坂本龍一

作曲家、ミュージシャン

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坂本龍一の名言

坂本龍一の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 自分の思い通りに生きたがどうかが大事。長さではないどう生きるかどう死ぬかっていうのは個人が責任を持って選んで下さい。

  • 声を上げる。上げ続ける。あきらめないで、がっかりしないで、根気よく。社会を変えるには結局、それしかないのだと思います。

  • 最終的に自分のエゴを乗り越えることが悟りであり、それは死をいかに乗り越えるかということでもある。

  • 父は僕に、簡単に何かになろうとするなと言ってくれていました。30歳までは遊んでいろと。自分が分かるまでは仕事なんて選べないということだったのでしょう。そして今は僕もそう思うのです。

  • 練習嫌いの僕が言うと説得力がないかもしれないけど、とにかく好きな音楽を弾くのが一番。好きな音楽だったら、うまくなりたいと一生懸命練習するでしょう。それをきちんと弾けるまで練習を積み重ねる。

  • 音楽が世界を変えるとかと言うけどね、僕はそこまで力を持っていいのかというのも1つの疑問なんです。

  • 遊びは結果を求めませんし、プロセス。僕が音楽を作るのもそんなプロセスが面白いから。子供の砂遊びみたいに、何を作ろうとイメージするのではなく、いじっているうちに形になっていく。それが創作であり、僕にとって創作こそ遊びだと思います。

  • モノをつくっているひとは、つくればつくるほど近視眼的になってしまう。大局的に見るのが難しくなるのは確かだと思います。僕も実際に遠ざかってみますよ。意識的にスピーカーから遠くに立って、音楽に集中しないで聴くように努力します。

  • 僕は与えられたチャンスには挑んでいったけど、自分の背中を誰かに押してほしいと思ったことはまったくありませんでした。若いときには、たとえ一歳でも年上の人間は全部敵だと思っていて、その人たちの言うことは絶対聞くものかと思って生きてきたからです。それくらいの気概を持っていないと、本当に何もできないのです。

  • 音楽の学校に真面目に行っている人には申し訳ないけれど、ほとんどモノにならない。演奏家や作曲家は違うかもしれないけれど、例えば音楽の世界のエンジニアなんかで、どこの国でも「うわ、こいつはすごい」って人は、だいたい学校に行ってないんですよね。

  • 100年後にも人々に聴かれている音楽をつくること。自分を漱石と比較する気はないけれど、漱石が死んだ年をとっくに過ぎてしまったことに忸怩たる思いがある。

  • YMO以降バンドを組んでいないことに特に理由はないんです。バンドが必要な音楽をやり始めたらバンドを結成するかもしれません。僕の場合は、まず、音楽ありきですから。

  • ぼくは現在友達と言える人はほとんどいないんですよ。あなたがたにこういう質問をされて、初めて考えましたが、多分友達が必要なのは、自分が確立していないからなんだと思います。まず、自分にやることがあれば、時間がもったいなくて、わざわざ友達に会う為に一時間もかけて学校になんか行きませんよね。

  • 欧米のいわゆる純音楽以外のミュージシャンで譜面の読み書きができる人は殆どいません。そんなものなくても音楽はできるし、元々なかったものです。音楽自体は何万年もあるけれど、譜面なんてたかだか1000年ちょっとなんです。

  • 息苦しい社会に対しては「引きこもるかアウトローになるか、外国に出るか」が有効な手段だ。

  • 25歳とか、もっと若い人に聞いてほしいところなんですけど、だいたい僕も含めて、あるジャンルで一人前になってる人たちのなかで、なりたくてなった人はほとんどいないんですよ。

  • 情報過多の社会だから常に何かの説明を必要としてるっていうか、買う方も説明聞かないとわかんないみたいな。音楽なんて一番直感的なもんだから説明なんて本当はいらないはずなのに。聴いてただ好きか嫌いかってそれだけでいいわけなんだけど。

  • これはYMOのコンセプトだったんですが、僕らの音楽はそれほど大衆性があるわけではないので、日本だけで100万枚売るのは難しい。しかし10カ国で10万枚ずつ売れれば100万枚だし、100カ国で1万枚ずつ売れても100万枚。これは不可能ではないんじゃないかと。

  • 僕は、やるからには常にうまくいくことしか考えていません。小心者というか、石橋を叩いても渡らないタイプだから、そもそも負ける喧嘩はしない。失敗の可能性がちらつくものには近づきません。

  • 個人のオピニオンを求められない社会。まさに官僚とかがそうなんですけど、むしろ言わないことが是とされるぐらいの社会で。はっきりしたことを言うと煙たがられる。西洋社会はまったく反対で、曖昧だと、「こいつバカなんじゃないか?」って思われる社会なんですよね。

  • 今の日本の音楽の状況を、哲学の例えで言うなら、今の日本のバンドの子たちは、欧米の哲学書を一切読まないで日本の先輩の本だけでもうわかった気になって、それ以上原典に遡らないというような、そういう内向のような状態。

  • 音楽ビジネスは本来、もっとオープンに多くの人と共有する方が価値が出る。

  • 売上を伸ばしてやろうとか、一位になってやろうなんてまったく考えずに作った曲がたまたまヒットしただけ。その前にそんな努力をした時期もあったんですけど、それはぜんぜん実らなかったのにね。あれで逆に、結局僕の場合、そういう努力は無駄なんだなあということを突き付けられました。

  • 音楽も長いこと余り変わらないですね。もっと予想外の音楽、ぼくらが思いもつかないような音楽がどんどん出てきて、僕は置いてけぼりになるのかなと思ってたんですけど、そうでもない。いまだにロックはロックだし、パンクはパンクだし、ジャズはジャズだし。もちろん、ちょっとしたところで新しいことはありますけど、余り変わり映えしない。

  • 社会とか、時代とかに責任を持つとか、そういうのはもともと嫌いだったんです。そういうのは傲慢だと思っていたほうです。でも、アメリカに行って随分変わってきたのかもしれません。また、日本的心情そのものに、そういうのを傲慢だというのがあって、チャリティをいまだに欺瞞だと思っている人も多い。ぼくもわかります、その気持ちはね。でも、それがアメリカに行って随分変わりました。欺瞞だとしても、何もやらないで人を批判するよりはやったほうが良いと。

  • 音楽というものは、物理的な音を感知することだけではなく、音楽的な何かが自分の脳の中に喚起されることである。

  • 自分でもたくさん曲があるじゃないですか、1000曲以上あるのかな?良いものも悪いものも当然あるんですけど、やっぱり考えて作ったのはダメですね。

  • 音楽に、完全なオリジナルティはこの世には存在しない。一曲の中で5%は個人の本当のオリジナル。95%は伝統。自分は5%のおもしろい部分に興味がある。

  • やっぱりYMOがなかったら、その海外に出ていくということもなかったと思いますしね。一応その葛藤があったけど、やはりやってよかったなとは思いますけどね。

  • 大島渚さんが逝ってしまった。監督が、お一人で台本を抱えて来られ、映画に出演してくださいとおっしゃり、私は無謀にも「私に音楽をやらせてください」とお願いし、全てはそこから変わった。この喪失感は誰にも埋められない。大島さん、安らかに。合掌。

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坂本龍一について

坂本龍一は東京出身の作曲家、ミュージシャン。細野晴臣,高橋幸宏と共に「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成。当時の日本では馴染みのなかったテクノ・ポップの先駆けとしてデビューし、日本にテクノポップブームをもたらした。YMO解散後は映画「戦場のメリークリスマス」や「ラストエンペラー」の音楽を担当し、自らも出演。「戦場のメリークリスマス」では英国アカデミー賞作曲賞、「ラストエンペラー」では米国アカデミー賞作曲賞を受賞した。その後はニューヨークに移住し作曲活動を行うほか、環境問題などにも取り組む。特に福島第一原発事故以降、反原発の主張をたびたび行って注目される。

1952年(昭和27年)東京都中野区に生まれる。3歳からピアノを習い、10歳から作曲を学ぶ。東京都立新宿高校を卒業後、東京芸術大学に入学し音楽学部作曲科を卒業。卒業後はスタジオミュージシャンとして活動し、細野晴臣のアルバム制作に参加したのをきっかけに、1978年細野晴臣、高橋幸宏とともに「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成。同年11月に初のアルバム「イエロー・マジック・オーケストラ」を発売した。また、YMOのアルバムの発売前に坂本龍一名義のソロアルバム「千のナイフ」も発売。YMOは当時の日本ではまだ珍しかったテクノポップの曲調が話題を呼ぶ。YMOはデビューアルバムをアメリカでもアルバムを発売、ライブも行いアメリカでも注目されるようになる。1979年2枚目のアルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」を発売。日本では100万枚を超える大ヒットとなり、さらにワールドツアーも開催し世界進出も図った。YMOは1983年までにアルバム7枚を制作し、同年末の全国ツアーをもって解散した。

坂本龍一は作曲家や音楽プロデューサー、ミュージシャン、役者として幅広く活動。1982年には忌野清志郎と坂本龍一の連名でシングル「い・け・な・いルージュマジック」を発売。大島渚監督からの依頼で映画「戦場のメリークリスマス」の音楽を担当し自らも役者として出演。1987年映画「ラストエンペラー」でも音楽を担当するとともに俳優として出演した。ラストエンペラーでは、ゴールデングローブ賞、アカデミー賞の作曲賞も受賞した。1990年活動拠点をニューヨークに移す。同年ベルナルド・ベルトルッチ監督の映画「シェルタリング・スカイ」の音楽でゴールデングローブ賞作曲賞受賞。1999年栄養ドリンクのCMで話題となったシングル「ウラBTTB」がミリオンセラーを記録。2011年東日本大震災により福島第一原子力発電所事故が起こってから坂本龍一は、脱原発の運動に積極。