ベートーベン

作曲家、ピアニスト

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ベートーベンの名言

ベートーベンの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 私は名声や名誉のために作曲しようなどと思ったことはない。私の心の中にあるもの、それを外に表現しなければならない。それが私が作曲する理由だ。

  • 神様がもし、世界でもっとも不幸な人生を私に用意していたとしても、私は運命に立ち向かう。

  • 苦難の時に動揺しないこと。これが真に賞賛すべき卓越した人物の証拠である。

  • 今の時代に評価される作曲家とはどんなものだろうか?それはほとんどの場合、時代の変化や、さらに悲しいことに流行に左右されてしまう。優れた真の音楽は岩のように耐え抜かねばならず、不貞な者に汚されることがあってはならない。すべきことを行い、すべての力を使って不可能に挑み、神から与えられた才能を最大限に活かせ。そして決して学び続けることをやめるな。人生は短いが、音楽は永遠なのだから。

  • 時に適った言葉は銀となり、時に適った沈黙は金となる。

  • 音楽とは、男の心から炎を打ち出すものでなければならない。そして女の目から涙を引き出すものでなければならない。

  • 優れた人間の大きな特徴は、不幸で、苦しい境遇にじっと耐え忍ぶことだ。

  • あなたとはなんなのか、それは偶然によって生まれたものだ。私はなんなのか、それは自分自身に他ならない。王子はこの世に何千人もいるが、ベートーベンは私一人だ。

    出典:  ベートーベンが後援者の貴族・リヒノフスキーに送った手紙。

  • 私の心や魂の中にあるものーそれらを表現するための手段が必要です。だから音楽をやっているのです。

  • 私は何度も絶望し、もう少しで自殺するところだった。だが、彼女が、芸術が、引き止めてくれた。私は、自分に課せられていると思っている創造を全てやり遂げずに、この世を去るにはいかないのだ。

  • 最も優れた人は、苦悩を乗り越えて、歓喜を手に入れる。

  • 真に称賛できる人物とは、逆境に直面したときに、自分の生き方を貫ける人間なのだ。

  • 芸術家が、名声を得ると、静寂が損われる。それ故、処女作が最上の作となることが多い。

  • 大志ある才能と勤勉さの前に「ここより先は進入禁止」の柵は立てられない。

  • 名声を勝ちとった芸術家は、そのことによって苦しめられる。そのため、処女作が往々にして最高作となる。

  • 人間はまじめに生きている限り、必ず不幸や苦しみが降りかかってくるものである。しかし、それを自分の運命として受け止め、辛抱強く我慢し、さらに積極的に力強くその運命と戦えば、いつかは必ず勝利するものである。

  • 自分の誤りを認めなければならないことほど耐えがたいものはない。

  • 報酬への期待を行動のバネとする人にはなるな。

  • 憎しみは、それを抱く者の上に跳ね返ってくる。

  • 結局のところ、私に才能はあったのだろうか。

  • 困難な何事かを克服するたびごとに、私はいつも幸福を感じます。

  • なぜ私は作曲するのか?それは、私が心の中に持っているものは外に出なければならないからだ。ゆえに私は書く。

  • もしも美しいまつげの下に、涙がふくらみたまるならば、それがあふれ出ないように、強い勇気をもってこらえよ。

  • この曲はあなたのために書いたのではありません。後世のために書いたのです。

  • 苦悩を突き抜ければ、歓喜に至る。

  • 私は運命の喉首を締め上げてやるのだ。決して運命に圧倒されない。この人生を千倍も生きたなら、どんなに素敵だろう。

  • 勇気を出せ。たとえ肉体にいかなる欠点があろうともわが魂はこれに打ち勝たなければならない。

  • 人は、28歳までに思想家とならねばならない。

  • 君の愛は、私を最も幸せな男にするのと同時に最も不幸な男にもする。

  • 音楽があなたの人生の重荷を振り払い、あなたが他の人たちと幸せを分かち合う助けとなるように。

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ベートーベンについて

ベートーベンは18世紀後半から19世紀前半にかけて活躍したドイツの作曲家。ハイドン、モーツァルトと並び、ウィーン古典派三巨匠とも呼ばれる。先人であるハイドンやモーツァルトから古典派の様式を受け継ぎながらも独自の音楽を築いた。晩年には聴力を失いながらも作曲を続け、多くの傑作を残す。代表作に「交響曲第3番(英雄)」、「交響曲第5番(運命)」、「交響曲第6番(田園)」、「ピアノソナタ第23番(熱情)」、「エリーゼのために」、「交響曲第9番(合唱)」など。

1770年、神聖ローマ帝国の都市ボン(現在のドイツ・ボン)に生まれる。父・ヨハンは宮廷歌手であった。幼少期から父にピアノの英才教育を受け、1782年からボンの宮廷楽団で活躍。1792年にはウィーンに移り、ハイドンやアルブレヒツベルガー、アントニオ・サリエリらに師事する。その後貴族からの後援を得て作曲とピアニストに専念。「ピアノソナタ第8番(悲愴)」、「交響曲第1番」など初期の代表作を発表した。

1790年代末頃から難聴に苦しんでいたとされ、1802年に弟と甥に対してハイリゲンシュタットの遺書として有名な手紙を書いている。しかし、難聴という苦境の中、ベートーベンは傑作「交響曲第3番(英雄)」を作曲し、独自の音楽を確立。作曲家として大きく飛躍する。その後もベートーベンはオペラ「フィデリオ」、「交響曲第5番(運命)」、「交響曲第6番(田園)」、「ピアノソナタ第23番(熱情)」、「エリーゼのために」など名作を次々に発表。1818年頃には聴覚をほぼ失うまでに難聴が悪化していたとされるが、ベートーベンはそのような状況の中で「交響曲第9番(合唱)」を完成させた。1827年死去。享年56歳。貴族の娘たちとの交際があり、死後に宛先不明の「不滅の恋人」への手紙が公表されたが、生涯独身であった。