「ラストエンペラー」の音楽は、東京で1週間、ロンドンで1週間、合わせてわずか2週間という地獄のようなスケジュールの中で書き上げ、録音したものです。ほとんど不眠不休での作業を終えたあとは、過労で入院という、僕としては初めての事態になってしまいました。
坂本龍一 作曲家、ミュージシャン
この名言を見ている方にお薦めの名言
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100%がいい物じゃないね。7割方、届かない感じが俺らの想像力を掻き立てるね。そこなんだよ。なんもかんも目一杯じゃダメなの。
所ジョージ タレント、歌手
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僕は99%を理詰めでつくる。それは1%の破綻を魅力的にするためでもあるんです。
三谷幸喜 脚本家、映画監督
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いいか、監督がよーい、スタートと言ったら人生劇場を歌うんだ。
高倉健 俳優
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君たち、漫画から漫画の勉強するのはやめなさい。一流の映画をみろ、一流の音楽を聞け、一流の芝居を見ろ、一流の本を読め。そして、それから自分の世界を作れ。
手塚治虫 漫画家
坂本龍一の他の名言
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アメリカに長く住んでいると考え方がアメリカ的になるというのではなくて、逆に日本の良いところも沢山見えてきますね。悪いところも見えるようになる。日本にいたときは、近親憎悪で、日本的なもの、例えば、神社仏閣とか、花鳥風月なんかは大嫌いでした。いまは好きです。素直に良いものは良いと思えるようになりました。
坂本龍一
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音楽も長いこと余り変わらないですね。もっと予想外の音楽、ぼくらが思いもつかないような音楽がどんどん出てきて、僕は置いてけぼりになるのかなと思ってたんですけど、そうでもない。いまだにロックはロックだし、パンクはパンクだし、ジャズはジャズだし。もちろん、ちょっとしたところで新しいことはありますけど、余り変わり映えしない。
坂本龍一
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大島渚さんが逝ってしまった。監督が、お一人で台本を抱えて来られ、映画に出演してくださいとおっしゃり、私は無謀にも「私に音楽をやらせてください」とお願いし、全てはそこから変わった。この喪失感は誰にも埋められない。大島さん、安らかに。合掌。
坂本龍一
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音楽に、完全なオリジナルティはこの世には存在しない。一曲の中で5%は個人の本当のオリジナル。95%は伝統。自分は5%のおもしろい部分に興味がある。
坂本龍一
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僕は、やるからには常にうまくいくことしか考えていません。小心者というか、石橋を叩いても渡らないタイプだから、そもそも負ける喧嘩はしない。失敗の可能性がちらつくものには近づきません。
坂本龍一
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もしかしたら、ぼくの音楽を聴いた人が、気持ちが変わったり、前向きになったり、逆に後ろ向きになったり、そういう人もいるかもしれない。それを、音楽の力だと言ってしまえなくもない。ぼくらもそうだけど、音楽に限らず、映画を観たり、本を読んだりしたときも同じですが、何らかの影響は受けますからね。だからと言って、影響を及ぼしてやろうと思っちゃいけないですよ、作るほうの側が。ぼくは、そう思っているんです。むしろ、ぼくの意図とはかかわりなく影響を及ぼしてしまうかもしれないので、余り強い影響を与えるようなことは自分で禁じているくらいです。そんなに人をコントロールしてはいけない、と思っていますから。
坂本龍一
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交通事故のようにYMOが売れちゃってミュージシャンになったんです。そんなつもりなくYMOに参加したのに、急に有名になっちゃって、自分としてもミュージシャンだと認めざるをえないってことになったんです。それまでは、何にもなりたくないというか、職業を限定されるのが嫌だと思っていた。
坂本龍一
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ニューヨークに行って本当によかったなと思ったのは、すべてをひとりでやらなければならなくなったこと。英語もろくにしゃべれなかったから、郵便局で手紙を出すのにもオドオドしていて、「もっとデカい声で言えよ!」って郵便局員に怒鳴られて、ますます焦ったり。そんなことを繰り返すことが、自分を取り戻す作業になっていた。
坂本龍一
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たとえば、一生かかっても僕が会うことがないだろう、ルーマニアの小さな村のおばちゃんが、たまたま僕の音楽を耳にして、「ああ!」と思ってくれる音楽をつくることができるのか。そこが僕の基準です。
坂本龍一
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音楽をどこまで壊せるかという試みに作曲家たちが挑戦した時代があった。それまでの調性音楽をストラビンスキーは外側から、シェーンベルクは内側から壊した。でもただ壊すだけでは音楽は作れない。なにがしかの構造や規則、新しいルールを一人一人が模索した。
坂本龍一