レオナルド・ダ・ヴィンチ

画家、彫刻家

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レオナルド・ダ・ヴィンチの名言

レオナルド・ダ・ヴィンチの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 自然は自己の法則を破らない。

  • こわがればこわがるほど、逃げれば逃げるほど、近くによってくるものがある。それは貧窮だ。逃げれば逃げるほど、君は悲惨になり安らぎをうしなう。

  • あらゆるものの部分はそれ自身のうちに全体の性質を保っている。

  • 脅迫とはひとえに脅えた者の武器にすぎない。

  • 私は困難の中で笑顔でいられる者が好きだ。苦悩の中で強くなり、抵抗の中でたくましく育つ。人間が先細りしていくのはたいてい心の貧弱さによるものだが、そういった人々は心を育み、自らの行動を是認し、生涯に渡って自らの信念を貫く。

  • 大嘘つきは自らの良心によって苦しむことになる。

  • 芸術家は普通の人間が表面しかみないものの深層を見る。

  • 誰にも信用を置かない者が騙されることはない。

  • 貧者とは、たくさんのものを望む者のことだ。

  • 心が疲れず、恐れも抱かず、後悔もしないのは学ぶことだけだ。

  • 権威をひいて論ずるものは才能にあらず。

    出典:  「レオナルド・ダ・ヴィンチの手記」

  • 一日をうまく使えば、幸せな眠りがやってきます。

  • 空腹でもないのに、食事をしては、病気になるように、意味も分からず、意味を求めるのは、勉強にならない。

  • 充実した人生は長い。

  • どんな部分も、全体に組み込まれるようにできている。だから、それ自体の未完成から逃れられる。

  • 「幸せ」の入る場所に、嫉妬が待ち伏せしてこれを襲う。

  • 時々、機会を見つけて外出しなさい。そして、リラックスしよう。外から帰ってくると、あなたの判断はより確かなものになります。いつも仕事にへばりついていると、あなたは、判断力を失ってしまいます。

  • 人間固有の行動がどれほど多様であるか君にはわかるだろうか。また動物や草木や花の種類がどれほど数多いか君にはわかるだろうか。山地や平地、泉、川、都市、公共建築物、住宅、そして人が使う道具、衣装、装飾、美術、この世はなんと学ぶべきことが多いことか。

  • その手に魂が込められなければ、芸術は生まれないのだ。

  • より深く感じ入るほど、苦しみは増すものだ。

  • 知識に優劣はない。それはただ実験から生まれ出るものだ。

  • 理論は将校、実践は兵卒。

  • 肉欲を抑制しない者は、動物の仲間になるが良い。

  • 人間が生きている世界は3次元である。3次元にあるものを3次元で表現するのは再現にすぎない。3次元のものを2次元に写し取り、2次元にはない立体感や奥行きまでをも表現することが真の芸術なのだ。

  • 一日で金持ちになりたいと思うものは一年で絞首刑となる。

  • 理解するための最良の手段は、自然の無限の作品をたっぷり鑑賞することだ。

  • 私を軽蔑するな、私は貧乏ではないからな、やたらに沢山のものを欲しがる者こそ貧乏なのだ。

  • 顔に人間の性格、人間の癖や性質を部分的に示す特徴が見られるというのは真実である。

  • 何にせよ、勉強したことを記憶したいと思ったら、以下の方法に従うとよい。同じものを何度も描いて「もう記憶してしまった」と思ったら、モデルを見ずに描いてみる。ただ、そのあとで、薄い滑らかなガラスの上でモデルをトレースしたものを、モデルなしで描いたものに乗せて合わせてみる。トレースしたものと描いたもののどこが符合するか注目する。また、どこで間違いを犯したか見つけ、二度と同じ間違えをしないために、そこを記憶する。何度も間違えるところは、心の修正をするために、モデルに戻って写してみても良い。

  • 人間の巧妙さが、自然が創造するものよりも美しくシンプルな、あるいは正確な発明をすることは決してできない。なぜなら自然の女神の創造物には何一つ欠けるところがなく、何一つ過分なものがないからである。

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レオナルド・ダ・ヴィンチについて

レオナルド・ダ・ヴィンチはイタリア・ルネサンスを代表する芸術家であり、一方で偉大な科学者でもあった。絵画や彫刻で「最後の晩餐」「モナ=リザ」など優れた作品を残し、芸術論・自然科学・解剖学・機械工学などの分野で膨大な数の手稿、スケッチを残した。

1452年フィレンツェ共和国(現在のイタリア・フィレンツェ)に生まれる。婚外子で、母は農家の娘、父は政府の役人であったとされる。14歳でフィレンツェの画家・彫刻家であったヴェロッキオの工房に入門。画家としての腕を磨いたレオナルド・ダ・ヴィンチは20歳で独立、大富豪メディチ家の庇護を受けたとされる。「モナ・リザ」、「最後の晩餐」、「聖アンナと聖母子」、「洗礼者聖ヨハネ」、「受胎告知」など数多くの有名作品を残した。また、ミラノ大聖堂円屋根の設計やロマーニャ公爵チェーザレの軍事技術者となるなど芸術以外の分野でも多彩な才能を発揮。幾何学、解剖学、物理学、建築学、光学などにも精通しており、近代科学の先駆者として実証的な諸研究を行い、未解決の課題において数々の重要な発見をしていた。しかし、レオナルド・ダ・ヴィンチが発見を公表しなかったため、科学技術の発展に寄与することはなかった。1519年死去。享年67歳。