岡本太郎

前衛芸術家、画家、彫刻家

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岡本太郎の名言

岡本太郎の過去の名言をまとめた名言集です。

  • いま、この瞬間。まったく無目的で、無償で、生命力と情熱のありったけ、全存在で爆発する。それがすべてだ。そう吹っ切れた時、僕は意外にも自由になり、自分自身に手応えを覚えた。

  • 人間にとって成功とはいったいなんだろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか。夢がたとえ成就しなかったとしても、精一杯挑戦した、それで爽やかだ。

  • 危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。

  • 僕だってしょっちゅう行き詰っている。行き詰った方が面白い。それを突破してやろうと挑むんだ。もし、行き詰らないでいたら、ちっとも面白くない。

  • あきらめるんではなく、気が弱いんだと思うってしまうんだ。そうすれば何かしら、自分なりに積極的になれるものが出てくるかもしれない、つまらないものでも、自分が情熱を賭けてうち込めば、それが生きがいだ。

    出典:  岡本太郎「自分の中に毒を持て」

  • 逃げない、晴れ晴れと立ち向かう、それがぼくのモットーだ。

  • 成功だけを意図してやってきた連中というのは、ほとんど成功していないんだね。

  • みんなどうしても安全な道の方を通りたがるものだけれど、それが駄目なんだ。人間、自分を大切にして、安全を望むんだったら、何もできなくなってしまう。計算づくでない人生を体験することだ。

  • 若い人たちに言いたい。ただの生ぬるいサラリーマンになることは容易だ。しかし、そこでは本当の自分を誤魔化して、画一化するより他はないのだ。それよりも、自分の目、手で触れる、だからこそ危険な道を切り拓いていくべきだ。決して遅くはない。諦めて、投げてしまってはならない。あえて敗れることを決意して、社会にぶつかるのだ。それによって、さらに大きな、輝かしい人間像を形成していくのである。

  • 人生は意義ある悲劇だ。それで美しいのだ。生き甲斐がある。

  • 仮に親の顔色をうかがって就職し、安定を選ぶとしようか。が、それが青年自身の人生なんだろうか。「俺は生きた!」といえる人生になるだろうか。そうじゃないだろう。親の人生をなぜるだけになってしまう。そんな人生に責任を持てるだろうか。若者自身の本当の生きた人生には決してならない。自分自身の生きる筋は誰にも渡してはならないんだ。この気持ちを貫くべきだと思う。

  • なにを試みても、現実ではおそらく、上手く行かないことの方が多いだろう。でも、失敗したらなお面白いと、逆に思って、平気でやってみればいい。とにかく無条件に生きるということを前提として、生きてみることを勧める。無条件に生きれば、何かが見つかる。だが、必ず見つけようと頑張る必要もない。

  • 僕は「幸福反対論者」だ。幸福というのは、自分につらいことや心配なことが何もなくて、ぬくぬくと、安全な状態をいうんだ。鈍い人間だけが「しあわせ」なんだ。僕は幸福という言葉は大嫌いだ。僕はその代わりに、「歓喜」という言葉を使う。危険なこと、つらいこと、つまり死と対決するとき、人間は燃え上がる。それは生きがいであり、そのとき湧き起こるのが幸せではなくて「歓喜」なんだ。

  • 僕はかつて、出る釘になれと発言したことがある。誰でもが、あえて出る釘になる決意をしなければ、時代は開かれない。僕自身はそれを貫いて生きてきた。確かにつらい。が、その痛みこそが生きがいなのだ。この現代社会、システムに押さえ込まれてしまった状況の中で、生きる人間の誇りを取り戻すには、打ち砕かれることを恐れず、ひたすら自分を純粋に突きだすほかはないのである。

  • 農作業でも、コンピュータの操作でも、強制された労働としてやれば苦役だが、自由な遊びとして創造的に取り組む限り、それは喜びだ。

  • 人間というのは生まれつきのかたちで生きているのがいちばん美しいんだ。

  • 不動のものが価値だというのは自分を守りたい本能からくる錯覚に過ぎないんだよ。破壊こそ創造の母だ。

  • この瞬間、瞬間に、若さとか、年よりとか、力があるないとか、才能とか、金とか、あらゆる条件を超えて、その持てるぎりぎりいっぱいの容量で挑み、生きるということだ。

  • 自分の価値観を持って生きるってことは嫌われても当たり前なんだ。

  • 面白いねぇ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって身心をぶつけて挑む瞬間、瞬間があるだけ。

  • いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ。

  • 商業と経済は違うんですよ。商業は金儲けでいい。いや金儲けということだ。しかし経済は金儲けではない。人々を幸せにすることだ。このことを多くの人は知らない。

  • 夢に賭けても成功しないかもしれない。そして、そのとき、ああ、あのとき両親のいうことを聞いておけばよかったと悔やむこともあるかもしれない。でも、失敗したっていいじゃないか。不成功を恐れてはいけない。人生の大部分の人々が成功しないのが普通なんだ。

  • 今日の社会では進歩だとか福祉だとかいって、誰もがその状況に甘んじてしまっている。システムの中で、安全に生活することばかり考え、危険に本当に体当たりして生きがいを貫こうとすることは稀である。自分を大事にしようとするから、逆に生きがいを失ってしまうのだ。

  • 僕はいつでも最低の悪条件に自分を突き落とす。そうすると逆にモリモリッと奮い立つ。自分が精神的にマイナスの面を背負い込むときこそ、自他に挑むんだ。駄目だ、と思ったら、じゃあやってやろう、というのが僕の主義。最大の敵は自分なんだ。

  • 芸術なんてもの、それを見極めて捨てたところから開けるものなんだ。芸術に憧れたり、恐れたり、糾弾したり、追いかけたりしている間は、まだ本当の芸術に到達することはできない。

  • 持って生まれた性格は、たとえ不便でも、かけがえのないその人のアイデンティティなんだから、内向性なら自分は内向性なんだと、平気でいればいい。内向性の性格は悪いことだと思っているから、ますます内向的になってしまう。

  • 自分を大事にしすぎているから、いろいろと思い悩む。駄目になって結構だと思ってやればいい。最悪の敵は自分自身なんだから。自分をぶっ壊してやろうというつもりで、そのくらいの激しさで挑まなければ、いままでの自分を破壊して、新しい自分になることはできない。

  • 「いまはまだ駄目だけれど、いずれ」と絶対に言わないこと。「いずれ」なんて言うヤツに限って、現在の自分に責任を持っていないからだ。生きるというのは、瞬間瞬間に情熱をほとばしらせて、現在に充実することだ。

  • 夢を見ることは青春の特権だ。これはなにも暦の上の年齢とは関係ない。10代でも、どうしようもない年寄りもいるし、70、80になってもハツラツとして夢を見続けている若者もいる。だから年齢の問題ではないが、青年の心には夢が燃えている。

岡本太郎について

岡本太郎は日本の画家、彫刻家、前衛芸術家。両親とともにパリに移り住み、大学で学びながら抽象芸術やシュールレアリスム運動といった前衛芸術運動に加わる。帰国後して二科会に所属。花田清輝、野間宏らと前衛芸術運動を展開し、「夜の会」を結成。絵画、彫刻のほか、舞台装置、モニュメント、織物、家具など幅広い分野で芸術活動を行う。1970年(昭和45年)に行われた大阪万国博覧会ではテーマ展示プロデューサーに就任し、自ら「太陽の塔」を設計して注目を集めた。代表作品に絵画の「傷ましき腕」、壁画「明日の神話」、「パリ国際センター会議場の大壁画」、モニュメント「太陽の塔」などがある。

1911年(明治44年)2月26日、神奈川県にマンガ家の岡本一平、歌人・小説家の岡本かの子の長男として生まれる。1929年(昭和4年)慶應義塾普通部を卒業して、東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科に入学。同年、父・一平が仕事で渡欧することとなり、岡本太郎は大学を休学して母とともに随行。パリに滞在する。滞在中にピカソの絵を見て感銘を受け、強い影響を受けたという。また、多くの芸術家と交流し、抽象芸術運動やシュールレアリスム運動といった活動に参加。1932年(昭和7年)に両親が帰国するが、岡本太郎はパリに留まり、1940年(昭和15年)にナチスドイツがフランスに侵攻するまでパリに滞在した。

日本に帰国した岡本太郎は、美術団体・二科会に所属し、絵画「傷ましき腕」などの作品で受賞。第二次大戦中には招集を受け、中国戦線へと送られ、長安で捕虜となったのち、1945年(昭和20年)に帰国する。その後、日本で前衛芸術活動に取り組み、花田清輝、野間宏、埴谷雄高、安部公房らと交流。1948年(昭和23年)に前衛芸術について論じる組織「夜の回」を結成。 1950年(昭和25年)日本アヴァンギャルド美術家クラブ創立に参加。

1970年(昭和45年)の大阪万国博覧会ではテーマ展示のプロデューサーを務め、自ら設計したモニュメント「太陽の塔」を設計。太陽の塔は、大阪万博の象徴として人々に愛され、万博終了後も取り壊さず保存されることとなった。1996年(平成8年)パーキンソン病に伴う急性呼吸不全により死去。享年84歳。

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