインを請け負うなどして生計を立てながら創作活動を続けた。
そして1984年になって詩集「にんげんだもの」が発売。「にんげんだもの」は200万部を越えるベストセラーとなって人気を確立。続く詩集「おかげさん」も25万部以上のヒットとなった。以降相田みつをは40冊を超える詩集を発売。1991年脳内出血により死去。享年67歳。1996年には東京国際フォーラム内に「相田みつを美術館」が開館した。