レオナルド・ダ・ヴィンチ

画家、彫刻家

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レオナルド・ダ・ヴィンチの名言

レオナルド・ダ・ヴィンチの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 状況は切迫しているほど活動に適している。知っているだけでは十分ではない、それを活用しなければならない。行動を起こそうとしているだけでは十分ではない、行動しなければならない。

  • 私は決して障害に屈しはしない。いかなる障害も、私の中に強い意志を生み出すまでだ。

    出典:  「レオナルド・ダ・ヴィンチの手記」

  • 人が一番惑わされやすいのは、自分自身の考えによってだ。

  • 人生は単純だ。何かに挑戦して、ほとんどは失敗し、いくつか上手くいく。そして上手くいくことが増えていく。

  • 解剖して分かったことだが、人間は死ぬように出来ているのだ。

  • よい判断力はよい理解から生まれ、よい理解はよい法則から引き出された理論から生まれる。そしてよい法則は、ありとあらゆる化学および芸術の共通の母、よい経験の娘である。

    出典:  「レオナルド・ダ・ヴィンチの手紙」

  • 見たものを信じるだけでは十分ではない。見たものを理解せねばならない。

  • 自然は多くの人間や生物にとって残酷な継母となるが、ある人にとっては優しい母となる。

  • 鉄が使用せずして錆び、水が腐りまたは寒中に凍るように、才能も用いずしては損なわれる。

  • 必要であればあるほど拒まれるものがある。それは忠告だ。それを余計に必要とする人、すなわち無智な人々からいやがられる。

  • 何かを主張をするのに権威を持ち出す人は全て、知性を使っているのではなく、ただ記憶力を使っているだけである。

  • 経験は決して間違えない。間違えるのは人間の判断だ。自分で実験してもいない結果を予測して、判断を間違えるのだ。

  • 鏡となりすべてのことを吸収せよ。そして自分自身であり続けよ。

  • 私はいかに生きるかを考える間に、いかに死ぬかについて学んだ。

  • 食欲がないのに食べても健康に悪いように、やる気がないのに勉強しても記憶力が損なわれ、記憶したことは保存されない。

  • 芸術に決して完成ということはない。途中で見切りをつけたものがあるだけだ。

  • つねに恐れつつ進まぬ者は、数々の侮辱にあい、しばしば悔いることになる。

  • 私の仕事は、他人の言葉よりも自分の経験から引き出される。経験こそ立派な先生だ。

  • すべては、すべてから来る。すべては、すべてから創られ、すべては、すべてに戻っていく。すべては、すべてに包み込まれる。

  • 人が受ける最も大きなまやかしは、自分自身の意見から生まれる。

    出典:  “The Notebooks of Leonardo Da Vinci”

  • 簡潔さとは究極に洗練されることだ。

  • こっそりと友をとがめよ。人前では友を褒めそやせ。

  • 徳は、生まれると同時に、徳に反対する嫉妬をも生み出す。嫉妬を伴わない徳よりも、影を伴わない物体のほうが先に現れるだろう。

  • 鉄は使わなければ錆びる。水は澱んでいれば濁り、寒空には凍ってしまう。ましてや怠惰でいれば気力さえも失われる。

    出典:  レオナルド・ダ・ヴィンチ 「レオナルド・ダ・ヴィンチ の手記」

  • 優れた画家はふたつのものを描く。人と人の心の動きである。

  • 十分に終わりのことを考えよ。まず最初に終わりを考慮せよ。

  • 美しいものと醜いものはともにあると互いに引き立て合う。

  • このところずっと、私は生き方を学んでいるつもりだったが、最初からずっと、死に方を学んでいたのだ。

  • 人間はやり通す力があるかないかによってのみ、称賛または非難に値する。

  • 芸術家はたくさん仕事をするためには、時には描かずにいる必要がある。

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レオナルド・ダ・ヴィンチについて

レオナルド・ダ・ヴィンチはイタリア・ルネサンスを代表する芸術家であり、一方で偉大な科学者でもあった。絵画や彫刻で「最後の晩餐」「モナ=リザ」など優れた作品を残し、芸術論・自然科学・解剖学・機械工学などの分野で膨大な数の手稿、スケッチを残した。

1452年フィレンツェ共和国(現在のイタリア・フィレンツェ)に生まれる。婚外子で、母は農家の娘、父は政府の役人であったとされる。14歳でフィレンツェの画家・彫刻家であったヴェロッキオの工房に入門。画家としての腕を磨いたレオナルド・ダ・ヴィンチは20歳で独立、大富豪メディチ家の庇護を受けたとされる。「モナ・リザ」、「最後の晩餐」、「聖アンナと聖母子」、「洗礼者聖ヨハネ」、「受胎告知」など数多くの有名作品を残した。また、ミラノ大聖堂円屋根の設計やロマーニャ公爵チェーザレの軍事技術者となるなど芸術以外の分野でも多彩な才能を発揮。幾何学、解剖学、物理学、建築学、光学などにも精通しており、近代科学の先駆者として実証的な諸研究を行い、未解決の課題において数々の重要な発見をしていた。しかし、レオナルド・ダ・ヴィンチが発見を公表しなかったため、科学技術の発展に寄与することはなかった。1519年死去。享年67歳。